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1945年7月24日 呉軍港空襲|日本海軍は終戦前に戦う力を失っていた

1945年(昭和20年)7月24日

アメリカ海軍機動部隊の
艦載機が
日本最大の軍港
である呉軍港を
大規模に空襲した

戦艦
「伊勢」
「日向」をはじめ
多くの主力艦が爆撃を受け
日本海軍は
決定的な打撃を受ける

しかし 、この出来事を知ると
多くの人が一つの疑問を抱く

なぜ 日本海軍は
出撃しなかったのか

その答えは
この日の空襲だけではない

日本海軍は
すでに戦う力そのものを
失っていたのである

石油を失った日本


開戦前
日本は石油の約8割を
アメリカから輸入していた

しかし
1941年(昭和16年)
アメリカ
イギリス
オランダは
日本への石油輸出を停止する

この石油禁輸は
日本が南方へ進出する
大きな理由の一つとなった

日本軍は
オランダ領東インド
現在のインドネシア の
ボルネオ島やスマトラ島の
油田を確保し
石油資源を
手に入れることに成功する

ところが
戦争後半になると
状況は一変した

アメリカ潜水艦は
日本の輸送船やタンカーを次々と撃沈する

油田は確保していても
日本本土へ石油を
運ぶことができなくなった

つまり
石油を失ったのではない

石油を運ぶ力を
失ったのである

空も海も失われていた


燃料不足だけではなかった

日本海軍の熟練搭乗員は
ミッドウェー海戦
ガダルカナル攻防戦
マリアナ沖海戦などで
次々に失われていった

新しい航空機を生産しても
それを操る
経験豊かな搭乗員がいない

さらに航空燃料まで不足し
十分な訓練も
できなくなっていた

その結果
日本海軍は制空権を失い
海上でも
アメリカ海軍に圧倒される

艦隊を出撃させても
空から一方的に
攻撃される状況だった

呉軍港空襲


1945年(昭和20年)7月24日

アメリカ海軍機動部隊は
呉軍港を襲撃した

港内には
戦艦「伊勢」
戦艦「日向」
重巡洋艦「利根」
巡洋艦「青葉」など
日本海軍最後の主力艦が
停泊していた

猛烈な爆撃によって
艦艇は次々と大破し
着底する艦も続出した

彼らは
逃げなかったのではない

燃料も
制空権も
失った日本海軍には
逃げることすら
できなかったのである

なぜ降伏しなかったのか


ここで もう一つ疑問が浮かぶ

ここまで
追い詰められていたのに
なぜ日本は
降伏しなかったのか

実は
日本政府はすでに
終戦への道を探っていた

中立国だったソ連に
仲介を依頼し
連合国との和平交渉を
模索していたのである

しかし一方で
軍部には 本土決戦で
アメリカ軍に
大きな損害を与えれば
より有利な条件で
講和できるという考えが
根強く残っていた

さらに
天皇制が維持されるのか
日本という国家が
どう扱われるのか
も分からなかった

政府も軍も意見が一致せず
終戦を
決断できなかったのである

その二日後


呉軍港空襲から二日後の
1945年(昭和20年)7月26日

連合国は
ポツダム宣言を発表し
日本に降伏を求めた

しかし 日本政府は
直ちには受諾しなかった

その後
8月6日の広島への
原子爆弾投下
8月8日のソ連参戦
8月9日の長崎への
原子爆弾投下
を経て
ようやく終戦への
決断が下される

日本海軍が戦う力を失った日


呉軍港空襲は
一つの空襲の記録ではない

そこには
石油輸送の崩壊
熟練搭乗員の喪失
制空権と制海権の喪失
そして
終戦を決断できなかった
日本の姿が凝縮されている

1945年(昭和20年)7月24日

この日
日本海軍は
事実上 戦う力を失った

そして
その三週間後
日本は
終戦の日を迎えることになる

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