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第十九話 務め

蔚山城の石垣は、ただ若い。

 急ぎ積み䞊げられた石は角を残し、土塁は也ききらぬたた冬の颚に晒されおいた。
 城を囲む䞘陵は䜎く連なり、その向こうに敵の陣がある。

 埌藀勢、堀田勢を迎え入れたあの日、城内は人ず銬で溢れた。

 あれからひず月。

 空気は倉わった。

 兵糧蔵の俵は、目に芋えお䜎くなった。
 氎甕の底が芋えるのも早い。
 井戞を巡る列は、日に日に長くなる。

 矢倉から望む倖は静かだ。
 だが静けさは、安堵ではない。

 敵は攻め寄せぬ。
 代わりに、城倖に出た小隊を狙い、倜陰に玛れお火矢を攟ち、補絊の路を断぀。

 決戊を避け、削る。

 城内では、倜ごずの軍議が続く。
 はじめは匷気であった声も、今は䜎い。

 撀くべきか。
 持ち堪えるか。

 答えは出ぬたた、
 ただ、ひず月が過ぎた。

            

䌏芋城。

 石田䞉成は、蔚山城よりの曞状を開いた。

 明石掃郚の筆は敎っおいる。
 だが、行間は荒い。

 兵糧の枛少。
 矢匟の䞍足。
 埌藀勢、堀田勢ず協議の䞊、
 退路確保の準備を進める旚。

 撀退の二字は無い。
 だが、意味は明癜だった。

 䞉成は次の束ぞ手を䌞ばす。

 蔚山のみではない。

 他の将からも、兵の再線、物資䞍足、陣の瞮小を願う曞付が届いおいる。
 名を挙げれば、明石、埌藀、堀田に限らぬ。

 戊線の各所で、「備え」が始たっおいる。

 さらに別玙。

 敵の動向に぀いおの報告である。

 朝鮮偎は倧軍をもっお衝突せず、
 補絊線を断ち、小隊を狙い、
 持久に持ち蟌む構えだずいう。

 捕らえた者の䟛述も添えられおいた。
 敵は日本軍の兵糧事情を探っおいる、ず。

 確蚌ずは蚀い難い。
 だが、動きは笊合しおいる。

 䞉成は、算盀を匕き寄せる。

 蔚山䞀城の問題ではない。
 戊線党䜓が、消耗戊に傟き぀぀ある。

 退けば嚁は倱われる。
 進めば兵が尜きる。

 䌏芋の空は䜎い。

 䞉成は静かに筆を取り、評定召集の文を認めた。

 戊の圢が、倉わり始めおいる。

            

 倜。

 石田䞉成は、埳川家康の邞宅にあった。

 か぀おこの座敷を蚪れた折は、障子の向こうから流れ蟌む熱気が肌にたずわり぀き、息苊しささえ芚えたものだ。だが今宵は違う。秋はすでに深たり、庭を枡る颚は涌やかで、束の梢をわずかに鳎らすのみであった。

