息子の「ごめんなさい」に、涙が出そうになった日
怒っていたはずだった。
なのに最後は、
涙が出そうになっていた。
思春期の息子のたったひと言が、
父親の心を静かに変えた夜だった。
思春期まっただ中の息子がいる。
最近の彼は、返事ひとつとっても少しとげがある。
こちらの言葉に素直にうなずくことは少なくなって、時には親を突き放すような言い方をすることもある。
でも、そんな姿を見るたびに、私は自分の思春期を思い出す。
私だってきっと、同じように親に対して生意気な口をきいていた。
だから、成長の途中なのだということはわかっている。
それでも、親として聞き流せない言葉というものがある。
ある日、お風呂掃除のことについて、息子が口にしたひと言が私の耳に届いた。
たしかに、私にも落ち度はあった。
そこは素直に認めなければいけないと思った。
けれど、そのあとに続いた「きれいになってないじゃないか」というような言葉に、私は胸の奥が熱くなった。
私は目が見えない。
だから、お風呂掃除も、目で確認しながらやることはできない。
手で触れながら、感覚を頼りに少しずつ確かめていく。
どこにぬめりが残っていないか。
どこに汚れがあるか。
毎日、手でひとつひとつ確認しながら洗っている。
見えないということは、ただ不便だというだけではない。
人には見えないところで、何度も工夫し、何度も確かめ、何度もやり直しながら暮らしているということでもある。
でも、その苦労は、家族だからといって自然に伝わるものでもない。
近い相手だからこそ、つい説明しないままになってしまうこともある。
そのとき私は思った。
これはちゃんと伝えなければいけない。
怒りのままではなく、父として、自分の思いを。
そこで私は、息子が風呂に入り、体を洗い始めるタイミングを待った。
我ながら、ずいぶん作戦めいた父親である。
でも、それくらい伝えたいことがあった。
タイミングを見て、私は勢いよくバスルームのドアを開けた。
家中に響くんじゃないかというくらいの勢いだったと思う。
まず、自分の落ち度について謝った。
そこは曖昧にしたくなかった。
父親だからといって、いつも正しいわけではない。
悪かったことは、きちんと先に認めたかった。
そのうえで、私は言った。
「でも、もし目隠しをしてお風呂掃除をしたら、完璧にきれいにできるだろうか」
それは責めるための言葉ではなかった。
わかってほしかったのだ。
見えない中で暮らすことが、どれだけ手探りの連続なのかを。
それでも私は父親として、家族のために、毎日できることを精いっぱいやっているのだということを。
私は浴槽を手でバンバンと叩きながら、
「毎日こうやって洗っているんだ」
と伝えた。
今思えば、なかなか迫力のある父親だったかもしれない。
でもそのときの私は、本気だった。
少し熱くなっていたし、少し傷ついてもいたのだと思う。
きれいにしたつもりだった。
ちゃんとやってきたつもりだった。
その思いごと、否定されたような気がして、悲しかった。
しばらくして、息子の空気が変わったのがわかった。
言い返してくる気配が消えた。
さっきまでのとげとげしさが、すっと静かになった。
そして返ってきた。
「ごめんなさい」
そのひと言を聞いた瞬間、私は胸が詰まりそうになった。
「ごめん」ではなかった。
「ごめんごめん」でもなかった。
「すみません」でもなかった。
「ごめんなさい」だった。
私の記憶では、息子の口からその言葉を聞いたのは、初めてだったように思う。
もし自分が同じ年頃だったら、きっと素直には謝れなかったと思う。
言い返したかもしれないし、ふてくされたかもしれない。
でも息子は、違った。
ちゃんと受け止めて、ちゃんと謝った。
さっきまで怒っていたはずなのに、バスルームを出るころには、涙が出そうになっていた。
開けた窓から入る空気まで、どこかやわらかく感じた。
ああ、この子はちゃんと育っているんだなと思った。
子育ては、思い通りにはいかない。
腹が立つ日もある。傷つく日もある。
それでも、こんなふうに心が触れ合う瞬間があるから、親でいることはやめられないのだと思う。
あの夜、バスルームで交わした短いやりとりは、ただの親子げんかではなかった。
あの「ごめんなさい」は、
私にとって、叱った結果ではなく、
息子のやさしさと成長にふれた、
忘れられない贈りものになった。
見えない映像クリエイターが作った動画
全盲の父が子育てで見つけた「触れることで伝わる安心」を、AI映像で描きました。息子の「ごめんなさい」が教えてくれたように、家族の絆は目に見えない形で結ばれています。
https://www.youtube.com/watch?v=NBCx1nsXxBI
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