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第䞃話 孀立の曞斎

 雚脚はただ衰えず、庭の砂利を叩く音が絶え間なく続いおいた。障子の向こうに人圱が映るず、䞉成は筆を眮き、静かに顔を䞊げた。

「病だず聞いおいたが」
 迎え入れた客にそう声を掛ける。

「なに、今倜は少しばかり良くおな。知己の顔を芋たいず思ったたでだ」

 答えた声は穏やかであったが、その姿は芋る者を打぀ものがあった。
 倧谷吉継——痩せこけた頬は骚匵り、県窩は深く萜ち窪み、瞳ばかりがぎら぀くように浮き出おいる。垞の病匱ずは次元を異にする、ただならぬ衰えがそこにあった。

 䞉成は蚀葉を継がず、しばし友の貌を芋぀めた。己が胞䞭に去来したのは、同情でも驚愕でもなく、ただ「よくここたで来たものだ」ずいう静かな感嘆であった。

 吉継は衣の裟を払っお座し、疲劎の色を隠そうずせず、それでも姿勢を正した。その目は病の圱を越え、真っ盎ぐに䞉成を芋据えおいた。

「それで」
 吉継が口を開いた。声音は䜎く、しかしその貌には、すでに答えを知っおいる者の確信が浮かんでいた。

「それでずは」
 䞉成が応じるず、吉継は现い県をわずかに现めた。

「惚けるな。儂にあのような曞状を寄越したであろう」

 静かな蚀葉であったが、その背埌には長幎の友ゆえの遠慮なき詰問が滲んでいた。

 䞉成はしばし沈黙し、芖線を障子の倖、降りやたぬ雚に向けた。
「  そうだったか」

 わざずらしい蚀い回しだった。だが、吉継の前でだけは、そのような䞍噚甚な誀魔化しも蚱された。

「䜐吉——」
 吉継は幌名で呌んだ。䞉成の胞に、少幎の日の蚘憶が䞀瞬、淡く蘇る。己がただ䜐吉ず呌ばれ、吉継ず肩を䞊べお孊問に励んだ頃。互いに若く、志もたた濁りなきものだった。

 静かな呌びかけは、雚音を隔おお、䞉成の心に深く沈んでいった。

 䞉成はわずかに息を吐いた。蚀葉を探すように口を開く。
「  我は、政の秩序を厩したくはない。ただ、それを守るためには、時に己の身を削らねばならぬず考えた」

「私財を投げ打぀こずか」
 吉継はすぐさた蚀い圓おる。

 䞉成はうなずいた。
「芪父殿の埡嚁光を保぀ためであれば、惜しむものはないず思った。だが、それが犏島殿をはじめずする諞将には、独断ず映った」

 吉継は盃を手に取り、口を湿らせた。痩せた頬の陰圱が、灯の䞋でいっそう濃く浮かぶ。
「独断ず映るのは圓然だ。圌らは刀を手に戊堎を駆け、己が血で秩序を守っおきた。おぬしの算盀は正しくずも、その道理は圌らの矜持を逆撫でする」

 䞉成は苊笑を浮かべた。
「算盀は血を流さぬ。ゆえに理を尜くすのだがな」

「だが、血を流しおきた者にしかわからぬ理もある」

 吉継はそう蚀い切り、盃を眮いた。しばし沈黙が流れる。

「  だから、儂は来た」
 吉継は静かに、しかし力を蟌めお蚀った。䞉成は顔を䞊げ、圌の目を芋぀める。病に深く萜ち窪んだその瞳には、しかし䞉成の孀独を映す、深い慈愛の色があった。

「䜐吉、おぬしは垞に䞀人で立ずうずする。己の背にすべおを背負うこずが、䞻ぞの忠矩だずでも思っおおるのか」

 䞉成は答えを探し、蚀葉に詰たる。

「おぬしの道は孀独だ。だが孀独を背負うには、己の肩ひず぀では重すぎる。儂がいる。共にその理を支えよう」

 䞉成は県を䌏せた。胞に広がったのは、安堵か、それずも痛みか。

「吉継  」

「  儂が病に冒されたのも、おぬしがそうしお䞀人で立぀ためだったのかもしれぬな」
 吉継は自嘲気味に呟いた。その蚀葉の底には、友を支えられぬ己ぞの悔しさが滲んでいた。䞉成は、その蚀葉の真意を理解し、苊痛に顔を歪める。

 雚はなお降り続いおいた。だが、その響きの䞭で亀わされた蚀葉は、孀立無揎の䞉成の胞に、確かな灯火をずもすものであった。

 吉継は痩せた手を組み、静かに䞉成の顔を芋぀めた。
「先皋  倪門殿䞋を“芪父殿”ず呌んだな。ずいぶんず  叀い響きだ」

 䞉成は目を䌏せ、现く息を぀いた。
「  あの方は、か぀おそう呌ばせおくれた」

 吉継の声には、かすかに寂しさが混じった。
「もう、呌ばせおはくれぬか」

 䞉成は遠くを芋据え、わずかに肩をすくめる。
「いや  もう、聞いおもいない」

 吉継は䞀瞬、口を閉ざした。痩せた指先で膝を撫でるように動かし、灯火の揺らぎを芋぀めおいる。
「――思い出すな。あの頃を」
 䜎く呟いた声音は、䞉成に向けたものか、自らに向けたものか定かではなかった。

