【第1話】「こんなオタクに馬鹿にされてたまるか」──僕のエンジニア人生が始まった日
僕のエンジニア人生は、きれいな動機から始まったわけではありません。
正直に言うと、「悔しさ」と「怒り」が原点です。
ストーリー記事として、これから僕自身の今までのエンジニア人生の振り返りを紹介したいと思います。全8話の予定です。
■ ファミコンとWindows95に育てられた子ども時代
小・中学生の頃、ちょうどゲーム機器の進化と重なった世代でした。
ファミリーコンピューターからゲームボーイ、スーパーファミコン、プレイステーション、そしてWindows95の登場まで。
生活の中に自然とコンピューターが入り込み、特別意識せずとも触れていました。
知らないうちに、「コンピューターとはこういうものだ」という感覚が自分の中に育っていった時期です。
■ 就職氷河期に、情報システム子会社へ
1997年。大学では情報工学を専攻しました。
当時はインターネットもまだそこまで普及していませんでしたが、1人1台ノートPCを購入するような学科で、UNIX実習やソフトウェア開発に触れる機会が多くありました。
2000年。就職氷河期の真っ只中で、地元の製造業の情報システム子会社から内定をもらいました。
面接で社長から「何がしたいのか?」と聞かれ、
「自分の作ったパッケージソフトを世に出したい」
と答えたことが決め手だったようです。
当時は深く考えずに言った言葉でしたが、今思えば、この一言が最初のキャリアの分岐点でした。
■ 汎用機カルチャーの中に放り込まれた違和感
最初に配属されたのは、親会社の基幹システムの保守部門。
そこに広がっていたのは、緑と黒のCUI画面。汎用機とオフコンが当たり前の世界でした。プログラム言語はCOBOL。
大学までPCやUNIXの世界にいた自分からすると、率直に「時代遅れじゃないか?」という違和感がありました。
けれど、当時の先輩エンジニアたちは、その世界で長く経験を積んできた人たちばかり。
環境のギャップに戸惑いながらも、日々の業務をこなしていました。
■ 事件が起きた。「こんなこともわからないのか」
ある日、PCのセットアップ作業を任されたときのこと。
ただのBIOS設定ミスだったのですが、先輩からの一言が刺さりました。
「こんなこともわからないのか」
胸の奥がカッと熱くなりました。
率直に言えば、
「許せない。こんなオタクに馬鹿にされてたまるか」
という感情でした。
しかし同時に、
「これは事実だ。自分は圧倒的にスキルが足りない」
という冷静な自覚もありました。
その日は一度落ち込みましたが、帰り道にはすでに「どう見返すか」を考えていました。
書店でパソコンの本を立ち読みし、帰ってからネット(時代はようやくADSL)で調べ、翌日には行動の計画が固まっていました。
■ ボーナス全額を握りしめて、PCショップへ
初めてのボーナスを全額握りしめて、街のパーツショップへ向かいました。
店頭のポップを読みながら、「これを組み合わせるとどんなことができるのか」とワクワクしたのを覚えています。
人に頼って学ぶより、自分で試して失敗しながら覚える方が性に合っていた。
だから自作PCやネットワーク構築の世界は、自分にとって居心地がよかったのだと思います。
当然、失敗や無駄な買い物もいっぱいしました。
睡眠時間を削って夜中までパーツと格闘し、Linuxを入れ、ネットワークを設定し、気づけば朝になっている。
そんな日が続きました。
“悔しさ”から始めた行動でしたが、気づけばその感情は“推進力”に変わっていました。
■ 怒りは長続きしない。けれど「行動」は残る
先輩を見返すために始めた独学でしたが、
その後の技術習得、考え方、姿勢――すべての基盤になりました。
振り返ると、あの日の出来事がなければ今の自分は確実にいません。
■ 若手エンジニアへ伝えたいこと
悔しさや怒りから始まってもいい。
モチベーションの種類は、綺麗である必要はありません。
大事なのは、その感情を 「行動」に変えられるかどうか です。
僕はあの日、
「こんなことで終わる自分でいたくない」と思い、動きました。
エンジニアとしての成長曲線は、
往々にして“感情”から始まります。
あなたの人生のスイッチは、どこにありますか?
もし今、何かに悔しさを感じているなら、それは前に進むチャンスかもしれません。
第1話はここまでです。
次の第2話では、「技術では勝っていたのに、勝負に負けた」若手時代のエピソードを書いています。
マガジンにも追加していきますのでフォローしてお待ちください。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます! 