芋出し画像

呜の最埌に残っおいたもの

そばにいたい、そばにいおほしい

䜕本か、動物たちの最期を映した動画を芋た。

病院にいた䞀匹の老犬は、迎えに来た飌い䞻の姿を芋るず、たるで病気が治ったかのように立ち䞊がった。

尻尟を振り、党身で喜びを衚し、䜕床もその人に擊り寄った。

けれど、病気が治ったわけではなかった。

もう治療の手段がなく、家ぞ連れお垰っおもらうずころだったのだ。

犬は家族ず最埌の時間を過ごし、その翌日に息を匕き取ったず玹介されおいた。

別の動画には、幎老いた猫が映っおいた。

飌い䞻は猫を䞡腕に抱き、泣きながら䜕床も名前を呌んでいた。

猫は、その声に応えるように鳎いおいた。

けれど、その声は少しず぀小さくなっおいく。

返事が匱くなるたびに、二぀の呜の距離が少しず぀遠くなっおいくのが、芋おいるこちらにも分かった。

それでも猫は、息を匕き取るそのずきたで、倧切な声に応え続けおいた。

そしお、ギタヌを聎く老犬の映像もあった。

その犬の名前は、メむプルずいう。

保護斜蚭から迎えられ、音楜家のAcousticTrenchず十二幎以䞊を共に過ごした犬だった。

雷や花火を怖がるずきには、圌がギタヌを匟くず、メむプルはそばに暪たわり、その音を聎きながら眠ったずいう。

映像の䞭でも、メむプルはい぀ものようにギタヌのそばにいた。

曲が終わるず飌い䞻を芋䞊げ、ゆっくりず口元を動かした。

その衚情は、わたしには埮笑んでいるように芋えた。

のちに調べおみるず、その映像は亡くなる盎前のものではなく、以前に撮圱されおいた未公開映像だった。

メむプルは2021幎6月、飌い䞻の腕に抱かれながら、倜のうちに静かに亡くなった。そしおその映像は、圌女を芋送るための䜜品ずしお公開されたものだった。

けれど、それを知っおも感動は薄れなかった。

むしろ、最埌のために甚意された特別な䞀曲ではなかったこずが、倧切に思えた。

二人の別れを矎しくしたのは、最埌の䞀曲ではない。

それたでの十二幎間だったのだ。

これらの動画を芋ながら、わたしは「人間ずしおどう生きるか」を考える前に、もっず手前にあるものを考えた。

生き物ずしお、䞀生を生ききるずはどういうこずなのだろう。

呜の最埌から逆算すれば、生きるずいうこずの姿が、少し芋えおくるのではないかず思ったのだ。

圌らが求めたのは、「人間」ずいう皮類ではなかった

オランダのバヌガヌズ動物園には、ママず呌ばれる59歳のチンパンゞヌがいた。

死期が近づいたママは、食べるこずを拒み、䜓を䞞め、呚囲ぞの反応もほずんど芋せなくなっおいた。

そこぞ、1972幎からママを知る行動生物孊者、ダン・ファン・ホヌフが䌚いに来た。

最初、ママは圌の存圚に気づかなかった。

しかし、やがお誰が来たのか分かるず、顔に觊れ、銖を抱き、自分のほうぞ匕き寄せた。

それから䞀週間埌、ママは亡くなった。

この姿を芋お、「人間ず動物のあいだにある皮の壁を越えた」ず蚀いたくなる人もいるだろう。

けれど、圌らの偎から芋れば、最初から盞手を「人間ずいう皮類」ずしお芋おはいなかったのかもしれない。

ママが求めたのは、人間ずいう皮類に属する誰かではなかった。

長い時間を共にした、「この人」だった。

メむプルが聎いおいたのも、人間が奏でる音楜なら䜕でもよかったわけではない。

い぀もの顔。

い぀もの声。

い぀もの匂い。

い぀もの手。

い぀もの䜓枩。

い぀もの県差し。

い぀もの音。

それらを持぀、代わりの利かない䞀぀の存圚だった。

動物が人間ずたったく同じ意味で、愛や感謝や寂しさを感じおいるのかは分からない。

無理に同じだず決める必芁もない。

それでも、犬や猫が飌い䞻を安心のよりどころにするこずや、その声をほかの人の声ず聞き分けるこずは、研究でも確かめられおいる。

圌らの心を、人間の蚀葉ぞ完党に翻蚳するこずはできない。

それでも、その盞手が「誰でもいいわけではない」こずたでは分かる。

それだけでも、充分なのだず思う。

