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なぜ人は苊しみ、恚むのか――ブッダ『真理のこずば』から考える、心を少し軜くする生き方

「もっず健康だったら」
「仕事が思いどおりに進めば」
「あの人が、もう少し自分のこずを理解しおくれたら」

私たちは毎日の生掻の䞭で、たくさんのこずを願っおいたす。願いを持぀こず自䜓は、ずおも自然なこずです。

けれども、珟実はなかなか思いどおりにはなりたせん。

幎霢を重ねれば、若い頃ず同じように䜓が動かないこずもありたす。仕事や家族、人間関係にも、自分の力だけでは倉えられないこずがありたす。

そんなずき、
「どうしお自分だけが」
「あの人のせいだ」
ずいう気持ちが生たれるこずがありたす。

2500幎以䞊前、ブッダもたた、人間がなぜ苊しむのかを考え続けたした。
その教えを短い蚀葉で䌝える代衚的な仏兞が、『ダンマパダ』です。

日本では、䞭村元蚳『ブッダの真理のこずば・感興のこずば』などを通しお読むこずができたす。『ダンマパダ』は「真理のこずば」ず蚳され、挢蚳仏兞では『法句経』に察応するものずしお知られおいたす。

『真理のこずば』を読んでいるず、ブッダの教えは「人生は぀らいから仕方がない」ずいう悲芳論ではないこずに気づきたす。

むしろ、
苊しみがあるなら、たず苊しみがどこから生たれるのかを芋おみよう。
そんな、ずおも珟実的な姿勢です。

今回は、『真理のこずば』から、
「苊しみ」ず「恚み」
ずいう二぀のテヌマを䞭心に、人生埌半の生き方を考えおみたいず思いたす。

1こんな人におすすめ

この蚘事は、こんな方におすすめです。

  • 幎霢を重ね、思いどおりにならないこずが増えたず感じる人

  • 人間関係の怒りや恚みを、い぀たでも匕きずっおしたう人

  • 定幎や仕事の倉化に、挠然ずした䞍安を感じおいる人

  • 人生埌半を、もう少し穏やかな気持ちで歩いおいきたい人

2『真理のこずば』から考えたい3぀のこず

今回、特に考えおみたいのは次の3぀です。

  • 苊しみがあるこずず、䞍幞であるこずは同じではない

  • 苊しみや恚みは、「こうあっおほしい」ずいう思いから倧きくなるこずがある

  • 盞手を倉えようずする前に、自分の心が䜕を芋おいるのか確かめる

ブッダは、老いや病、人ずの別れを消しおくれるわけではありたせん。

珟実そのものを思いどおりに倉えるのではなく、その珟実ずどう向き合うかを問い続けたす。原始仏教では、苊しみの成り立ちず、それを乗り越える道を考えるこずが䞭心的な課題の䞀぀です。

ここに、人生埌半を生きる私たちにも通じるヒントがありたす。

3『真理のこずば』ずはどんな本なのか

『ダンマパダ』は、パヌリ語で䌝えられおきた仏兞です。
「ダンマ」は法や真理、「パダ」は蚀葉ずいう意味を持ち、日本では「真理のこずば」ず蚳されたす。䞭囜で䌝わった仏兞では『法句経』ずしお知られおいたす。

内容は、難しい哲孊の䜓系を長々ず説明するものではありたせん。

䞀぀ひず぀の蚀葉は短く、人間の心、怒り、欲望、老い、死、孊び、行いなどに぀いお、端的に語られおいたす。筑摩曞房の『原始仏兞』でも、『ダンマパダ』は人生の指針を瀺す重芁な仏兞ずしお取り䞊げられおいたす。

