神を祀った廣田・生田・長田の地
神功皇后の伝承地を巡る ⑰ 神を祀った廣田・生田・長田の地
神功皇后の伝承地を巡る旅も、再び畿内へ戻ってきました。今回は、神功皇后が大和へ戻る途上で神を祀ったとされる兵庫県の廣田・生田・長田の三社を、地理・氏族・軍事の観点から読み解きます。
あらすじ
『日本書紀』によれば、皇后は穴門豊浦宮で仲哀天皇の遺骸をとりおさめ、海路を京へ向かったと記されます。
一方その頃、大和では、皇后の帰還を阻もうとする勢力が動き始めていました。誉田別皇子(応神天皇)の誕生によって皇位継承が危うくなった異母兄の麛坂王と忍熊王が、皇后一行を討とうと、偽りの仲哀天皇陵をつくって遺骸を運んでくる皇后と皇子を待ち構えます。この緊迫した舞台とされるのが、現在の神戸市垂水区にある五色塚古墳です。
毎回申し上げていることでが、私は神功皇后の時代を4世紀後半と考えています。そのためこの4世紀後半に築造された巨大古墳は、神功皇后の物語を読み解く上で大変重要な鍵になるのですが、その全貌は次回に掘り下げることとし、先に、皇后が大和へ戻る途上で神を祀った廣田・生田・長田の神社三社について書きます。
待ち構える麛坂王・忍熊王は、事が成就するかを占うために狩り出かけました。ところが「赤い猪」が飛び出してきて麛坂王は食い殺されてしまいます。これは大変不吉な前兆であるとして、忍熊王は難波(大阪)まで陣を引いたと記されます。
実際のところは、麛坂・忍熊軍は緒戦に敗れて、麛坂王が戦死、それで後退を余儀なくされた、、という想像も出来ます。
忍熊王が難波で待ち構えているのを知った皇后は、軍を二手に分け、武内宿禰と皇子を紀伊水門へ向かわせて、自身はまっすぐ難波へ向かいます。
しかし、神功皇后の船は途中、海の中でぐるぐる廻って進めなくなりました。そこで務古水門(武庫川河口付近。兵庫県西宮市と尼崎市の境あたり)へ戻り、占いをします。
そうすると、まず天照大神が皇后に、「広田国にわが荒魂を祀れ」と託宣します。そこで山背根子の女の葉山媛に祀らせました。それが現在の廣田神社です。
次に稚日女尊が「活田長狭国におりたい」と言ったので、海上五十狭茅に祀らせます。これが生田神社です。
そして 事代主神が現れて、「われを長田国に祀れ」と託宣します。そこで葉山媛の妹の長媛に祀らせたのが、長田神社です。
教え通りに神を祀ると、無事に海を渡ることができ、忍熊王は宇治(京都府宇治市)まで退却を余儀なくされます。宇治へ退却するルートは記されていませんが、淀川を行くのが最適解かと思います。
地図でそれぞれの位置を確認しておきましょう。

『日本書紀』の記述にある 「難波」は、大阪の繁華街の「なんば」ではありません。読み方は「なにわ」で、大阪の広い範囲を意味します。麛坂王・忍熊王が狩りを行ったと記されるのが現在の大阪市北区兎我野町周辺(大阪駅や梅田駅の近く)とされますから、記述と照らし合わせると、地図にマークした辺りで待ち構えていて、淀川を遡って宇治へ敗走したと考えるのが自然な気がします。
※4世紀頃の海岸線は、今よりだいぶ内陸に入り込んでいましたので、それぞれの神社やマークした位置は、今とは違い海岸・河口付近に位置したと考えられます。
次に、それぞれの神社を紹介していきます。最初に一覧表を載せておきますね。

神託により神を祀った三社
廣田神社
所在地 : 兵庫県西宮市大社町7-7
御祭神 : 天照大御神之荒御魂、他四柱。
『日本書紀』に創建が記され、しかも「天照大御神の荒魂」を祀る社ですので、古来、朝廷からの崇敬は篤く、常に高い社格を有してきた神社です。






前線の“結界”を突破するための天照大神の荒魂
一旦武庫川河口まで退いて占い、そこに天照大神の荒魂を祀るということは、当初は五色塚で待ち構えていた忍熊軍が難波まで退き、武庫川より西はこの時点で皇后軍へ恭順していたと読むことができます。そして最前線の地に、敵の威圧を跳ね返すために天照大神の荒魂という最強の軍事的・精神的カウンターを置いた。と考えます。
生田神社
所在地 : 神戸市中央区下山手通1-2-1
御祭神 : 稚日女尊
神戸市の地名の由来は、この生田社の神戸に由来するとされます。






海上ネットワークを掌握する後方拠点
天照大神の和魂は伊勢に鎮まりますから、生田には、天照大神の若き日の姿(もしくは妹)とされる稚日女尊を祀ったのだと思います。穴門に荒魂を祀り、大和朝廷の港である住吉の津(住吉大社)には住吉神の和魂を祀るのと同じように、自軍の港には、和魂に相当する神を祀ったと言うことです。前線から後方にあり、軍勢を集結するのに適した場所であったのでしょう。
長田神社
所在地 : 神戸市長田区長田町3-1-1
御祭神 : 事代主神
生田神社同様、神戸の地名由来となった神社で、神主職は、明治時代まで大中臣氏の一族である「大中家」が世襲していました。





