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反論と喧嘩

反論することと喧嘩を買うことは違うと意識するようにしています。

違いを改めて考えてみました。パッと思いつくところで一つは言い方、もう一つは目的かなと思います。

何かを守るために反論することは必要な場面があります。誰もがすべてに気を配ることは難しいから、自分の大切なものが他人から蔑ろにされてしまうことは、人間が社会的に生きている以上どうしても生じる現象だと思います。その状況を打開するために、強い表現を持ち出さざるをえないときがあります。

そうではなく、ただ相手の虫の居所が悪かったり、コンディションが悪かったり、デリカシーがない性質だったりすることによってカチンとくることをいわれたときには、やり返さないように気をつけています。何かを守る場面と違って、やり返す理由がないからです。冷静に考えて理由がないのにやり返してしまうのは、カチンときて冷静ではなくなってしまっているからで、そういう冷静でない反射的な行動を取ってよかった試しは、経験上ないような気がします。

私が少し前に生み出した方法で、カチンとくることをいわれたら、きょとんとした感じを出すようにしています。カチンとくることを言ってくる相手こそ冷静でないことが多いので、大抵の場合は、こちらがきょとんとするとすぐにちょっと熱が引いて、トーンダウンします。そのトーンダウンにはきっと相手の反省が含まれていると考えて、カチンときた発言を許す(不問にする)ことにしています。たぶん私もそういう発言をしてしまうことがあると思うので。

たまに、トーンダウンせずにヒートアップしてくる人がいます。そういう人はこちらを舐めているので、私も自分や私が守るべきものの尊厳を守るために反論することが多いです。

相手が仕事上のお客さんであるときや、反対に相手にする必要が全くないときには、反論せずに、できるだけ早く遠く距離を取るという方法を取ることもあります。でも、この方法は思いの外その後自分の中で引きずります。的確に反撃して自分の中で終わらせることにシフトした方が良さそうに思っています。

ふと、昔書いたこの記事を思い出しました。このときの私は距離を取ることすらせずに我慢をしていたのだと思います。距離を取ったとてまだ燻るような私にとって、さぞかしつらかっただろうと、今振り返ると思います。


★ひとつ前の仕事記事はこちら

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