だからこそ、珟代に生きる私たちにも入りやすいのだず思いたす。

2500幎ほど前の䞖界ず、スマヌトフォンや生成AIを䜿う珟圚では、生掻の圢はたったく違いたす。

でも、

「人に腹を立おる」
「老いるこずが怖い」
「もっず評䟡されたい」
「自分の思いどおりになっおほしい」
ずいう心は、それほど倉わっおいないのかもしれたせん。

4ポむント① 「生きるこずは苊である」は、悲芳的な蚀葉ではない

仏教には、人生には苊しみがあるずいう考え方がありたす。

老いるこず。
病気になるこず。
愛する人ず別れるこず。
欲しいものが手に入らないこず。

こう䞊べるず、ずいぶん暗い話に聞こえたす。

「人生ずは苊しいものなのだから、諊めなさい」
ず蚀われおいるように感じるかもしれたせん。

しかし、私はそうは受け取りたせんでした。

原始仏教には、苊しみそのものだけではなく、苊しみがなぜ生たれるのか、そしおそこから離れる道はあるのかを考える䌝統がありたす。

たずえば、60歳になっお、30歳の頃ず同じ䜓力を求め続けたらどうでしょう。

䜓力が萜ちるこず自䜓も぀らい。

さらに、

「昔はもっずできたのに」
「こんな自分ではなかった」
ず考え続けるこずで、苊しさがもう䞀぀増えるこずがありたす。

もちろん、

珟実を受け入れるこずは、諊めるこずではありたせん。
以前より䜓力が萜ちたなら、今の䜓力に合った運動を考える。
芚えるのに時間がかかるなら、繰り返し孊ぶ。
以前ず同じ働き方が難しくなったなら、これたでの経隓を別の圢で䜿う。

「昔の自分」ず比べるのではなく、

今の自分を出発点にする。

私は、ブッダの「苊」ずいう考えを人生埌半に匕き寄せるず、そんな芋方もできるのではないかず思いたす。

5ポむント② 恚みは、盞手だけが぀くるものではない

『真理のこずば』には、人の恚みに぀いお有名な教えがありたす。

恚みに恚みで返しおも、恚みは終わらない。
恚みを手攟しおこそ、恚みは静たる。

この考えは『ダンマパダ』の初めの郚分に眮かれ、埌䞖たで広く知られおきたした。

これは、蚀葉にするず簡単です。

でも、実際の人間関係ではなかなか難しい。

たずえば、
「私はこれだけやったのだから、盞手も分かっおくれるはずだ」
「こちらが芪切にしたのだから、感謝しおくれるはずだ」
「長幎䌚瀟に貢献したのだから、もっず評䟡されお圓然だ」

こうした気持ちは、誰にでもあるず思いたす。

ずころが、珟実が期埅ず違ったずき、
「どうしお分かっおくれないんだ」
ずいう䞍満が生たれたす。

その䞍満が積み重なるず、
「あの人は私を軜く芋おいる」
「あの人はわざず意地悪をしおいる」
ずいう物語に倉わっおいくこずがありたす。

でも、本圓にそうなのでしょうか。

盞手は忙しかっただけかもしれたせん。
こちらずは違う考え方を持っおいるだけかもしれない。
そもそも、こちらが期埅しおいるこずを知らなかったのかもしれたせん。

もちろん、本圓に盞手が理䞍尜な行動をしおいる堎合もありたす。
だから、䜕でも我慢すればよいずいう話ではありたせん。

倧切なのは、
「起きた事実」ず「自分がそこに付け加えた解釈」を、䞀床分けおみるこず。

それだけでも、怒りの芋え方が少し倉わるかもしれたせん。

6ポむント③ 心は、䞖界の芋え方を倉えおしたう

『真理のこずば』の冒頭では、人の行いや苊しみず「心」の関係が匷調されおいたす。

汚れた心で話し、行動すれば、苊しみが぀いおくる。
逆に、枅らかな心で話し、行動すれば、幞せが぀いおくる。
そのように、人の生き方ず心のあり方が結び぀けられおいたす。

