No.90 小谷城│浅井氏が守り抜いた“北近江の巨大山城”
こんばんは、「ケス」です。
国内旅行業務取扱管理者の資格取得のため、趣味の旅行をより楽しむため、勉強記録を残しています。投稿継続中!
■今日の記録
・テキスト:完全制覇 国内旅行地理
・学習時間:30分
・問題数:25
・学習内容:模擬試験3 (52%)
■名城まとめ【小谷城】
戦国時代の山城には、数多くの名城があります。
その中でも小谷城は、「戦国大名の生き残り」をかけた城として特別な存在です。
この城を本拠としたのは、北近江を支配した浅井氏。
そして城の運命は、織田信長との戦いによって大きく変わっていきます。
■成り立ち|浅井氏の本拠
小谷城が築かれたのは16世紀前半。
築城したのは、浅井亮政とされています。
北近江支配を進めた浅井氏は、この小谷城を本拠として勢力を拡大。
特に浅井長政の時代に最盛期を迎えます。
長政は信長の妹・お市を妻に迎え、織田家と同盟関係を結びました。
しかし、この同盟は後に大きく崩れていきます。
■縄張り|尾根全体を利用した巨大山城
小谷城最大の特徴は、山全体を使った巨大な縄張りです。
城は標高約500mの尾根上に築かれ、
・本丸
・京極丸
・山王丸
・清水谷
など、多数の曲輪が連続配置されています。
〈連続する曲輪〉
尾根沿いに曲輪を並べることで、敵を段階的に迎撃できる構造になっていました。
つまり小谷城は、「登れば登るほど苦しくなる城」だったのです。
〈自然地形を最大活用〉
小谷城は石垣中心ではなく、山の険しさそのものを防御に利用しています。
急斜面や尾根地形を活かすことで、少ない兵でも守りやすい戦国山城となっていました。
■戦い|姉川の戦い
1570年、浅井長政は信長との同盟を破棄。
越前の朝倉氏側につきます。
これによって発生したのが、姉川の戦いです。
〈織田・徳川 vs 浅井・朝倉〉
戦いは、
織田・徳川連合軍
浅井・朝倉連合軍
の激突となりました。
激戦の末、織田・徳川側が勝利。
しかし浅井氏はすぐには滅びず、小谷城を拠点に抵抗を続けます。
〈小谷城落城〉
1573年、信長軍はついに小谷城を総攻撃。
浅井氏は追い詰められ、小谷城は落城。
浅井長政は自害し、浅井氏は滅亡します。
つまり小谷城は、「戦国大名・浅井氏の終焉の地」となったのです。
■現在の見どころ|戦国山城を体感できる城跡
現在の小谷城は、山城跡として整備されています。
見どころ①〈本丸跡〉
山上にある本丸跡。
周囲を見渡せる景観から、「なぜここに築いたのか」がよく分かります。
見どころ②〈曲輪群〉
小谷城最大の魅力。
尾根上に曲輪が連続し、“山全体が城”だったことを実感できます。
見どころ③〈大堀切〉
山城らしい巨大堀切も残存。
敵の進軍を断ち切る工夫を見ることができます。
見どころ④〈浅井氏ゆかりの地〉
周辺には、お市の方や浅井三姉妹ゆかりの史跡も点在。
戦国ドラマを感じながら巡れるのも魅力です。
■まとめ
小谷城は、
・浅井氏の本拠となった巨大山城
・尾根全体を利用した実戦的縄張り
・姉川の戦いから滅亡へつながる舞台
という特徴を持つ名城です。
*最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
「♡」していただけると励みになります。
この記事を「いいな」と感じたら、気軽に押してもらえると嬉しいです。*