託宣神を置く“殿(しんがり)”の守り
次に事代主神が現れて、「われを長田国に祀れ」と託宣します。事代主神は大国主の御子神で、出雲の国譲り神話では国譲りを進言した後、青柴垣に隠れた神ですが、宮中八神殿に祀られ、江戸時代になると、商売繁盛のえびす様として信仰されます。様々な顔を持つ神です。
ここでは、古代には「事」も「言」も区別されておらず、神の言葉を伝える「託宣神」という解釈が妥当ではないかと思います。
神主も天照大神の荒魂を祀る葉山媛の妹の長媛です。忍熊王との決戦を前にした話ですから、殿に神の意志を伝える託宣神を西の守りとして置いたと考えることができます。
神主の謎
今回の記事の核心は、実はここからです。
葉山姫と長媛の系譜
天照大神の荒魂を祀るのが葉山媛。 そして長田で事代主神を祀ったのが、葉山媛の妹の長媛です。 彼女らは、山背根子(山代国造の祖)の娘とされます。山背根子は『新撰姓氏録』では、天御影命の11世孫 。『先代旧事本紀』では天目一箇神の後裔と記されます。天御影命と天目一箇神は同神とする説があり、いずれも天津彦根命(天照大神と素戔嗚命の誓約によって生まれた五男神の三柱目。ちなみに一番目が天皇家のルーツとなる天忍穂耳命)の系譜に連なります。
その系譜からすると、同じく天津彦根神を祖神とする凡河内氏も同祖ということになります。
凡河内氏との接続
凡河内氏の「凡」は「広い領域」や「全体を統括する」という意味があります。後に摂津国に分割されますが、元々兵庫県南部は河内国でした。つまり廣田も長田も、山背根子と同祖である凡河内氏が支配する領域であったと考えられます。
廣田~長田ラインの意味
廣田から長田という東西ラインの両端を、凡河内氏の一族に祀らせることによって、神功皇后はこの地域の霊威と動員力を自陣へ組み込んだのではないでしょうか。
稚日女尊を祀った海上五十狭茅とは
神功皇后紀には、生田の神主・海上五十狭茅とは別に、五十狭茅宿禰という人物が登場します。海上五十狭茅とその五十狭茅宿禰を同一人物だとする説があります。しかし五十狭茅宿禰は忍熊王側の人物で、忍熊王とともに自決した人物ですから、話の展開からすると、同一人物とは考えにくく、結局のところ海上五十狭茅についての詳細はわかりません。
私は、廣田・長田が地縁氏族でラインを固める社で、生田は海上ネットワークを掌握するための拠点と考えています。そう考えるならば、海上五十狭茅は、住吉神と関連があり、航海や造船技術に秀いでた人物であった可能性が高いです。
おわりに
廣田・生田・長田の三社を紹介しながら、それぞれに祀られる神と、神主について考えてみましたが、いかがだったでしょう。
少し次回の五色塚古墳の話に触れると、私は神功皇后と麛坂王・忍熊王の戦いは、4世紀後半におこった大和政権内の勢力争いを描いたものだと考えています。「皇統断絶」や「王朝交代」といった二元論ではありません。大和政権内の旧勢力と新興勢力の争いです。
その旧勢力の勢力圏の西端が五色塚古墳で、古墳は勢力圏の「結界」だったと考えています。今回紹介した廣田・生田・長田の三社に神を祀ったという記述は、神功皇后がその結界を突破し、内側のラインを無力化していったと解釈するわけです。
大和政権内の勢力争い、五色塚古墳の「結界」の意味、勢力図を塗り替えるキャスティング・ボードを握った氏族のことを次回掘り下げます。
五色塚古墳を読むことは、神功皇后の物語を「地理」と「勢力図」で立体的に捉えることにほかなりません。これまで点として見てきた伝承地が、ここで一気に線となり、面となります。どうぞお楽しみに!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
番外編
記事本文では取り上げませんでしたが、事代主神の後に、住吉三神が「わが和魂を大津渟名倉之長峡に祀れば、往来する船を見守ることができる」と託宣し、教えの通りにそこに住吉三神を祀ったと記されます。
三社に加えて住吉神を祀ることで、皇后は完全にこの海域の制海権を掌握したことになります。そしてこれが大阪の住吉大社の創始とされるのですが、、
実は神戸市東灘区には本住吉神社があります。神社では『日本書紀』に記される「大津渟名倉之長峡」は当社だと主張します。そして住吉大社も当社から勧請したものだと。
今回の記事は住吉大社をイメージして書きましたけど、どうなんでしょうね。
歴史の糸は、手繰れば手ぐるほど複雑に絡み合いますから……。
「今日は、これくらいにしといたるわ」(池乃めだか風)😁


【参考文献】
『日本書紀Ⅰ 』井上光貞監訳 中公クラシックス
『全現代語訳 日本書紀 上』 宇治谷孟 講談社学術文庫
『新版古事記 』中村啓信 角川ソフィア文庫
『先代旧事本紀 現代語訳』 安本美典・志村裕子 批評社
『特選神名牒』上巻・下巻 八幡書店
國學院大學 神名データベース
ナレッジジャパン検索『日本国語大辞典』 『日本歴史地名大系』『古語大辞典』ほか。
掲載神社の由緒・社伝
画像は全て筆者現地撮影
執筆にあたり、AI(Gemini 、ChatGPT、Copilot)を活用してブレインストーミングを行いました。