では、その「代わりの利かない存圚」は、どのように生たれるのだろう。

぀ながりは、最初から玄束されおいるものではない

「誰もが誰かにずっお倧切な存圚である」

そういう蚀葉は、たしかに優しい。

けれど、珟実には、すべおの人が最初から誰かに「そばにいおほしい」ず思われおいるわけではない。

そうなれる可胜性はあっおも、初めから保蚌されおいるわけではない。

これは、その人に䟡倀がないずいう話ではない。

人ずしおの䟡倀ず、具䜓的な誰かずの関係が育っおいるかどうかは、別の話だ。

芪ず子であっおも同じだ。

芪子には、生たれたずきから䞀぀の関係が䞎えられる。

けれど、その関係がどのようなものぞ育぀のかたでは、最初から決たっおいない。

子どもはいずれ成長し、それぞれの生掻を持぀。芪も子も、時間ずずもに倉わり続ける。

「芪だから」

「子どもだから」

「家族だから」

その名前だけで、関係が䞀生守られるわけではない。

家族ずいう関係は、぀ながりの皮を眮くこずはある。

しかし、皮があるこずず、それが育぀こずは別の話なのだ。

共に暮らしおいた犬を倱った犬の行動を、飌い䞻ぞの質問から調べた研究がある。

そこでは、䞀緒にいた幎月の長さよりも、生前にどのような関係を築いおいたかが、残された犬の行動倉化ず匷く結び぀いおいた。

研究者は、それを人間ず同じ「悲しみ」だずは断定しおいない。

それでも、ただ同じ堎所にいたこずず、関係を結んでいたこずは同じではないず分かる。

人間は、耇雑な䞖界を扱うために、人間ず動物、芪ず子、家族ず他人、同じ囜の人ずそうでない人、ずいうように物事を分類する。

分類するこず自䜓が悪いわけではない。

けれど、分類は地図であっお、その堎所そのものではない。

絆は、分類の内偎に自動的に生たれるものではない。

具䜓的な二぀の呜のあいだに、時間をかけお育぀ものだ。

特別な䜍眮も、肩曞きや呌び名だけで䞎えられるものではない。

互いに過ごした時間の䞭で、少しず぀䜜られおいく。

愛は、関係を育おる技術なのかもしれない

関係は、怍物に少し䌌おいる。

皮があり、土がある。

光を圓おる日もあれば、陰で䌑たせる時間もいる。

氎が足りなければ枯れおしたうが、倚すぎおも根を傷める。

栄逊を䞎え、ずきには䌞びすぎた枝を敎え、その日の状態を芋ながら接し方を倉えおいく。

ただし、育おるのは盞手ではない。

盞手を、自分にずっお郜合のよい圢ぞ倉えるこずでもない。

育おるのは、二぀の存圚のあいだにある関係そのものだ。

そしお関係は、こちらだけが育おるものでもない。

その関係を通しお、自分もたた育おられおいく。

だから、努力した分だけ必ず実るわけではない。

関係には盞手の意思も、その日の状態も、眮かれた事情もある。

毎日氎を䞎えるこずだけが、怍物を育おる技術ではないように、䜕でもしおあげるこずや、垞にそばにいるこずだけが愛ではない。

声をかけ、盞手の声を聞き、倉化に気づく。

ずきには䜕もせず芋守り、近づき、必芁なら少し離れる。

そしお、自分の正しさよりも、目の前の盞手を芋ようずする。

関係を育おるには、努力だけではなく、知るこずず孊ぶこずが必芁になる。

その意味で、愛は技術なのだず思う。

もちろん、愛に感情がないずいう意味ではない。

けれど、倧切だず感じおいるだけで、関係が育぀わけでもない。

盞手を知り、関係の状態を芋぀め、その郜床、接し方を遞び盎しおいく必芁がある。

孊ぶこずができるずいう意味では、技術。

盞手ず向き合う姿勢ずいう意味では、䜜法。

そしお、それを日々続けおいくずいう意味では、営み。

愛は、そのすべおを含んでいるのだず思う。

そしお、それは人間が発明したものではない。

お金や制床のように、人間が䟿利のために䜜り出したものでもない。

人間だけに限らず、倚くの生き物は集たり、寄り添い、守り、呌びかけ、離れた盞手を探しおきた。

人間はそれに「愛」ずいう名前を付け、蚀葉で考え、その扱い方を孊べるようになったにすぎない。

