人間には理不尽でも制約は必要だね ひねくれ爺の喜怒哀楽 時々愛と人生 №196
先日、エジプト展なるものに行ってきました。
紀元前5000年前から人類は文明を持っていた。
あんな大きなピラミッドを建造できたという技術力。
そして、あれを建造することを可能にした人類文明における統治能力。
死後の世界から蘇ることができるという信仰と、それを可能にしようとしたミイラなどの技術。
凄いなあと思うと同時に、現代は比べものにならないほど便利で科学的で快適な文明の中で暮らす自分たちと比べ、人類のテクノロジーの開発能力の高さに、今さらながら驚きました。
そしてそのときふと思ったこと。
今から5000年後!
5000年後の人たちは、世界中に点在する巨大なデーターセンターの遺跡を見て何を思うのだろうと!
巨大な施設の中に所狭しと並ぶ何億という半導体と光ファイバー網。
そして耐久期限をとうに過ぎボロボロになったソーラーパネル群。
みらいの考古学者の格好の研究対象になっているだろう。
もし、人類の残骸が生き延びて
再び繁栄の道を歩んでいればの話だけれどね
もしかしたら、猿の惑星になっているかも知れないけれど。
妄想はここまで
話しは飛んでしまうけど(私の中では繋がってますけどね)最近思うのは、ピンからキリまで人々の精神から倫理や善悪の歯止めが溶けてなくなってきていること。
「それ以上やっちゃダメだろ」という境界が消えている。
戦争、紛争はもちろんだけど、政治家の体たらく、企業トップの独善、大企業の不正や誤魔化し、市井の人々はそうした社会に翻弄されて苦しんでいる人も少なくないものの、そんな社会で自分も乗り遅れないように必死に食らいついたり、少々怪しげでグレーでも平気で乗っかったり、本当に皆さん好き放題。
見事な多様性と、見事な自己責任
社会の規制や縛りのきつい社会では、個性も発揮できず、理不尽に苦しむ人が出てくるけれど、それと引き換えに社会の秩序はそれなりに保たれる。
どちらが良いとも思わない。
その中間で調整し、中庸を実現できれば理想なのかもしれないが、結局人類は極端に振れる。
今はまだ社会の秩序はギリギリ保たれているが、この先高齢化とAI普及が進めば秩序などどこに行ったと嘆く日も遠くないだろう。
馬鹿だとか阿呆だとは言わない。
しかし、あまりにも浅はか。
自分のやっていること、社会で起きていることがこのまま続けば、5年後、10年後にどうなるかを考えることはないのだろうか?
すべては自己責任であり、自業自得だから私がとやかく言うことではないのだけれど。
既にAIによるシンギュラリティの第一段階は到来しています。
今、AIはありとあらゆる利用者の膨大なデータを精査し、これからのAIの進化と発展に必要な人材は誰か、不用な人類は誰かのデータ収集と選別の用意が進んでいるだろう。
偽善とは善を偽装するという意味だが、
偽善とは、偽りを善と信じる愚かさ
現代は、偽善の意味が変わりつつある。
そう思えてならない。
それにしても、これほど人権尊重と言われ、個性、自分らしさと言われる時代に、人真似して儲けよう、成功者にあやかって何とかなろうと思う浅はかな人が増えているのはどうしてだろう?
人生をどう生きるかとか、人間らしさや品格、気高さなんて一円にもならないからどこかへ捨て去っているのか?
そもそも最初から持ち合わせていないのか?
こんな書籍も出ています。
まだ読んでませんがね、読む予定です。
もう待ったなしですね。
爺の戯れ言と笑い飛ばしてもらえる日が来るといいんですが。
これだけ大多数の人々が目先の欲望を優先して突き進む世界で、歯止めがかかることを期待する私が一番の愚か者?
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