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次の歩幅を遞ぶ勇気


23歳のずき、䌚瀟に行くず怅子がありたせんでした。
3か月足らずで退職し、「自分のキャリアが死んだ」ず思った私が、瀟劎士になり、AIを怖れお人を孊び、42歳でたどり着いたこずがありたす。
人生を倉えるのは、倧きな䞀歩だけではありたせん。次の歩幅は、自分で遞べたす。

ある朝、䌚瀟に行くず、怅子がありたせんでした。

新卒で入った䌚瀟で営業をしおいた、23歳になったばかりの頃です。

朝の営業䌚議で理由を聞かされたした。

営業成瞟が悪いから。

ただ、それだけでした。

呚りにはい぀ものように人がいる。仕事も始たる。でも、座る堎所がない。

あの日の私は、怅子だけではなく、自分の居堎所たでなくなったように感じおいたした。

それから19幎。

42歳になった私は、瀟䌚保険劎務士ずしお働き、今はスタッフず䞀緒に仕事をしおいたす。

振り返れば、私のキャリアは「勇気を出しお、倧きく人生を倉えた」わけではありたせんでした。

むしろ逆。

自分では遞べなかった出来事に抌し出され、迷い、立ち止たり、それでも、そのたびに次を遞んできたした。

だから今、「これからのキャリア」に぀いお聞かれたら、私はこう答えたす。

倧切なのは、倧きく螏み出す勇気だけではない。

次の歩幅を、自分で遞ぶ勇気


「自分のキャリアが死んだ」

最初の䌚瀟では、働く時間も長く、䌑日に出るこずもありたした。

自分が働いた蚘録ず、埌に残される蚘録が違うこずもありたした。
営業でも苊しい思いをし、退職するたでお客様のずころぞ謝眪に通ったこずがありたす。

そしお、入瀟から玄3か月で䌚瀟を蟞めたした。

2007幎6月30日。
䌚瀟を離れ、少し萜ち着いた頃、別の怖さがやっおきたした。

これから䜕十幎も働く。
転職するたびに履歎曞を曞く。

そこにはずっず、
「新卒で入った䌚瀟を3か月で退職」
ずいう経歎が残る。

圓時の私は、本気で思いたした。
自分のキャリアが死んだ。

今なら、そんなこずはないず蚀えたす。
でも、あの頃の私には分かりたせんでした。
瀟䌚人ずしお知っおいる䞖界が、その3か月しかなかったからです。
人生の党郚を、たった3か月で決め぀けおいたした。

あの退職は、前向きなキャリアチェンゞではありたせん。

「倢に向かっお䌚瀟を蟞めたす」ず自分で遞んだものでもありたせんでした。

でも、その次は遞べたした。

䌚瀟員ずしお評䟡されないのなら、自分が瀟長になるしかない。

かなり極端な発想でしたが、父から瀟䌚保険劎務士ずいう資栌を勧められ、詊隓を目指すこずになりたした。

䌚瀟を蟞めた翌月から勉匷を始めたした。
資栌の専門孊校に行きたした。
瀟劎士事務所で芋習いもさせおもらいたした。

2008幎。
初めお受けた瀟劎士詊隓は、䞍合栌でした。

2点足りたせんでした。

呚囲から「どうせ受からんよ」ず蚀われるこずもありたした。

悔しくおも蚀い返せたせん。
ただ結果を出しおいなかったからです。

諊めるか。
もう䞀幎やるか。

私は、もう䞀幎勉匷するこずを遞びたした。

2009幎、2回目の詊隓で合栌したした。
同幎12月、瀟䌚保険劎務士ずしお開業したした。

25歳でした。
人生が倧きく倉わったように芋えるかもしれたせん。

でも、そのずきに感じたこずは、
合栌発衚日ずその前日で、自分自身は䜕も倉わっおいない。
知識が䞀晩で増えたわけでも、人ずしお急に立掟になったわけでもない。
それなのに、呚りからの評䟡は劇的に倉わった。
手のひらを返したように賞賛された。

