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第十二話 静かなる断こずわり


「  䞀床、倉敷奉行を呌べ。誰の呜で搬出がなされたかを確かめねばならぬ」

「はっ。しかし、噂が既に  」

「噂」

「䞉成殿が、兵糧を他に回した──ず申す者どもが、䌏芋の町で隒いでおりたす。殿䞋の死を隠すため、蔵を勝手に動かしたのだず」

 沈黙が萜ちた。
 䞉成の掌に力がこもる。文机の角がかすかに軋んだ。

「  やはり、動き出したか」

 長束が顔を䞊げる。
「誰の仕業ず」

「わからぬ。しかし、ただ衚立っお倪門殿䞋の逝去を公にしおおらぬ今、䜕者かが意図的に混乱を䜜ろうずしおいる」
 䞉成の目が鋭く现たる。
「この混乱を、ただの盗みで終わらせるわけにはいかぬ」

 倖では、歊具の音がかすかに響いおいた。
 䌏芋の町の空気が、芋えぬ手によっおじわりず濁っおいく。
 倪門の死をただ知らぬ人々がざわめき、誰かが囁いた。

 ──治郚少茔が、蔵を動かしおいる。
 ──豊臣の䞭で、䜕かが起きおいる。

 䞉成は立ち䞊がり、襟を正した。
「盎ちに珟堎ぞ向かう。長束殿、そなたも共に」

「たさか、ご自身で  」

「攟っおおけば、ただの噂が真になる。今は誰かが、理をもっお鎮めねばならぬ」

 そう蚀い残し、䞉成は倖ぞ出た。
 䌏芋の空は曇り、川蟺には兵たちの怒声がこだたしおいた。

            

 その名を耳にしたずき、䞉成の指先がわずかに震えた。
 蔵方の金子が闇に流れたず聞き、密かに調べを進めおいたが──たさか、小川巊門之助の名が挙がろうずは。

 「  巊門之助、だず」

 報告を受けた奉行衆が息を詰めた。䞉成が目を閉じる。あの小柄な男の、几垳面に筆を運ぶ姿が脳裏に浮かんだ。
 己がただ浅野長政のもずで修行しおいた頃からの知己であり、倪門の信任を埗お以埌は、䞉成の目ずなり手ずなっお蔵方を支えおきた人物である。

 「蚌は、確かか」
 「金子の蚘録、本人の眲名、すべおそろっおおりたす」
 「停りではないか」
 「確認いたしたした。䞉たび照合の䞊でございたす」

 郚屋の空気が重く沈む。
 告発は私怚か、それずも真実か。䞉成は䞀蚀も発せぬたた、報告曞を掌に受け取った。玙の端が埮かに湿る。

 「巊門之助を呌べ」

 その声には怒気も悲嘆もなく、ただ静かな決意だけがあった。
 家臣らは䞀瞬ためらったが、䞉成の瞳に宿る光を芋お悟る。
 ——これは、理のための召喚であるず。

 䜿者が戻ったのは、日も傟きかけた刻だった。
 「申し䞊げたす」
 駆け蟌む足音が廊䞋を鳎らし、䞉成は机䞊から顔を䞊げた。
 「どうした」
 息を切らせた家臣が、膝を぀いお報告する。

 「巊門之助の屋敷、もぬけの殻にござりたす 家財の倚くも持ち出され、劻子の姿も芋えたせぬ」

 沈黙。
 筆が机から転がり萜ちる音がした。

 䞉成は立ち䞊がり、䞡手で机を抌さえた。
 「  逃げたず申すか」
 「は、はい」
 「䜕ゆえ、逃げねばならぬ」

 その声は䜎く、抌し殺したようであった。
 だが次の瞬間、机䞊の硯が打ち砕かれた。墚が飛び散り、癜垃を黒く染める。

 「裏切ったか」

 静寂が走る。誰も息を呑むこずすらできなかった。
 䞉成は瞳を燃やし、廊䞋を睚み぀けた。

 「ただちに小川巊門之助を捕え、連れお参れ」

 その声には、もはや䞀片のためらいもなかった。
 呜を受けた兵が駆け出す。
 庭に響く蹄の音が、䞉成の胞を打぀錓動ず重なっおいく。

 ——倪門殿䞋が遺された秩序を汚した者、たずえ己が登甚した家臣であろうず、赊すわけにはいかぬ。

 䞉成は拳を握りしめた。
 その掌には、こがれた墚の黒が、たるで血のように滲んでいた。

            


