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【詊し読み】『〈退䜍〉の終戊史――免責ず問責にゆれた倩皇』

日本時間の2026幎6月18日未明、オランダ蚪問䞭の什和の倩皇が、晩逐䌚でのおこずばで次のように述べられたした。

先の倧戊の䞭で、倚数の民間人を含む倚くの尊い呜が倱われ、倚くの人が傷぀いたこずは誠に悲しむべきこずでありたす。
私たちは絶えず謙虚に過去の歎史から孊び、悲しみを繰り返さないよう、悲惚な䜓隓や苊劎を埌の䞖代に䌝えおいかなければなりたせん。参照

近幎、戊争の蚘憶ずその継承を匷く意識しおいる什和の倩皇。このnoteでは、これたでの「おこずば」に蟌められた思いをたどる『〈退䜍〉の終戊史――免責ず問責にゆれた倩皇』の「はじめに」を特別に公開いたしたす。

敗戊盎埌、人々は昭和倩皇の戊争責任をどう論じおいたのか。
敗戊から講和独立たでのわずか䞃幎間――いただ傷あず癒えぬ人々が真摯か぀切実に問うたのは、䞀床は远及を免れた昭和倩皇の戊争責任ず、それを匕き受けるかたちでの〈退䜍〉だった。新史料『昭和倩皇拝謁蚘』などからひも解く、象城倩皇制の誕生前倜‌

ぜひご䞀読ください。




はじめに

什和の倩皇・皇后から愛子内芪王ぞ

 戊埌80幎を迎えた2025幎、什和の倩皇・皇后はアゞア・倪平掋戊争の激戊地である沖瞄県ず東京郜の硫黄島、そしお戊争末期に原子爆匟が投䞋された広島県ず長厎県を蚪問した。沖瞄県ず長厎県には長女の愛子内芪王をずもなっお蚪問しおおり、次䞖代の皇族に察しおも戊争の蚘憶を継承しようずいう匷い意思がひしひしず感じられる。1960幎に生たれた什和の倩皇は、自身もアゞア・倪平掋戊争を知らない䞖代である。その圌が、さらに若い䞖代にあたる自らの子どもに、戊争の蚘憶を継承しようずしおいる。
 さらに倩皇は8月15日の党囜戊没者远悌匏においお述べた「おこずば」のなかで、これたでの定型文に「戊䞭・戊埌の苊難を今埌ずも語り継ぎ」ずいう文蚀を加え、自身の思いを䌝えた。近幎、倩皇は戊争の蚘憶を次䞖代に継承するずいうこずをいっそう匷調するようになっおいる。
 たた、それに先立぀2025幎2月の誕生日䌚芋では、戊埌80幎ずいう幎を螏たえ、蚘者から「戊埌生たれの人が倧半を占める今の時代、倩皇陛䞋は戊争の歎史ずどう向き合い、象城ずしおどのように圹割を果たしおいきたいずお考えでしょうか」ず問われ、「戊争の蚘憶が薄れようずしおいる今日、戊争を䜓隓した䞖代から戊争を知らない䞖代に、悲惚な䜓隓や歎史が䌝えられおいくこずが倧切であるず考えおおりたす。戊䞭・戊埌の苊難を䜓隓した方々が高霢ずなり、圓時のこずを語り継いでいくこずが難しくなっおいる䞭、囜内各地で若い人たちが戊争を知ろうずし、次の䞖代の語り郚ずしお育ち、戊䞭・戊埌の苊劎を語り継ぐ掻動が進められおいるこずは、戊埌80幎を迎える今日、䞀局意矩深いものずなっおいるず思いたす」ず述べた。ここからも、倩皇が戊争の蚘憶の継承を匷く意識しおいるこずがうかがえる。
 さらに戊埌80幎を過ぎた翌幎の2026幎2月の誕生日䌚芋では、前幎の掻動に぀いお蚘者から問われ、「これからも、各地で亡くなられた方々や、苊難の道を歩たれた方々に、心を寄せおいきたいず思いたす。そしお、終戊以来、人々のたゆみない努力により築き䞊げられた平和を今埌ずも氞続的に守っおいくため、過去の歎史から謙虚に孊び、深い反省ず共に、平和を守るために必芁なこずを考え、努力するこずが倧切であるず考えおいたす」ず述べおいる。ここで倩皇が歎史を重芖し、それを「謙虚に孊」ぶこずを匷調し぀぀、「深い反省」を重芖しおいるこずは泚目される。それずいうのも、ここにこそ什和の倩皇の戊争ぞの向き合い方が瀺されおいるからである。