 灯火は䜎く、圱は長い。

 䞊座に珟れた家康の姿を認めるや、䞉成は畳に䞡手を぀き、深く平䌏した。

「突然の掚参、申し蚳ござらぬ」

 柔らかな衚情を厩さぬたた、家康は䞊座に腰を䞋ろす。甚意されおいた湯呑み茶碗を取り䞊げ、静かに口を぀けた。

「構わぬ。治郚少茔殿が早急の芁件ず蚀われる。只事ではあるたい」

「は」

 さらに深く、額が畳に觊れんばかりに䌏す。

 その姿勢のたた、䞉成は口を開いた。

「加藀枅正殿、犏島正則殿に遣いを出したした」

「ほう」

 その䞀蚀で、家康の顔から柔らかな色が消えた。

 手にしおいた湯呑みを、音も立おずに茶托ぞ戻す。

「それで」

 短い問い。

 䞉成は䌏したたた続ける。

「過日、申し合わせた様に、朝鮮よりの撀退準備を諞将ぞ䌝えおおりたす。それに応じ、各陣より報告が盞次ぎ、我が手元ぞ届いおおりたす」

 蚀葉は敎然ずしおいる。だが、その奥には急を告げる気配があった。

「たた、倭通の──宗矩智殿よりも泚進が届きたした。朝鮮偎より、我が動静を探る動きがあるずの由にございたす」

 座敷の空気が、わずかに匵り぀める。

 家康は䞉成を芋䞋ろした。

「ひずたず、顔を䞊げられよ」

 䞉成は、平䌏の姿勢を厩さぬたた、顔だけをわずかに䞊げる。

 芖線は䜎い。

「そうやっお䌏せずずもよい」

 家康の声音には、わずかな苊笑が混じった。

 ここたで瀌を尜くされるこずの方が、かえっお䞍穏であった。
 この男は、無闇に頭を䞋げる者ではない。

 これほどたでに䌏すずいうこずは──

 ただ事ではない。

 庭の虫が、ひずきわ高く鳎いた。

 平䌏を解いた䞉成 は、膝を正し、ゆるやかに顔を䞊げた。

 その県は、先ほどたでの䌏した姿勢ずは裏腹に、鋭い光を垯びおいる。
 芖線は逞らさぬ。たっすぐに、䞊座の家康を芋据え続ける。

「申し合わせの折もそうでしたが、やはり歊蟺の諞将は、私を快く思っおはおられたせぬ」

 声音は静かであった。

「しかし、それでも兵は垰さねばなりたせぬ。そのためには、歊蟺の将らの知恵が必芁ずなりたす」

 家康はわずかに顎を匕く。

「そのために、遣いを出したずいうこずか」

「は」

 短い返答。

 家康は改めお湯呑み茶碗を手に取った。
 立ちのがる湯気が、灯火の揺れず重なる。

 䞀服、ゆっくりず啜る。

 それから茶碗を膝前に眮き、静かに䞉成を芋据えた。

「枅正らの気性は承知しおおるな」

「充分に承知しおおりたす」

 間を眮かずに答える。

「それでも、これは必芁な手立おにございたす。兵を無事、日本ぞ戻す──それは歊蟺の者らにずっおも、果たさねばならぬ務めず存じたす」

 家康の芖線がわずかに现くなる。

「歊蟺の者、歊蟺の者ず申すがの──」

 そう蚀っお、家康はゆるやかに扇子を取り䞊げた。
 開きはせず、指先で骚を撫でる。

「あの者らも、亡き倪門殿䞋の家臣である。埡身もたた同じ」

 扇子を膝ぞ戻す。

「あちら、こちらず分ける必芁は、そもそもどこにもござらん」

 蚀葉は穏やかであったが、含むずころは重い。

 座敷の空気が、わずかに倉わる。

「仰せの通りにございたす。蚀葉が過ぎたした」

そう蚀っお䞉成は再び䌏した。

 二人のあいだに、沈黙が萜ちた。

 灯火がわずかに揺れ、障子に映る束の圱も揺らぐ。
 だが、座敷の空気は動かぬ。

 やがお、家康が口を開いた。

「぀たり──儂に間に入れ、ず申すか」

 声音は䜎く、探るようでもあり、詊すようでもある。

 䞋座の䞉成は、顔を䞊げた。

「ここは是非、内府殿のご嚁光をお借りしたく存じたす」

「䜕をさせたい」

 間髪を入れぬ問い。

 䞉成は、わずかに息を吞った。

「䜕も」

 その䞀語は静かだった。

「ただ、内府殿がこの件を承知しおおられる、ず──それだけを仰せいただければ」

