日本初の北極域研究船がもたらす出会いのお話。
北極域研究船「みらいII」の進水と本格始動
日本初となる砕氷性能を持った北極域研究船(旧称:北極域研究船プロジェクト)が2026年にいよいよ本格的な観測体制に入ります。
これまでは厚い海氷に阻まれて夏場しか観測できなかった海域でも、この船によって通年でのデータ収集が可能になると期待されています。
そんな時こそ読むべき、オススメの本があります。
『オーロラの下、北極で働く』松下準士 著(幻冬舎、2022年)
本に縁がない方も、本はハードルが高いと感じてる方にもお勧めです。
北極の写真も綺麗なのもありますが、何より感情の文法表現が、スマートで感じやすい文法なんです。
という事で、今回この書籍を本文引用含め、簡単に紹介したいと思います。
注:あくまで素人のダイジェストなので、興味が沸いた方は是非とも本書を手に取り読了して欲しいです。
では、はじめます。

※は本文引用
はじめに
生命を寄せつけないと言われる極地の北極。
ノルウェーと北極点の間に位置する北極圏のスバールバル諸島にあるニーオルスンという小さな町。
北極域の研究拠点されるこの町には世界各国の観測施設があり、日本もニーオルソン基地という施設を持っています。
そこで観測に取り組む研究員を支援する長期滞在する事になった技術職員の滞在記。
著者解説
名前:松下準士(まつしたじゅんじ)
南極地域観測隊の隊員として第56次の夏隊、一時帰国して再び越冬隊として参加経験あり。
観測する研究者の技術支援として極地勤務を何度か参加している。極地に惹かれた理由として著者が子供の頃、両親から買って貰った。
アイザック・アシモフが1979年に出版した子供向け科学本シリーズ「南極ってなに?」
この頃から極地に対する憧憬がインプットされたと語っている。
太陽との別れ
成田空港を出発して15時間 ノルウェーの首都オスロ。
翌日、オスロ空港からトロムソへ移動し一泊。
その後、北極圏にあるスバールバル諸島最大の島、スピッツベルゲン島のロングイヤービンで一泊し、最終目的地のニーオルスンまで飛行機で向かう。
北極圏のロングイヤービンに到着「ノルウェーまで1309キロ」「東京まで6830キロ」そしてニーオールソンに向かう飛行機に乗る。
※窓から見えるロングイヤービンの街灯りは次第に小さくなり、真っ黒な闇に飲み込まれて行く。
-中略-
極夜の北極に向かうのは「死」へ向かって進んで行くような不思議な気分になる。
ニーオルスン到着
※飛行機が大きな衝撃音とともに着陸し、停止すると後ろのハッチが開いた。腰を屈めながら真っ白な滑走路へ降り立つ。
人生初となるニーオルスンの空気を目一杯に吸い込むと、鼻腔を抜ける氷点下の空気が、脳裏に南極の凍りついた光景をフラッシュバックさせた。
寒さが痛覚に変わり、空間にある水が全て固体になる極冠の世界。
瞼が凍り、瞬きが凍りがネバネバと粘着質になる感覚に懐かしさを覚え、ネックウォーマーの下で1人ほくそ笑んだ。
現地での著者の仕事は研究者の観測支援。
ニーオルスンでは様々な自然科学の研究が行われており、研究者達は対象物の時系列変化を捉えるため、モニタリング観測を継続をしている。
時間がかかる観測だが研究者がずっと滞在するわけにいかない為に、
自動で稼働する連続観測器を設置していて、完全自動は難しい複雑なオペレーションや、整備などの技術支援で著者は長期滞在する事になっていた。
初めてのライフル
ニーオルスンでは清浄な大気を観測する為に排気ガスを出す化石燃料車を使った移動は原則禁止。
大気観測所へ続く道路の400M手前には「電気自動車のみ」という看板がある。
また、ホッキョクグマから身を守る為に街を出る時はライフルの携行が必要な為、施設やインフラを管理するノルウェーの会社「King Bay AS」通称「KB」が開催する安全講習を受講する必要がある。
無事に講習を終えて後日、修了証を渡された。早速KBからライフルを借りて日本の観測所から大気観測所まで1人歩くことになった。
※満月の光が雪面に反射し、ヘッドライトがいらないくらいに外は明るい。
町から続く一直線の雪道から、夜空に浮かび上がった雪山のシルエットがはっきりと見えかつて飛行機から見えた漆黒の海には煌めく月光の帯ができていた。