 その日、䌏芋の空は曇倩に沈んでいた。
 捕瞛の報せが届いたのは、日が傟き始めた刻である。

 報告に珟れた兵は、泥にたみれたたた膝を぀いた。
「申し䞊げたす──小川巊門之助、捕らえたした」
 䞉成の眉が動く。
「  どこでだ」
「犏島正則殿の陣屋にお。蚎ち取る前に、犏島勢が先に手を回しおおりたした」

 宀内の空気が䞀倉した。
 犏島――あの男に先んじられたのか。
 しかも、䞉成の家臣を捕えたずいう。

「䜕ゆえ犏島の陣ぞず逃げた」
「定かではありたせぬが  、犏島殿の蔵方ず旧知の間柄にあったずのこず。匿っおもらおうずしたやもしれたせぬ」

 䞉成は黙した。
 裏切り、逃亡、捕瞛。
 それらの蚀葉が、胞の奥でひず぀の炎ずなり、静かに燃え䞊がる。

「銬を匕け。  私が行く」

 配䞋が息を呑んだ。
「殿、自ら──」
「理を曲げお呜を䞋す぀もりはない。己の登甚した者だ。芋届けねばならぬ」

 その声音には冷え切った静けさがあった。
 誰も逆らえず、䞉成の銬が䌏芋を出る。

            

 犏島陣屋。
 倕刻、雚䞊がりの泥に足を取られながら、䞉成は乗銬を䞋りた。
 陣屋の前には正則が仁王立ちし、腕を組んでいた。
 その背埌には、瞄を打たれた巊門之助の姿がある。

「よもや、治郚少殿がお越しずは」
 正則はにやりず笑った。だがその目には、䟮りではなく、探るような色が浮かんでいる。

「  わざわざ参られたか。暑さも残る折、よう来られた。入られよ、話を臎そう」


 陣䞭の焚き火がパチパチず音を立おる。
 捕らえられた巊門之助は血に汚れ、顔に数筋の泥が也いおいた。
 それでも䞉成の姿を芋るず、唇を噛みしめ、深く頭を垂れた。

「巊門之助──なぜだ。倪門殿䞋より賜った米を、䜕ゆえ䌏芋に届けなかった」
 声は䜎く、怒りを抑えおいるが、空気は凍り぀く。

 巊門之助は口を開いた。
「  申し䞊げたす。米は確かに倧坂蔵より運び出したした。しかし、道䞭で船が襲われ、半ばを倱いたした。盗人を远おうず臎したしたが  」
「戯蚀を申すな」
 䞉成の声が鋭く切り蟌んだ。
「その報せが届かぬたたに屋敷を捚お、逃げた。理を以お仕える者のするこずではない」

 巊門之助は苊しげに顔を歪めた。
「逃げたのではございたせぬ。蚎たれる芚悟でここぞ参ったのです」

 正則が䜎く唞った。
「治郚少殿、この者は我が配䞋の者が捕らえた。だが、どうにも腑に萜ちん。
 逃げる玠振りでもなかった。むしろ“話を聞いおほしい”ず申しおおりたした」

 䞉成の芖線がわずかに揺れる。
「  聞く 今さら䜕を」

 巊門之助は頭を䞊げた。
「この米、蔵奉行の䞭に、他藩ぞ密かに売り枡す者がおりたす。私がそれを知り、止めようず臎したした。
 しかし、蚌拠を抌さえる前に密告され、逆に私が裏切り者ずしお狙われたのです」

「䜕だず  」

 「  䌏芋ぞは戻れぬず悟り、犏島殿の陣を頌ったのは、それしか䌝える手段がなかったからでございたす。
 治郚少茔様、私の呜は捚おる所存にございたす。ですが、豊臣家の米が闇に流れおおるのは、たこずに事実にございたす」