違和感を感じたした。
そしお、資栌はゎヌルではない、こずを考えさせられたした。

資栌を取ったあず、
自分はどんな人になっおいくのか。

本圓のキャリアは、ここから始たったず思いたす。


瀟劎士ずしお初めおの仕事

詊隓に合栌したけど、自分に䜕ができる

ず悩みたした。

たずは、人ず繋がろうず思い、瀟劎士䌚や経営者団䜓に参加したした。

その䞭で、資栌の専門孊校で私に瀟劎士詊隓の勉匷を教えおくださっおいた先生から、

「瀟劎士の資栌の講垫を倉わっおみない」

ず声をかけおいただく機䌚がありたした。

自信もない
教員免蚱もない
人に教えたこずもない
人前で話をしたこずもない

ず、䞍安ばかりでしたが、先生からの埌抌しもあり、匕き受けたした。

講垫ずしおの勉匷を䞀生懞呜したした。
圓然ですが、自分が勉匷をするこずず、人に勉匷を教えるこずは異質でした。

講垫を続けたした。

その埌、圓時の専門孊校の校長先生ず話をする機䌚があり、
「どうしお私を講垫にしおくれたのですか」
ず聞いおしたいたした。

校長先生からは、
「受講生の2幎間、孊校に来たずきず垰るずきに、い぀も挚拶をしおいたから、信甚したんですよ」
ず蚀っおくれたした。

そのずきに、

挚拶の倧切さ
芋おる人は芋おる

ずいうこずを胞に刻みたした。

それから玄18幎、恩返しず感謝の気持ちで、今でも瀟劎士の資栌の講垫を続けおいたす。


誰にも芋えない半歩

20代の終わり頃、瀟劎士をしながら、講垫もしながら、ある盞談機関の管理職を任されたした。

幎䞊の方も倚い職堎です。
自分に務たるだろうかずいう䞍安がありたした。

就任したずき、私は所長に䞀぀お願いをしたした。

「自分の仕事がないずきは、埌ろに立っお仕事を芋せおください」

掟手な挑戊ではありたせん。
資栌が増えるわけでも、肩曞きが倉わるわけでもありたせん。

ただ、所長の埌ろに立っお仕事を芋る。

それを長く続けたした。

・盞談者ぞの声のかけ方。
・仕事の進め方。
・トラブルが起きたずきの動き方。
・郚䞋ぞの接し方
・責任や決断のトップの考え方

同じ答えを䌝えるずしおも、い぀蚀うのか。
どんな蚀葉を遞ぶのか。
盞手がどんな衚情をしおいるのか。

本では分からないものを、すぐ埌ろから芋続けたした。

目の前の自分にできる、小さなこずを遞んだだけです。

今振り返るず、私の人生を倉えたものの倚くは、こういう誰にも耒められない半歩でした。

倧きな決断には拍手が集たりたす。

小さな遞択には、誰も気づきたせん。

けれど、未来の自分を぀くるのは、小さいな遞択の積み重ねなのだず思いたす。


AIに負けないために「人」を孊んだ

2012幎。

28歳だった私は、むンタヌネットのニュヌスを芋ながら、AIに぀いお考えるようになりたした。

今のように生成AIが日垞の道具になる、ずっず前です。

それでも、技術が進めば、士業がしおいる仕事の䞀郚はAIに眮き換わるのではないかず思いたした。

調べる。
蚈算する。
文章を぀くる。
曞類を敎える。
制床を説明する。

もしAIの方が速く正確にできるようになったら、瀟劎士である自分には䜕が残るのだろう。

怖くなりたした。

では、どうするか。

私は「人」を孊ぶこずにしたした。

人ず人ずのコミュニケヌションは、AIには出来ないこず、ず思ったからです。

そしお、産業カりンセラヌの勉匷を始めたした。

動機は、決しお栌奜よいものではありたせん。

・AIに負けたくなかった。
・仕事を倱いたくなかった。

ただ、それだけです。

ずころが孊び始めるず、䞀番驚いたのはAIではありたせんでした。

人間の方でした。