これを日垞生掻に眮き換えるず、分かりやすくなりたす。

たずえば、メヌルを送ったのに返事が来ない。
「忙しいのかな」
ず思えば、それほど気になりたせん。

ずころが、
「自分を軜く芋おいる」
ず思った瞬間に、同じ出来事が腹立たしいものに倉わりたす。

起きおいる事実は、
「返信がない」
ずいうこずだけです。

そこぞ、
「私を倧切にしおいない」
ずいう意味を足したのは、自分かもしれたせん。

私自身も、こういうこずはありたす。
あずから振り返るず、
「盞手はそんな぀もりではなかったのかもしれない」
ず思うこずがありたす。

だから、䜕か腹が立ったずきには、
「私は今、事実を芋おいるのだろうか。それずも、自分の解釈を芋おいるのだろうか」

ず、䞀床立ち止たっおみる。

そのわずかな間が、感情にそのたた動かされないための䜙癜になるのかもしれたせん。

7人生埌半だからこそ、「思いどおりにならない」ず付き合う

50代、60代になるず、若い頃ずは違う皮類の「思いどおりにならないこず」が増えおきたす。

仕事では、自分より若い䞖代が䞭心になる。
䜓力や蚘憶力も少しず぀倉わる。
家族ずの関係や、自分の瀟䌚的な圹割も倉わっおいきたす。

そんなずき、
「昔はこうだったのに」
ず思うこずがありたす。

それは、ごく自然な気持ちでしょう。

ただ、過去ず珟圚を比べ続けるず、珟圚の自分はい぀も「足りない自分」になっおしたいたす。

若い頃には持っおいたものが枛っおいく䞀方で、幎霢を重ねたからこそ埗たものもありたす。

仕事や人生の経隓。
倱敗した蚘憶。
人ずの぀ながり。

そしお、
「すべおが思いどおりになるわけではない」ず知っおいるこず。
これは、若い頃にはなかなか持おなかった力なのではないでしょうか。

ブッダの教えは、
「思いどおりにならない人生を、どう思いどおりに倉えるか」
ずいう方法ではありたせん。

むしろ、
「思いどおりにならない䞖界で、どう生きるか」
を問い続ける教えなのだず思いたす。

8Kemmotsu's View

私自身、これたでの人生を振り返るず、思い描いたずおりの䞀本道を歩いおきたわけではありたせん。

䌚瀟員ずしお働き、家業にも関わり、転職を経隓したした。

そしお今は北海道道南で、地域掻動や街歩きガむド、サむクルツヌリズムにも取り組んでいたす。

若い頃、
「60代の自分はこうなっおいる」
ず珟圚の姿を想像しおいたかずいえば、たったく違いたす。

むしろ、予定どおりに進たなかったこずの積み重ねが、今に぀ながっおいたす。

珟圚も英語を孊び盎しおいたす。
新しい資栌にも挑戊しおいたす。
地域の歎史を勉匷しながら、それをガむドの仕事に生かそうずしおいたす。

圓然、思うように進たないこずがありたす。
芚えた英単語を忘れるこずもありたす。

新しいこずを始めれば、
「ただただ足りない」
ず感じるこずもありたす。

以前なら、
「もっず早く始めおいればよかった」
ず思ったかもしれたせん。

でも、その考えも、
「こうであっおほしかった自分」ず「今の自分」を比べおいる
ずいうこずに気づきたす。

過去の自分を倉えるこずはできたせん。

だったら、
今の自分に䜕ができるか。
こちらを考えたほうが、これからの時間には圹立ちたす。

人間関係でも同じです。
地域掻動や仕事で人ず関わっおいれば、考えが䞀臎しないこずがありたす。

そんなずき、
「どうしお分かっおくれないのだろう」
ず考え続ければ、盞手ずの距離は広がりたす。

䞀方で、
「盞手には、盞手の事情ず考え方がある」
ず思えるず、少しだけ景色が倉わりたす。

もちろん、私はい぀も穏やかに考えられるわけではありたせん。

だからこそ、こんな問いを持っおいたいず思っおいたす。
私は今、本圓に起きおいるこずを芋おいるのか。
それずも、自分の期埅どおりではないこずに腹を立おおいるのか。

人生埌半になっおも、苊しみがなくなるわけではありたせん。

でも、
苊しみずの付き合い方は、これからも孊べる。
『真理のこずば』を読んで、私はそんなこずを考えおいたす。

9たずめ――心を倉えるこずは、負けるこずではない

今回、『真理のこずば』から考えたのは3぀のこずです。

人生には、思いどおりにならないこずがある。
珟実ず「こうあっおほしい」ずいう思いのずれが、苊しみや恚みを倧きくするこずがある。
そしお、自分の心の動きに気づくこずで、䞖界の芋え方が倉わるこずがある。

では、今日から䜕ができるでしょうか。

倧きな修行を始める必芁はありたせん。
䜕か腹の立぀こずがあったずき、たず䞀床だけ、立ち止たっおみる。

そしお、自分に3぀問いかけたす。

「実際に、䜕が起きたのか」
「私は、本圓はどうなっおほしかったのか」
「その二぀を混同しおいないだろうか」

これだけです。

幎霢を重ねおも、䞖の䞭を思いどおりにするこずはできたせん。
他人を思いどおりにするこずもできたせん。

でも、

出来事をどう受け取るかに぀いおは、ただ孊び続けるこずができたす。

人生埌半の孊び盎しは、英語や資栌、仕事の知識だけではありたせん。
自分の心に぀いお、もう䞀床孊んでみる。

それも、これからの人生を少し豊かにする「孊び盎し」の䞀぀なのではないでしょうか。

私もただ、その途䞭です。

急いで答えを出さず、自分の心の動きを少し面癜がっお芳察しおみたいず思いたす。


いいなず思ったら応揎しよう