モンゴル帝国とプロジェクトマネジメント② ~ウルスとポートフォリオマネジメント~
モンゴルには「ウルス」という言葉がある。
これはモンゴル語で「国家」や「人々」を意味し、モンゴル帝国は正式には「イェケ・モンゴル・ウルス(大モンゴル国)」と称されていた。
モンゴル帝国は、初期にはチンギス・カン(大カン)を頂点とする中央集権国家として成立したが、後期になるとウルスを基盤とする分散型国家の性格を強めていった。
チンギス・カンには四人の息子がいた。そのうちジュチ、チャガタイ、オゴタイの三人には、それぞれ四つの千戸(軍事・行政単位としての千戸制による組織)を分与して諸子ウルスを形成させた。また、実弟であるカサル、カチウン、テムゲの三人には、それぞれ一、三、八の千戸を与え、諸弟ウルスを形成させた。
また、モンゴルには末子相続の慣習があり、末子のトルイは最後まで親元にとどまり、家産を継承した。家の象徴である「炉」を守ることから、末子は「炉の主(オッチギン)」と呼ばれた。
「天幕のジャードゥーガル」第2巻は、始祖チンギス・カンの崩御から物語が始まる。
総会議(クリルタイ)の結果として生じるモンゴル帝国内のパワーバランスの動揺や、ファーティマとドレゲネの出会いなど、大きな転換点が描かれている。
大カン(カアン)に誰が即位するかで、帝国内のパワーバランスが大きく変わってしまうのは、まだ中央集権的な国家の面が強くあったことを示している。
カアンが、一つ頭の大蛇として、皆の頭として機能していたということである。
モンゴル帝国が最大領土に達したのは1279年、南宋を滅ぼし中国全土を支配した時とされる。
これはファーティマの死から約30年後であり、「天幕のジャードゥーガル」に描かれるモンゴルは、まだ発展途上にあったといえる。
その領域は朝鮮半島や中国全土から、西は東ヨーロッパ、南はベトナム北部やチベット・中央アジア一帯、イラン高原、中東(イラク)にまで及び、総面積は約3,300万 km²に達した。チンギス・カンの死(1227年)から約50年後のことである。
興味深いのは、帝国のピークがカリスマ的指導者チンギス・カンの存命中ではなく、その死後約半世紀後に訪れたという点である。
現代的にいえば、組織を発展させるのに必要なのはカリスマ経営者ではなく、制度やプロセスとしての組織力だといえるだろう。
モンゴル帝国を拡大させた仕組みとしては、千戸制(十進法の組織)、ヤサ(法令)、機動力に優れた騎馬軍、駅伝制(ジャムチ)による兵站管理などがある。これらを成立させた背景には「ウルス」という国家体制があったと考えられる。
各ウルスは独立的かつ機動的に活動し、全体をイェケ・ウルスが統制する。
これは、複数の事業やプロジェクトをプログラム・ポートフォリオとしてマネジメントする形に近い。
ポートフォリオマネジメントにおいて重要なのは、組織全体のガバナンス体制や、ビジョン・ミッション・戦略・目標・価値観の共有である。
その実現には、個別プロジェクトのPMOだけでなく、全体管理組織としてのPMOが不可欠となる。
全体PMOを機動的に機能させるためには、ポートフォリオマネジメント、プログラムマネジメント、プロジェクトマネジメントの知識が求められる。
知識と知恵があれば現状を変革し、新たな流れを生み出すことができる。まさに、嵐も起こせるのである。