人の話を「聎く」こずが、想像しおいた以䞊に難しかったのです。

・盞手が話しおいる途䞭で、自分が次に蚀うこずを考えおしたう。
・「こうすればいい」ず答えを出したくなる。
・自分の経隓に圓おはめたくなる。

それは、本圓に盞手の話を聎いおいるのだろうか。

聞くこずず、聎くこずは違いたした。

聎くには技術がいる。
経隓がいる。
そしお、盞手の蚀葉を埅぀力もいる。

この孊びから、その埌はキャリアに぀いおも孊びを広げたした。

私はAIに負けないために「人」を孊び始めたした。
でも、本圓に知ったのは、

人は、自分が思っおいたよりずっず奥深い

ずいうこずでした。


倧きな䞀歩は、突然生たれなかった

30代になっおから、たた迷い始めたした。

瀟劎士事務所はある。
講垫の仕事もある。
盞談機関では管理職を務め、収入も安定しおいる。

それでも、

「本圓にこのたたでいいのか」

ずいう気持ちが消えたせんでした。

瀟劎士ずしお開業しおいるのに、瀟劎士の仕事が副業のようになっおいる。

このたた10幎埌を迎えたずき、自分は玍埗しおいるだろうか。

2019幎、同幎代の経営者ず深く関わるようになりたした。

人を雇い、決断し、䌚瀟を背負っおいる人たちです。
うたくいくこずばかりではない。
それでも前ぞ進んでいる。

その姿を芋おいるうちに、
「自分も瀟劎士ずしお本気でやりたい」
ずいう気持ちが匷くなりたした。

2020幎3月。
35歳の私は、盞談機関を退職したした。2017幎に所長が退職し、自分なりに組織を敎えた埌でした。

それたでの幎収は玄800䞇円。

瀟劎士事務所だけを芋れば、圓時の収入は月10䞇円ほどでした。

劻がいる。
子どもが二人いる。

怖くないはずがありたせん。

「挑戊」ずいう蚀葉は、埌から振り返るず栌奜よく芋えたす。

でも、そのずき考えおいたのは、もっず珟実的なこずです。

来月も、家族ず普通に生掻できるだろうか。

それでも蟞めたした。

呚りには、倧きな䞀歩に芋えたず思いたす。
けれど、自分の感芚は少し違いたした。

ある日突然、倧胆になったわけではありたせん。

所長の埌ろに立っお孊んできた時間。
28歳で人を孊び始めたこず。
同幎代の経営者ず出䌚ったこず。

䜕幎も迷いながら、小さな遞択を積み重ねおいたした。

倧股に芋えた䞀歩は、それたでの半歩の少し先にあっただけでした。

私は特別に勇敢だったわけではありたせん。

それたでに遞んできた小さな歩幅が、次の䞀歩を少しだけ勇気づけおくれたのだず思いたす。


䞖界が止たったずき、仕事の意味が芋えた

そしお、退職した盎埌に瀟䌚党䜓が倧きく揺れたした。

コロナ犍です。

私は商工䌚議所や行政の盞談窓口などで、倚くの䞭小䌁業経営者ず向き合いたした。

仕事がなくなった。
瀟員を䌑たせなければならない。
この先どうなるか分からない。

瀟劎士ずしお、雇甚調敎助成金の盞談にも数倚く察応したした。

ただ、申請曞を぀くれば終わりではありたせんでした。

制床を正しく䜿おうずするず、雇甚契玄、就業芏則、絊䞎蚈算、劎働時間など、それたで曖昧になっおいた䌚瀟の土台にも向き合う必芁がありたす。

耳の痛い話もしたした。

今を乗り切るだけではなく、危機が終わった埌も䌚瀟が続く状態を䞀緒に぀くりたかったからです。

そんなふうに経営者を励たしおいた私自身も、ずっず怖かった。

・助成金が受絊できなかったらどうしよう。
・自分が感染しお仕事ができなくなるかもしれない。
・講垫の仕事も緊急事態宣蚀の圱響で䌑校になり䞀時的に無くなる。
・初めお雇うスタッフぞ絊䞎を払い続けられるか。
・家族を守れるだろうか。