到着した時は海と山の方角すら分からなかったが、今は目視で地形がはっきりとわかる。
そして、真っ暗で変哲もない世界にいると思った私が、実は素晴らしく景色の良い場所にいることがわかり、到着した時よりも心は躍動していた。
北極で名前を授かる
ニーオルスンに到着してから2週間ほどが過ぎ、日本の研究員が全員帰ってしまった。
それまで日本人で集まって食事をしていたので、他国の人とあまり話せていなかった。
テーブルには何となくグループが出来ていて、毎回どこに座って食べるから迷う日が続いていた。
ある日、リビングで仕事をしている所、KBの職員達が玄関から入ってきた。著者のジュンジという名前が言いにくそうだった。Jをノルウェー語だとジェイじゃなくヤ行に変わる時があるらしい。
KBの職員達は「他の名前を考えようよ。」著者の名前の隼士の隼(じゅん)はハヤブサとも読む。
ハヤブサは英語でFalcon(ファルコン)、ドイツ語でFalke(ファルケ)KBの2人はソファーに座り考え込んだ挙句、
「ファルケでいいんじゃない?」「そう、ファルケ!」
※こちらの反応を見る事なく名前が決まり、彼らは陽気に帰っていった。単なるあだ名とも違う「ファルケ」という新しい名前。
洗礼を受けたような不思議な気分だ。この名前はミドルネームとして使うことにした。
観測所のお化け
ある日、著者が倉庫で作業をしていると人の話し声が聞こえた。
廊下に通じるドアを開けたが誰もいない。隣接するノルウェー地図局の部屋にも誰もいない。
著者は怖くなり、早めに作業を切り上げて町へ戻った。実は著者は以前からラベン(日本の国立極地研究所)では、誰もいないのに誰かが居るような気配を感じた事があった。
観測時に戻っても静かな部屋で1人でいると不気味になり、倉庫で見つけたカセットプレーヤーでラジオで頻繁に流れてくるデュア・リパを聞いていた、そして聴き過ぎて静かな場所にいても頭の中で流れる様になってしまった。
注:ニーオルスン過去は炭鉱の町であった。そして1962年11月5日、21人の死者を出す炭鉱事故が発生。その事故をきっかけに閉鎖された歴史がある。
極地の美味しいものリスト
大気観測所に行く際に食堂で仲良くなった韓国の滞在員と一緒に向かう事が多かった。
お互い、単独で大気観測所に行くのはちょっと寂しく心細いからだ。そのとある日の帰り道、著者はオーロラが出ていることに気づいた。
※ヘッドライトを消した。空を見上げると、紫色の薄いオーロラが天頂をゆらめいていた。
帰りに彼からボソっと「いつも、ありがとう」と言われた。同行だけではあるが、少しは役に立てたかもしれない。

次第に一緒に食事を摂ったりする仲になり、とある休日の日、韓国極地研究所(KOPRI)が持つ
Dasan観測所の見学に誘われ観測機器の説明を聞き、その後、昼食に招待してもらう。
炊き立ての白米とキムチ。米が日々食堂で出される長い米と違い、日本人が求める米のご飯。
そして食べたいであろうと思って、彼がこのご飯を用意してくれた事に美味しさ以上の感動を味わう。
南極から帰国して講演会などで「何が一番美味しかったですか?」と聞かれる事が多かったが、南極ではプロの調理隊員が作る料理はどれも美味しい。
寒い中で作業をして帰ってから食べるごく普通の温かいトンカツが真っ先に頭に浮かび、いつもトンカツと答えていた。
※美味しいものは世の中にたくさんあると思うが、心にポッと光が灯るような記憶に残るメニューに出会うことは多くない。
韓国の観測所で食べたご飯は、トンカツに続いて、私の「極地美味しいものリスト」に殿堂入りした。
「北極では何が一番美味しかったですか?」という質問の答えはもう決まっている。
北極での別れを知る
日本への一時帰国が近づいてる著者は事務長主催のパーティーが開かれると聞き、
外来用である古い宿泊施設に向かった。
皆が静かに談笑が続いてる中、ダイレクターから事務長へプレゼントらしき物を渡されると、事務長が立ち上がり話をし始めた。
どうやら任期満了で今月、退職する内容であり、この会がお別れ会である事を知った。
ニーオルスンに初めて来た時から彼はコミュニティに入りやすい様に色々と気を使ってくれた人だ。
※パーティーが終わり外に出ると、炎のように激しく動くオーロラが出ていた。