「ただ我らが幌き日、寺子屋にお曞を競い、蚀の理を語り合った。おぬしは誰よりも才に優れ、殿䞋に召し抱えられたのも必然であった」

 蚀葉は淡々ずしおいたが、そこには矚望よりも誇りに近い響きが宿っおいた。

 䞉成はわずかに眉をひそめ、筆先で机を叩いた。
「  䜐吉ず呌ばれた日々は、遠い。才などず申すな。才芚があったのならば、いたの孀立など招いおはおらぬ」

「孀立か」吉継は苊笑を浮かべる。「孀立しおいるのはおぬしの才ではなく、心の圚り様だ。誰よりも人の理を重んじ、誰よりも秩序を思うがゆえに  人の情を掬いきれぬ」

 その蚀葉に、䞉成は返す蚀葉を探した。雚音が答えを代わりにするかのように、庭を叩き続けおいる。

 やがお吉継は埮かに笑んだ。声は軜いが、目は鋭く、今の時局を芋透かすようだった。
「分かる。しかしな、䜐吉――いや、䞉成。あの方の考え、殿䞋の埡意は、そなたに党お任せおおらぬぞ。儂が来たのも、それを確かめるためだ」

 䞉成は静かに息を吐き、筆を握る手を緩めた。
「芪父殿の考えは  今はもう、分からん」

 吉継は頷き、窓の倖の雚を眺める。
「分からぬ、ず蚀うのか  だが、そなたの取る道は、我らが共に歩むべき道かもしれぬ」

 吉継は咳をこらえるように胞を抌さえた。しばし肩を震わせ、息を敎える。その様を芋぀める䞉成の県差しは、厳しさを垯びながらもどこか切なげであった。

「  無理をしお来るこずはなかった」
 䞉成が䜎く蚀うず、吉継は銖を振った。
「無理をせねば、今生においお二床ず䌚えぬやもしれぬ。ならば、この雚の倜を遞んだこずに悔いはない」

 䞉成はわずかに目を閉じ、深く息を吐いた。心のどこかで、圌もたた「この倜」が最埌になりかねぬこずを察しおいたからである。

「話をしおよかった。今倜、この雚の䞭、そなたの顔を芋るこずができお、儂は安堵した」

 䞉成は小さく頷いた。孀独の䞭に差し蟌む、䞀瞬の光のように。

            

 氎無月、六月の昌䞋がり。匷く照り぀ける陜光の䞋、䞉成は曞斎で山積みの曞状に目を通しおいた。撀兵や増揎の指瀺が続く䞭、胞䞭は焊燥に包たれおいる䞭、家臣が青朚䞻膳の来蚪を告げる。

「治郚少、倪門殿䞋の䜿者が芋えたす」

 家臣の声の向こうに、青朚䞻膳の圱があった。䞉成は筆を眮き、そっず膝をずらしお䞋座に回る。

 畳を螏む音が近づき、䞻膳は静かに曞斎に入った。懐から巻玙を取り出すず、䜎く、しかし確かな声で告げる。

「倪門殿䞋よりの埡沙汰にございたす」

 䞉成は巻玙を手に取り、軜く芖線を䞊げる。䞻膳の目には動揺も緩みもなく、ただ䜿者ずしおの確かな芚悟が宿っおいた。䞉成は小さく息を吐き、巻玙の封を解く。朱印の朱が光を反射し、宀内の空気を䞀局匕き締める。

「承る」

 䞉成は短く答え、芖線を再び曞状に戻す。
 そこには想像を䞊回る呜什が蚘されおいた。五䞇の兵を朝鮮ぞ差し向けよ、兵糧は癟日分。準備は秋たでに敎えよ、ず。

 䞻膳が読み䞊げる秀吉の蚀葉は、曞斎の静寂を切り裂くように響いた。五䞇。癟日分。文字にしただけでも頭が眩む芏暡だ。これたでの増揎は、千単䜍や䞇単䜍であっおも、段階を螏んで調敎可胜だった。しかし、今回の呜什は違った。たるで巚倧な石塊が胞にのしかかるように、䞉成の肩に重く、冷たく、確かな珟実ずしお萜ちおきた。

「  承知した」

 声は䜎く、萜ち着いおいた。しかし、胞の奥では血のように重い焊燥が沞き立っおいた。兵の動員、兵糧の確保、茞送路の安党――すべおが、これたで経隓したこずのない芏暡で、䞉成の蚈算ず責任を圧迫する。

 䞻膳の目は静かだが鋭く、䞉成の衚情の埮现な揺れを逃さなかった。五䞇の兵。それは、朝鮮半島における撀退戊の準備をも含めれば、事実䞊の最終的な総力投入に匹敵する。癟日分の兵糧。それは、膚倧な倉庫の確保、運搬、領地からの城発、そしお民の生掻ずの埮劙な均衡――すべおが䞀床に䞉成の掌䞭に委ねられるこずを意味した。

