タイの湯気ノムコウ vol.36イメージを可視化すると、すれ違う私たち
― ステレオタイプの向こう側で ―
昼下がりの壁に、
どこかで見たことのあるような
“日本”が貼られていた。
赤い丸。
着物。
刀。
少しだけ誇張された、
けれど迷いのないイメージ。
その下には、無機質に「TOILET」と書かれた黒いプレート。
妙に現実的で、少し笑ってしまう。
夜になると、
この国のイメージが浮かび上がる。
観光地の古い建物の壁に、
タイ人らしき顔が大きく描かれている。
首元には、鮮やかな装飾。
どこか「民族的」で、「伝統的」で、
そして少し“わかりやすく”整えられている。
月明かりの下で見るその顔は、
静かで、どこか演出されたようにも見えた。

気づけば、どちらも同じ構造をしている。
タイ人が思い描く「日本」。
観光客が思い描く「タイ」。
どちらも、
本当の姿ではない。
でも、完全な嘘でもない。
人は、理解するために、
まず“単純化”する。
それがなければ、
遠い国はいつまで経っても遠いままだ。
けれど同時に、
その単純化は、
その国の奥行きを削ってしまう。
刀のある日本は、
もう日常には存在しない。
けれど、日本人自身もまた、
どこかでそのイメージを受け入れている。
同じように、
観光客が見るタイもまた、
現実の一部を切り取ったものに過ぎない。
民族衣装を着る。
象にまたがる。
首長族に会う。
たぶん、どちらも間違っていない。
ただ、少しだけ現実が足りないだけだ。
旅をするとき、
本当に面白いのは、
その“小さなズレ”に
気づいた瞬間なのかもしれない。
そしてそのズレは、
旅の中で出会うものが、
いつも少しだけ
整えられているからこそ生まれている。
見せる側も、
見る側も、
お互いに“わかりやすい形”を選んでいる。
だからこそ、
その国の本当の姿は、
観光地の外れや、
何気ない会話や、
ふとした沈黙の中に、
静かに残っている。
写真には写らないし、
インターネットにも載らない。
けれど、
確かにそこにあるもの。
その“わかりやすさ”と
“本当らしさ”のあいだを、
行ったり来たりする時間こそが、
旅の輪郭を少しずつ
リアルに立ち上げていく。
そして気づく。
自分自身もまた、
どこかの国を、
“わかりやすく整えられた存在”として
見ているのだということに。
タイの湯気ノムコウでは、
そんなふうに、
見えているものと見えていないものの
あいだにある、小さな隙間や
静かな温度差を、これからも
そっとすくっていきたいと思う。
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