目に映るオーロラと星が滲んでゴッホの『星月夜』のように見えたが、いつもの様に瞼が凍ったわけではなく、それは涙だった。

北極で世界とカンパイ
週末土日のブランチはいつもより豪華で、土曜日はブランチに続いて夜も豪華な料理が提供される。
北極で暮らす日本人が珍しいのか、声をかけてくる人が多い。
同じテーブルでポーランド出身の社員に日本語の乾杯を聞かれ「カンパイ」と答える。
彼にも母国での乾杯を聞いた「Na zdrowie」(ナ・ズドローヴィエ)と教えて貰い乾杯をした。
※彼は「あなたに健康あれ」という相手を思う言葉だと誇らしげに話してくれた。
今日はポーランド語と日本語の乾杯が入り混じっている。他のテーブルからも、真似をして「カンパイ!」という声が聞こえた。
イタリア語の「salute!」という声も聞こえてくる。意図せず、「ありがとう」より先に世界の「乾杯」を覚えてしまった。
北極に迫りくるもの
それまで無縁と思われていた恐怖がニーオルスンにも静かに忍び寄っていた。
2019年末から世界で蔓延していった。コロナウィルス。
ノルウェーにも広がり、ニーオルスン内も感染対策と不要の外出が制限された。
※ニーオルスンでは感染対策としてジムや共有施設の利用が中止となり、食堂では同じグループ内で固まって食事をとるルールが追加された。
町はひっそりとしてゴーストタウンのようだ。後ろから雪道を歩く音がしたので振り返ると、スバールバルトナカイだけが佇んでいた。
各国が次々と渡航制限されるなか日本人チームも著者を含め緊急帰国を決めた。ただ、帰国後、いつニーオルスンに戻れるか誰も分からない不安を抱えて。
北極へ戻る
2021年9月、著者はニーオルスンに戻る。
コロナの影響で出国から入国まで幾つもの関門はあったが、無事ニーオルスン行きの飛行機に搭乗した。
空港に到着し、バスでサービスビルに向かった。玄関に入ると見慣れた顔と再会する事になる。
※あの日、最後の別れを覚悟していたというのに、皆と再会できるとは思わなかった。
それは、世界は広く、一度散り散りになれば、二度と会うことはないと思っていたからだ。
距離という概念で世界の広さを考えていた今までの認識は、どうやら間違っていたのかもれしれない。
同じ目的を持った人間は、そこが北極であろうと、同じ場所で再会できる。地球は広いが、世界は私が思ったより狭かったようだ。
凶暴な鳥とたたかう
著者が大気観測所に向かう際、鳥におそわれる。
キョクアジサシ・・南極から北極を旅する渡り鳥。見た目は可愛いが性格はキツく縄張り意識が強いと思われる。
観測所に巣を作ってしまい、たびたび襲われ格闘していた著者。周囲から鳥と戦う変な日本人と思われていたようだ。
帰るべき場所
長期滞在する事で、帰国まで1ヶ月を切ったが、著者は帰る気が起きなかった。
そんな時、NPI (ノルウェー極地研究所)を退職したエンジニアから久しぶりにメールがきた。※「どっちが家か分からなくなってきた」と思いを伝えると、※「わかる。でも、それはあまりいい状況じゃないね」と返信がきた。
そこで著者は我に帰る。家は日本にある。
いつまでもここに居られないと思い直し、日本に帰る事を受け入れた。
ニーオルスン最後の日
仲間との別れ、飛び立つ飛行機の中から見る小さな町を見て泣く著者。(ここのシーンが2ページ程度しかないのが、印象的)
帰国後、日が経つにつれニーオルスンが離れてく様に感じてた頃、現地で交流のあった韓国の高校生から連絡を受ける。
どうやら卒業旅行で日本へ来るらしい、そして横浜で会う事が急に決まった。
また、現地で出会った作家からも連絡があり、東京に寄る際に会う事になる。
遠くなっても出会った仲間との交流を、本文の終盤で著者はこう綴っている。
※私の意思とは関係なく、ニーオルスンの意思は動き続けており、ニーオルスンで落としきた魂は、皆がバラバラになった欠片を拾って日本まで持ってきてくれるようだ。
いかがでしたでしょうか。本文引用とともに簡単な紹介となりました。
本書ではもっと細かな描写もあり、なのに文法がスマートなので著者の感情と表現が素直に入ってきます。
是非、最新鋭の砕氷船でも到達できない「心の温度」を感じてください。

ただ生きているだけで素晴らしいことがたくさんある。
空の色、風の音、花の香り……。
それらに気づくだけで、人生は豊かになる。
fin