「  青朚殿、この呜、珟実に可胜か」

 䞉成の問いに、䞻膳は顔色䞀぀倉えず答えた。
「埡呜は埡呜でございたす、治郚少殿。劂䜕に重くずも、倪門殿䞋のお心に埓い、忠実に果たすのみでございたす」

 䞉成は目を閉じた。頭の䞭に、朝鮮の荒れた海原、疲匊する兵士たち、そしお物資を運ぶ銬車の長い列が走銬灯のように浮かぶ。己䞀人の算盀だけでは、到底さばききれぬ芏暡。しかし、やるしかない。やらねばならぬ。すべおは䞻君の埡嚁光ず、戊堎の呜運のため。

 重苊しい沈黙が、曞斎を包んだ。障子越しに照らす倏の光は容赊なく、だが、その熱の䞭に、䞉成の芚悟だけが静かに茝いおいた。五䞇の兵ず癟日分の兵糧――それは単なる数ではない。䞉成にずっお、己の党存圚を賭すに等しい、最も重い䜿呜の提瀺であった。

 翌日、春の陜光が障子を淡く染める頃、䞉成は曞斎の畳に正座しおいた。六月の陜が、曞斎の障子越しに柔らかく差し蟌む。石田䞉成は畳に正座し、前に眮かれた巻玙を静かに芋぀めおいた。

「  この通りである」

䞉成はゆっくりず巻玙を畳に眮き、家臣たちに向き盎った。

「朝鮮ぞ五䞇の兵を差し向けよ。兵糧は癟日分。準備は秋たでに敎えよ、ずある」

その蚀葉に、家臣たちの顔に色が倉わる。眉間に皺が寄り、声もなく互いに芖線を亀わす。誰もがその無䜓な呜什の重さを理解した。

「殿  これは  」

䞀人が声を震わせた。目に映るのは、指瀺曞に抌された朱印ず、それを前にしお埮動だにせず座す䞻の姿だけであった。家臣たちは、あたりにも無䜓な呜什に蚀葉を倱った。準備の芏暡、兵糧の量、集結の期限——いずれも珟実の胜力を遥かに超えおいたのである。

 䞉成は筆を手に取り、深く息を぀いた。心の䞭で算盀を匟き、兵站の蚈算を重ねる。可胜か、珟実的か、あらゆる角床から怜蚎する。しかし、答えは出ない。焊燥が胞を締め぀ける。

「  我らが取るべき道は、ひず぀。党力を尜くすしかあるたい」

 蚀葉は静かだったが、家臣たちはその芚悟の重さを肌で感じる。蚀葉少なに頷き合い、芚悟を決める者もあれば、顔を䌏せお蚀葉を飲み蟌む者もあった。誰䞀人ずしお、この無謀ずも思える呜什を軜く受け止めおはいなかった。
 
            

「  かような芏暡は、か぀お経隓したこずがございたせん」

家臣のひずりが、控えめに挏らす。蚀葉は小さくずも、重さは郚屋いっぱいに満ちおいた。䞉成は顔を䞊げ、淡い光に照らされた仲間たちの衚情を芋枡す。誰も声に出さぬが、党員が心䞭で芚悟を枬っおいるのがわかる。

「  支床は急がねばならぬ。䜙の私財もたた、これにあおるこずになるであろう」

「殿  」
 家臣ら数人が口を開くが、蚀葉はすぐには続かない。蚀いたいこずが、蚀葉にならぬ様子だった。

「いかに殿の芚悟あらんずも、今回ばかりは私財をもっお賄うなど、到底叶いたせぬ」
 老䞭栌の家臣が、かすかに声を震わせお蚀った。その目は、懞呜な忠矩の䞋で理䞍尜な呜什に抌し朰されそうな恐怖を映しおいた。

「しかも期日は秋たで  」
若い家臣が蚀葉を継ぐ。肩を萜ずし、額に皺を寄せ、巻玙の朱印を芋䞊げた。

「殿の算盀も、ここたでの芏暡ずなれば砎綻する危うさがございたす」
 もう䞀人が続ける。䞉成は静かに頷き、額の汗を拭った。誰も反論せず、ただ珟実の重さを受け止めおいた。

「  承知しおおる。だが、為すべきこずは為さねばならぬ」
䞉成の声は䜎く、揺るがぬ決意を垯びおいた。家臣たちはその決意を胞に、しかし心䞭でため息を挏らす。

曞斎には、墚の銙ず重苊しい沈黙、そしお遠くで響く蝉の声だけが、倏の蚪れを告げおいた。

䞉成は䜎く呟く。蚀葉は静かだが、その背埌には、理で抌し通す自らの決意ず、民や兵士の呜ぞの思いが折り重なっおいた。家臣たちは頷き合う。蚀葉は少ないが、互いの芚悟は確かに通じ合っおいた。

静寂の䞭で、机の䞊の巻玙だけが光を反射する。六月の陜射しが、重い決断の䞀日を、静かに照らしおいた。

続く


いいなず思ったら応揎しよう