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航西日記(31)

著:渋沢栄一・杉浦譲
訳:大江志乃夫

慶応三年四月四日(1867年5月7日)


晴。フランス、パリ。

朝、パノラム(パノラマ・円形の見世物みせもの小屋ごや)に行き、伊墺いおう戦争せんそう(イタリア・オーストリア戦争・第二次イタリア独立戦争)の際に、仏蘭西フランス援兵えんぺいを出して勝利した時の図を見る。

シャンゼリゼー博物館の側にあって、周囲は円形で、およそ十間じっけん四方しほう(約18メートル)もあろうか、入り口でかさつえあずかり、木戸銭きどせんは一人一フランである。

中央から階段で螺旋状らせんじょうのぼると、どうの中央の一番高い所に出る。

その所は、山のいただきしてあり、そのかたわらには大砲たいほう小銃しょうじゅう破裂はれつしたのや、弾丸だんがん破片はへんなどがあって、その実況じっきょうを知ることができる。

やや遠くを見ると、四方の山間さんかん屈曲くっきょくの模様や、遠近の道路どうろ縦横じゅうおうの位置、樹木の疎密そみつから烟雲えんうん(たちのぼるけむりのこと)の出没しゅつぼつまで、ことごとくそなわり、墺太利オーストリアの軍勢と仏蘭西フランス兵卒へいそつ乱戦らんせんおよび、双方そうほう軍威ぐんいが、まさにさかんな状態が描かれてあり、特に人物が大きくえがかれている箇所かしょでは、しんせまっている。

特に仏蘭西フランス皇帝こうていが、側近および騎兵や大砲をひきいて、墺太利オーストリアぐんかおうとするところに、彼方かなたから発した弾丸が、みかど侍医じいの馬に当たって、馬ががるさまを皇帝が振り返る情景や、そのうしろにしたがう騎兵も弾丸に当たって落馬らくばする者もあり、また、こちらから発した大砲が彼方かなた火薬庫かやくこに当たって、人馬じんばともにけ、車輪は空中に飛揚ひようし、その火色ひいろ物凄ものすごいまでに見え、双方そうほう死傷ししょうおびただしい情況じょうきょう、あるいは騎兵歩兵砲兵が山間を馳駆ちくし、または、村落のはしから突出とっしゅつしてわたい、小銃大砲を発し、歩兵がみだれて白兵戦はくへいせんえんじ、傷者しょうしゃを運び、つかれた兵が一息ひといきいれるさま、あるいは、一所ひとところの味方が苦戦しているのを見て、他方たほうからせて、これを救う状態、あるいは、大将とおぼしいいさましくよそおった者が、兵卒を指揮しきしていたところを散兵さんぺい狙撃そげきされて落馬するさまなど、いろいろな有様ありさまが、ことごとくえがかれている。

戦場の形状はたりに見るようである。

もっとも仏蘭西フランスほうの勝利に見える。

将官しょうかんなどは、その時の写真によってえがいたものであるという。

案内人が、いろいろ説明するけれども、わかりにくい。

全体の画図がとは、油絵あぶらえで、円形によって勾配こうばいをつくり、遠近えんきん距離感きょりかんなどをしめしている。

その模写もしゃ精巧せいこうなので、見る人に実地じっちにあるような感じを起こさせ、しきりにうでやくし(腕を強く押さえ)、手につばする(夢中になる)者もあるのは、滑稽こっけいである。

そもそも、油絵は、欧州おうしゅう(ヨーロッパ)では、昔から珍貴ちんきなものとされ、名人のふでいたっては、一枚のがく数千金すうせんきんあたいするという。

ただ、このみ、がんもてあそぶのではなく、今、このが、そのみょうきわめ、当日の景況けいきょう今日こんにちに伝えているのを見ると、これも世用せようくことのできないものだと見える。

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