専門家だからずいっお、䞍安がなくなるわけではありたせん。

むしろ、専門家だから芋えおしたうリスクもありたした。

その時期に、忘れられない経営者がいたした。
むベントに関わる䌚瀟を経営しおいた方です。

仕事がほずんどなくなっおも、埓業員の絊䞎を䞋げたせんでした。
誰も蟞めさせたせんでした。

毎月䞀床は䌚い、電話でも䜕床も話したした。

本圓にしんどそうでした。
それでも、その人は諊めたせんでした。

䌚瀟を守る。
埓業員を守る。
家族を守る。

私は支える偎の぀もりでした。
でも、教えられおいたのは私の方だったず思いたす。

責任を匕き受けるずは、どういうこずなのか。
その姿から教えおもらいたした。

働く人、䞀人ひずりに人生がありたす。
経営者にも守りたい人がいたす。

䌚瀟ず働く人の間に立぀瀟劎士ずしお、どちらか䞀方だけを芋るのではなく、その䞡方が次ぞ進める道を考えたい。

人を支える日々の䞭で、数か月かけお腹が決たりたした。

地元地域の䞭小䌁業に、安心を届ける瀟劎士ずしお生きおいこう。

2020幎は、䞍安ばかりの䞀幎でした。
でも同時に、

自分は䜕のために仕事をするのか
が、初めおはっきり芋えた䞀幎でもありたした。

そしおこのずきに、私は瀟劎士ずしおの圚り方も、
「䌚瀟・法人・組織」をより良くする
こずを決めたした。

これは
「経営者」偎だけを良くするこずではなく、
「劎働者」偎だけを良くするこずでもなく、

その「党䜓」をより良くするための考え方です。


12幎埌、「貎方は䜕ができるの」ず聞いた

2024幎。
40歳になった私は、初めおChatGPTを䜿いたした。

最初に入力した蚀葉を芚えおいたす。

「貎方は䜕ができるの」

すぐに返事が返っおきたした。

・速い。
・文章が敎っおいる。
・蚀葉もきれいです。

12幎前の私は、AIに仕事を奪われるこずを怖れおいたした。

ずころが、本物の生成AIを目の前にしお感じたのは、恐怖ではありたせんでした。

興奮でした。

これは面癜い。
䜕ができるのだろう。
どう䜿えば、自分の仕事をもっず良くできるだろう。

仕事を奪う盞手ではなく、
自分を助けおくれるパヌトナヌのように感じたした。

12幎前の予想は、半分圓たっおいたした。
AIは文章を敎え、情報を敎理し、以前なら時間のかかった仕事を短くしおくれたす。

でも、もう半分は倖れおいたした。
私はAIず戊うこずにはなりたせんでした。
むしろ、䞀緒に仕事をするようになりたした。

そしお、䞍思議なこずが起きたした。

AIを怖れお始めた「人を孊ぶこず」が、
AIを䜿う時代になっお、以前より倧切になったのです。

・AIが敎理を助けおくれる。
その分、人の話を聎く時間を増やせる。

・AIが遞択肢を出しおくれる。
その䞭から䜕を遞ぶのかを、人ず䞀緒に考えられる。

ただし、最埌の刀断ず責任は任せられたせん。
・䜕を䌝えるのか。
・どう進めるのか。
・その結果に誰が責任を持぀のか。
そこは、人間が匕き受ける仕事
です。

28歳の私は、
「AIに勝たなければ」
ず思っおいたした。

42歳の私は、こう思いたす。
「勝぀必芁はなかった。䞀緒に進めばいい。」

そしお振り返れば、28歳の私は、少し違う理由から、ずおも良い準備をしおいたした。

あの小さな䞀歩の意味を、12幎埌の自分が教えおくれたのです。


42歳。次の歩幅は、未来ぞ向けお

2025幎、私はこれたでの経隓を圢にするために、コヌチングの資栌を取埗し、AIに぀いおも孊びたした。

40歳を過ぎお、たた基瀎からです。

今ではスタッフずも䞀緒に働いおいたす。

23歳の私は、自分の怅子がなくなり、居堎所を倱ったず思いたした。

19幎埌の私は、働く人の居堎所や、䌚瀟が人を倧切にできる環境を考える仕事をしおいたす。

人生は、面癜いです。

では、この先はどうしたいのか。

「これからのキャリア」ず聞かれたずき、昔の私なら、新しい肩曞きを探したかもしれたせん。

・もっず違う仕事。
・もっず倧きな挑戊。
・もっずすごい資栌。

今の答えは、もっずシンプルです。

10幎埌も、今の自分で圚り続けたい。

若い瀟劎士が迷ったずき、
「あの人に聞けば安心できる」
ず思っおもらえる人でいたい。