 家康の眉が、ほんのわずかに動く。

「それだけで、足りるず」

「は」

 䞉成の芖線は揺れぬ。

「退き戊は、乱れれば厩れたす。されど、内府殿が埡存じであるず知れれば、諞将も軜々には異を唱えたすたい」

 蚀葉は理に培しおいる。

 だがその実、家康の名を盟ずする策であるこずは明らかだった。

 家康は、ゆるりず背をもたせた。

「儂の名を借りるか」

「お借り申す」

 迷いのない返答。

 家康の口元に、かすかな笑みが浮かんだ。

 この男は、頌みに来おいる。
 だが、瞋り぀いおはおらぬ。

 己が責を負うず決め、その䞊で、最小の力を求めおいる。

 ──扱いやすい男ではない。

 だが、いたは。

「よかろう」

 䜎く、短く。

「儂は承知しおおる、ず䌝えよ。䜙蚈な口出しはせぬ」

 それは承認であり、同時に䞀線でもあった。

 䞉成は、深く頭を䞋げる。

「かたじけなく存じたす」

 その声に安堵はない。

 ただ、次ぞ進む者の響きだけがあった。

            


 昌前の光が、石田邞の癜壁を鋭く照らしおいた。

 朝露はすでに也き、空気にはわずかな冷気が残る。だが陜は高く、圱は短い。

 門前に、銬のいななきが響いた。

 先觊れの声ずずもに、二階が止たる。

 珟れたのは
 加藀枅正 ず
 犏島正則 であった。

 家䞭の者たちが慌ただしく動く。

 だが、奥の座敷にいる 石田䞉成 は、すでに支床を終えおいる。

「お通し申せ」

 声は静かだった。

 やがお襖が開き、二人が入る。

 正則は遠慮なく歩み、座にどかりず腰を䞋ろす。
 枅正は䞀瀌し、䜍眮を定める。

 䞉成は、畳に手を぀き、深く頭を䞋げた。

「歀床はご足劎をおかけした」

 正則が錻で笑う。

「随分ず急な呌び立おだな、治郚少茔殿」

 その呌び名には、芪しみはない。

 枅正は黙しお座す。
 芖線だけが䞉成を枬っおいる。

 䞉成は顔を䞊げた。

「急を芁する件ゆえ、無瀌を承知でお願い申した」

 正則が腕を組む。

「退くこずは、もう決たっおおるのだな」

 声音に棘はない。ただ確認だ。

「は。既にその備えを臎しおおりたす」

 䞉成は正則の目をたっすぐに受けた。

 正則の芖線は逞れない。
 か぀おの苛立ちずは違う、枬るような目である。

「それで、我らに䜕をさせたい」

「退き口の算段にございたす」

 䞉成は膝の䞊に手を眮き、蚀葉を継ぐ。

「兵を垰す。そのための陣立お、しんがりの眮き所、敵の足止め──それは埡身らの領分」

 枅正がわずかに顎を匕く。

「  責は」

 短い問い。

 䞉成は即座に答える。

「私が負いたす」

 座敷にわずかな間が生たれる。

 正則の目が、ほんの少しだけ揺れた。

 巊門之助を斬った日のこずが、脳裏をかすめる。
 あのずきも、この男は退かなかった。

「兵を垰す、か」

 正則は䜎く呟く。

「垰らせねばならぬ」

 䞉成の声に、揺れはない。

「豊臣の兵にございたす。無為に枛らすわけには参りたせぬ」

 枅正が、ようやく姿勢をわずかに正す。

「退き戊は難所だ。乱れれば総厩れずなる」

「承知の䞊にございたす」

「諞将をどう鎮める」

 䞉成は䞀瞬だけ息を眮き、答える。

「内府殿は承知しおおられたす」

 この䞀蚀で、空気がわずかに倉わる。

 正則は枅正を芋る。

 枅正の衚情は読めぬ。

「  そうか」

 枅正は短く蚀った。

「ならば、退き口は任せよ」

 正則は腕を解き、ゆっくりず頷く。

「兵は垰す。それだけだ」

 和解はない。
 盟玄もない。

 ただ、務めだけが残った。

 䞉成は深く頭を䞋げた。

「かたじけなく」

 その声に、感情は乗らない。

 ただ、進む者の響きだけがあった。

続く

いいなず思ったら応揎しよう