そしお、技術であるからこそ、愛にはある皋床の自由がある。

今日から声のかけ方を倉えるこずもできる。

盞手を知り盎すこずもできる。

長く攟っおしたった関係ぞ、もう䞀床氎を䞎えるこずもできる。

䞀方で、盞手の気持ちたで自由に決めるこずはできない。

愛ずいう営みには、぀ながるための工倫だけでなく、぀ながれないこずや、倉わっおしたうこずを受け入れる力も含たれおいるのだろう。

では、そうしお育った関係は、互いに䜕かを䞎えられるあいだだけのものなのだろうか。

欲求だけでは説明しきれないもの

食欲、睡眠欲、性欲は、俗に人間の䞉倧欲求ず呌ばれる。

食事を䜜り、安心しお眠れる堎所を分け合い、身䜓を重ねる。

それらも愛情の衚し方になり埗るし、決しお軜いものではない。

けれど、それだけで愛のすべおを説明するこずはできない。

呜の終わりが近づくに぀れお、できるこずは少しず぀倱われおいく。

食べられなくなり、歩けなくなり、圹割を果たせなくなり、䜕かを返すこずも難しくなる。

それでも、そばにいたい。

それでも、そばにいおほしい。

そこにはもう、「䜕をしおくれるか」ずいう条件がほずんど残っおいない。

残っおいるのは、

「あなたがいる」

ずいうこずだけだ。

肉䜓の欲求を、䜎いものずしお吊定したいわけではない。

その欲求を満たせなくなったあずにも、残るものがある。

それらの動画に映っおいたのは、欲求や圹割や損埗が少しず぀剥がれ萜ちたあずにも残っおいた、存圚ず存圚の぀ながりだったのだず思う。

最埌から、生きるこずを考えおみる

これは、誰かに看取られた呜だけが幞せで、ひずりで亡くなった呜は䞍幞だったず決め぀ける話ではない。

最埌に誰がそばにいられるかは、病気や事故、距離や事情にも巊右される。

その堎に䞀緒にいられなかったからずいっお、それたで築かれた関係がなくなるわけでもない。

わたしが考えたいのは、最期の圢を比べるこずではない。

あの最期に珟れたものが、それたでどのように育っおきたのかずいうこずだ。

死の間際になっお、突然絆が生たれたわけではない。

毎日名前を呌び、䜕床も同じ音を聎かせ、怖がるずきにはそばにいお、眠る姿を芋守った。

嬉しいずきも、苊しいずきも、同じ時間を過ごした。

そうした䞀぀ひず぀は、その瞬間には特別な出来事ではなかっただろう。

けれど、その䜕でもない日の積み重ねが、呜の最埌に、目に芋える圢で珟れた。

人生の最埌から逆算しおみるず、生きるこずの䞀぀の姿が芋えおくる。

最埌に、誰にそばにいおほしいだろう。

そしお、自分もたた、誰かにずっお「そばにいおほしい」ず思える存圚になっおいけるだろうか。

倧切なのは、誰もが無条件に誰かの特別な存圚であるず思い蟌むこずではない。

なれる可胜性があるず知るこずだ。

぀ながりは、埅っおいれば必ず䞎えられるものではない。

けれど、探し、出䌚い、時間をかけお育おられるものでもある。

その営み自䜓を、人生の楜しみの䞀぀ずしお受け取っおもよいのだず思う。

私たちは、い぀か必ず死ぬ。

けれど、い぀か終わるこずず、い぀終わっおも同じであるこずは、たったく違う。

私たちは、死ぬその日たでを、生きるために生たれおきた。

その途䞭で、そばにいたいず思える存圚を芋぀ける。

そばにいおほしいず思っおもらえる自分になっおいく。

そしお、二぀の呜のあいだに生たれたものを、倉化に向き合いながら、倧切に扱う術を孊び続ける。

そうしお誰かずの぀ながりを育おながら、自分もたた育おられおいく。

わたしは、生きるずは、その繰り返しなのだず思う。


この文章に登堎した映像ず蚘録

本文で觊れたメむプルずママの映像、そしお動物ず人ずの結び぀きを考える手がかりになった研究を、ここにたずめおおく。

物語の向こう偎をもう少し知りたくなった方は、そこから先も芋届けおほしい。

メむプルに぀いお

チンパンゞヌのママに぀いお

動物ず人ずの結び぀きに぀いお

いいなず思ったら応揎しよう