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【試し読み】『協調外交と勢力圏』

弊社2026年7月新刊、『協調外交と勢力圏』は、日露戦争後から第一次世界大戦が始まるまでの短い期間、例外的に協調関係にあったとされてきた日本とロシアの不信と駆け引き、そして協力の実態を描き出す意欲作です。

このnoteでは、本書の目的を簡潔に著した序章「例外的な友好の時代?」の「一 日露戦争から日露協調へ」を公開いたします。ぜひご覧ください!

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序章 例外的な友好の時代?

一 日露戦争から日露協調へ

 1894年の日清戦争勃発、下関講和条約、三国干渉、北清事変、そして日英同盟成立を経て1904年の戦争に至るまでの日露関係、さらに1905年に結ばれたポーツマス講和条約については研究書にとどまらず、一般向けの書籍やテレビなどでも語られ尽くしてきた感がある。しかし、日露関係の歴史はそこで終わるわけではない。日本は日露戦争の結果、列強の一員と認められることとなったが、それは日本とロシアが東アジアに領土を有するただ二つの大国となったことを意味していた。20世紀初頭の諸列強にとって東アジアは本国から遠く離れた地域であったが、その例外が日本とロシアだったのである。当時の両国は互いを考慮に入れることなしに、東アジアの国際情勢を考えることはできなかったといえる。日露戦争以前、両国が朝鮮半島や満洲をめぐって交渉を繰り返していたとすれば、ポーツマス講和条約後、そのようなやり取りは範囲をモンゴル、さらには清/中国そのものへ拡大して続けられたのである。

 ポーツマス講和条約から2年も経ないうちに、日本とロシアは第一次日露協約を結ぶ。さらに1910年には第二次日露協約が成立し、辛亥革命勃発後の1912年には第三次日露協約が締結された。これらはいずれも満洲、朝鮮半島およびモンゴルの勢力圏分割に関わる条約であった。そして1914年の夏に第一次世界大戦が勃発すると両国は同じ協商国側に立って戦うことになり1916年には、第四次日露協約も結ばれる。朝鮮半島と満洲をめぐる交渉の不調が1904年の戦争を導いたとすれば、1905年以降の交渉は、少なくとも結果をみる限りは成功したのである。

 本書は、ポーツマス講和条約成立から第一次世界大戦勃発前夜までの日本とロシアの協調関係に焦点を当てるものである。日露戦争とそこへの道程に比較して、この時期の日露関係は日本の大陸進出と第一次世界大戦の陰に隠れ、あまり注目されない傾向がある。しかし、ある外交史家によれば、平和は人為的に創られるのであり、戦争よりも多くの説明を必要とするのである。本書でもみていくように、両国はポーツマス講和条約成立後も互いを軍事的脅威とみなし続け、時には〝第二次日露戦争〞の危機が叫ばれることもあった。1905年から1914年の日露関係は、元交戦国同士、互いを警戒する二つの大国の間でいかにして協調が築かれ、維持されたかについての歴史なのである。この協調関係の形成、性格や特徴を明らかにし、それがどこまで現実に機能したかを検討すること、一言でいえば、日露協調とは何であったのかを実証的に描き出すことが本書の目的である。

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(続きは本書にて)

著者略歴

岡部克哉(おかべ・かつや)
北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター助教。
慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程修了、博士(法学)。在ロシア日本国大使館専門調査員などを経て、2025年より現職。
専門分野:日露関係史、国際関係史。

目次

序 章 例外的な友好の時代?

第一部 日露協調の形成
第一章  “消極的” 協調としての第一次日露協約――朝鮮半島と“門戸開放”
第二章 ロシア軍部にとっての協調外交――国家防衛評議会からみた対日脅威認識
第三章 第二次日露協約と協調の“積極化”―― 不信と期待

第二部 日露協調の実像
第四章 辛亥革命前夜の協調外交――“門戸開放”・韓国併合・対清政策
第五章 辛亥革命と満洲問題――“積極的” 協調の不在
第六章 旧四国借款団に対する提携―― “積極的” 協調の舞台裏
第七章 第一次世界大戦前夜の協調関係――モンゴル問題をめぐる緊張

終 章 日露協調とは何だったのか

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