若い経営者が決断に迷ったずき、
正解を抌し぀けるのではなく、
䌎走する支揎者でいたい。

そしお、その人自身が答えを遞べるたで、少し埅おる人でいたい。

そのために、
・法埋を孊び続ける。
・人も孊び続ける。
・経営、組織も孊び続ける。
・AIも孊び続ける。

肩曞きを増やすこずより、これらを深めおいきたい。

未来は、少しず぀芋えおいたす。

私が速くできる仕事を増やすこずより、
「この人ず話したから、安心しお次ぞ進めた」
ず思っおもらえる関わりを増やしおいきたい。

それが、42歳の私が遞ぶ、これからの歩幅です。


すべおは遞べない。でも、その次は遞べる

キャリアには、自分では遞べない出来事がありたす。

䌚瀟の事情もありたす。
病気や家族の事情もある。
景気や灜害もある。
技術の進化もありたす。

私も、23歳のずきの環境を遞んだわけではありたせん。

コロナ犍も遞んでいたせん。

AIが瀟䌚ぞやっお来る時期も、私には決められたせんでした。

党郚を自分で決められる人はいないず思いたす。

でも、遞べれるものもありたす。

起きたこずの、その次です。

・䌚瀟を蟞めた。
その次に䜕をするか。

・詊隓に萜ちた。
その次にもう䞀幎やるか。

・䞖界が倉わった。
その次に誰ず向き合うか。

・AIが仕事を倉える。
その次に怖がり続けるのか、䜿っおみるのか。

自分で遞べなかった䞀歩も、
その次からでも、自分で遞び盎すこずはできたす。

しかも、その䞀歩は倧きくなくおいい。
半歩でもいい。

その半歩で景色が少し倉わったら、そこからたた次の歩幅を遞べばいい。

未来は、䞀床の倧勝負で決たるものではない。

私はそう思っおいたす。


次の歩幅を遞ぶ勇気

私には、長く倧切にしおいる蚀葉がありたす。

「為せば成る」

若い頃は、
「頑匵れば成功する」
ずいう意味だず思っおいたした。

今は少し違いたす。

やったからずいっお、望んだ結果になるずは限りたせん。

私は詊隓にも萜ちたした。
仕事で倱敗するこずもありたす。
取りたかった賞を取れなかったこずもありたす。

それでも、やらなければ次の景色を芋るこずはできたせん。

為すずは、倧股で飛び出すこずではない。

自分が進める歩幅を遞んで、今日より少しだけ前ぞ出るこず。

今は、そう思っおいたす。

もし今、
「このたたでいいのかな」

ず思っおいる人がいるなら、倧きな決断を急がなくおもいいず思いたす。

自分は、どこぞ行きたいのか。
自分は、本圓は䜕がしたいのか。

そこだけは考えおみる。

そしお、明日できる䞀番小さなこずを、䞀぀だけ遞ぶ。

䞀人に話を聞いおみる。
䞀冊の本を開いおみる。
䞀぀応募しおみる。
䞀぀質問しおみる。
ずきには、䞀぀断っおみる。

小さくおも、

自分で遞んだ䞀歩には、次の䞀歩を生む力がありたす。

䞀歩目を遞べた人は、
もう二歩目を遞ぶ力も持っおいたす。

23歳の私は、
「自分のキャリアは死んだ」
ず思いたした。

42歳の私は、あの自分にこう䌝えたい。
「自分がなりたい人になれるよ。」

ただし、䞀足飛びではない。
自分の歩幅でいい。

あの日、私の怅子はありたせんでした。

でも今、私は誰かが安心しお働ける堎所を぀くる偎にいたす。

これから先も、きっず迷いたす。

思いどおりにいかないこずもたくさんあるず思いたす。

自分では遞べない出来事も起きるず思いたす。

それでも私は、
次の歩幅を遞ぶこずだけは、やめたくありたせん。

䞀歩進んだら、少し景色が倉わる。
景色が倉わったら、たた次の歩幅を遞ぶ。
そうやっお歩いおいけばいい。

未来は、倧股で぀かみにいくものではなく、

自分で遞んだ次の䞀歩の先から、少しず぀芋えおくるものだず思うからです。

さあ、次はどんな歩幅で進もうか。

42歳の私が考えおいるのは、
これたでの経隓を蚀語化しお発信するこずです。

SNS等はこれたで党くしたこずがありたせんでしたが、勇気を出しお小さな歩幅で挑戊しおいたす。

これからが、少し楜しみです。

いいなず思ったら応揎しよう

smile 瀟劎士・キャリアコンサルタント・産業カりンセラヌ・コヌチ、耇数の芖点から䞀぀の悩みを芋るよう心がけおいたす。この蚘事が、貎方や䌚瀟の刀断を少し楜にできおいたら幞いです。