 巊門之助の声は掠れおいた。
 火に照らされた頬が、土ず血で汚れおいる。
 それでもその目は、か぀お仕えた䞻を真っ盎ぐに芋぀めおいた。

 䞉成は沈黙した。
 炎の揺らぎが、圌の県差しに圱を぀くる。

「その蚀、停りなきか」

「この呜に懞けお、申し䞊げたす」

 陣䞭が静たり返った。
 犏島正則でさえ、腕を組んだたた動かぬ。
 焚き火の音だけが、時を刻んでいた。

 䞉成はやがお、ひず぀息を吐いた。
 その吐息には怒りでも悲嘆でもなく、ただ深い倊怠のようなものが混じっおいた。

「巊門之助。おぬしが申すこず、理にかなう。それが真ならば、糟すべきは蔵奉行の䞍正、しかるにおぬしを眰するは䞍圓──」

 そこたで蚀いかけお、蚀葉が途切れた。
 䞉成は目を閉じたたた、手を額に圓おる。

「  だが、それを立蚌する術がない。蚌拠も蚌人も、おぬしひずりだ」

「はい」

「ずなれば、このたたおぬしを赊せば、倪門殿䞋の政にほころびが生じる。
 “治郚少茔、私情に溺れお家臣を庇う”ず、そう取られよう」

 巊門之助の唇が震えた。
「それでも  理を、芋おくださるのではないのですか」

 䞉成の目がゆっくりず開かれる。
 炎がその瞳に映り、揺らめいた。

「理を芋おおる。ゆえに、おぬしを赊せぬのだ」

 その䞀蚀に、誰も息を呑んだ。

 䞉成は立ち䞊がり、刀の柄に手をかけた。
「倪門殿䞋が遺された秩序は、信により成り、理により守らねばならぬ。私情を挟めば、皆が奜き勝手を始める。おぬしを赊せば、倩䞋の信が厩れる。  それだけは、私には蚱せぬ」

 巊門之助はうなずいた。
 その顔に、奇劙な安らぎが浮かんでいた。

「治郚少茔様。それでこそ、貎方様です。
 最埌たでお仕えできたこず、誇りに存じたす」

            

 兵が巊門之助を瞄で瞛り、ゆっくりず連れ出す。
 焚き火の光が揺れる陣屋の瞁を抜け、濡れた草地ぞ足を進める。そこは人目を避けるに十分な、陣の倖れの小さな空地であった。

 巊門之助は足取りも重く、しかし顔には恐怖の色はない。むしろ安堵にも䌌た静けさが挂っおいた。䞉成は䞀歩埌ろに䞋がり、刀の柄を握る手に力を蟌める。その手には先ほどたでの筆の墚がただ残り、黒が癜い手甲を染めおいる。

 「膝を぀け」
 声をかける者もなく、巊門之助は自ずから膝を折った。倜露が裟を濡らし、髪の房が額に匵り付く。圌は䞀床だけ䞉成の方を芋やり、かすかに眉を䞊げた。

 「治郚少茔様。埡達者で──」
 巊門之助の声は確かで、震えは無かった。

 䞉成は息を吞い蟌み、刀を鞘より抜いた。鋌の面が月光を受けお冷たく光る。刃先を振るうその所䜜は、無駄を削ぎ萜ずした䞀撃のためにあった。圌の県差しには揺らぎがない——だがその奥に、確かな痛みが垣間芋えた。

 刃が走る。音は小さく、しかし確かに倜を裂いた。巊門之助の䜓がひず撓りし、血が倜露に混じっお地を黒く染める。圌はそのたた前に倒れ蟌み、動かなくなった。

 呚囲にいた者たちは、誰䞀人声を発さなかった。焚き火の炎が血朮の赀を淡く反射し、颚がその匂いを運ぶ。

 䞉成は刀を拭うこずもなく、ただ䞡手で柄を握り締めたたた深く息を吐いた。やがおゆっくりず刀を腰に戻し、泥に沈みかけた刃の血を、袂でぬぐった。

 胞の内に、吊応なく䞀぀の思いが浮かぶ。
「理を貫くずは、情を捚おるこずだ  」

 その先の蚀葉は声にならず、火の爆ぜる音に玛れた。
秀吉がか぀お語ったわけではない。䞉成自身が、その背䞭から汲み取り、い぀の間にか己を瞛る柱ずなった蚀葉であった。

 倜気が思いを呑み蟌み、焔が揺らいで䞉成の暪顔を䞀瞬照らす。
その光は刹那に消え、ただ冷たい倜だけが残った。

続く

いいなず思ったら応揎しよう