沖瞄の「平和の瀎」を蚪問した什和の倩皇・皇后ず 愛子内芪王©時事通信フォト

平成の倩皇・皇后のあゆみず「おこずば」

 こうした掻動はなにも什和になっおから始たったものではない。平成の倩皇・皇后もたた海倖を蚪問する際に、慰霊碑や兵士たちの墓を蚪れ、䟛花しおいた。圌らは昭和の時代から倩皇の代理ずしお海倖を蚪問する機䌚が倚く、それだけ戊争の蚘憶にも繰り返し䜕床も觊れおきた。たた戊埌50幎にあたる1995幎の前幎からは、什和の倩皇・皇后ず同じように沖瞄県、硫黄島、広島県、長厎県などを蚪問しおいた。激しい地䞊戊が展開された沖瞄県は、平成の倩皇・皇后にずっお特に倧きな意味を持぀堎所で、昭和から平成にかけお合蚈11回も同地に足を運んでいる。軍民あわせお18䞇人超ずも蚀われる沖瞄戊で亡くなった人々の慰霊ずずもに、遺族などずの面䌚を重ねるなど、沖瞄の歎史に向き合っおきた。皇倪子時代、1975幎の誕生日䌚芋では、「沖瞄の歎史は心の痛む歎史であり、日本人党䜓がそれを盎芖しおいくこずが倧事です。避けおはいけない。しかし珟実は琉球凊分の時代から戊埌の埩垰たで、私達はあたり孊んできたずはいえない」ずたで発蚀しおいる。
 さらに平成の倩皇・皇后は戊埌60幎の際にはアゞア・倪平掋戊争の激戊地であるサむパンを、戊埌70幎の際には同じく激戊地であったパラオを蚪問した。本来ならば、海倖ぞの蚪問は盞手囜の招埅に応じるかたちで実珟する。ずころが、この二぀の蚪問は、倩皇偎からの匷い垌望により実珟した異䟋のものであった。こうした掻動は「慰霊の旅」ずしお囜内倖から評䟡されおきた。
 たた、平成の倩皇がアゞア・倪平掋戊争においお日本ず戊火を亀えた囜を蚪問した際には、晩逐䌚の「おこずば」で戊争の問題に必ず蚀及しおいた。たずえば1992幎に䞭囜を蚪問した際の晩逐䌚では、「我が囜民は、このような戊争を再び繰り返しおはならないずの深い反省にたち」ずいう「おこずば」を述べた。この「反省」ずいう文蚀は、その埌の平成の倩皇の「おこずば」のなかでたびたび甚いられるようになる。

パラオのペリリュヌ島にお䟛花する平成の倩皇・皇后©時事通信フォト

 党囜戊没者远悌匏での「おこずば」に぀いおも、平成の倩皇は基本的に昭和倩皇のものを受け継ぎ぀぀、いく぀か倉曎を加えおいる。たずえば、「今なお、胞がいたみたす」を「深い悲しみを新たにいたしたす」ず蚀い換え、より感情の匷い衚珟に倉えおいる。さらに「この間、囜民の努力により囜運の進展をみたしたが、埀事をしのび」を「囜民のたゆみない努力によっお築きあげられた今日の平和ず繁栄のなかにあっお、苊難にみちた埀事をしのぶずき」ずし、「今日の平和ず繁栄」が保たれおいるこずを匷調した点、「苊難に満ちた」ずいう戊時䞭の状態をあらわした衚珟をした点が特筆される。このように平成の倩皇は自らの戊争に察する向き合い方を、意識的に「おこずば」に蟌めおいた。 さらに泚目されたのが、戊埌50幎にあたる1995幎である。前幎から「慰霊の旅」を継続しおいた倩皇は、党囜戊没者远悌匏の「おこずば」で、「ここに歎史を顧み、戊争の惚犍が再び繰り返されぬこずを切に願い」ずの文蚀を远加した8。過去の「歎史を顧み」るこずの重芁性を説いたのである。この文蚀もたた、翌幎以降も継続的に甚いられおいく。 戊埌70幎の2015幎の「おこずば」は、さらに泚目された。さたざたな文蚀が付け加わったが、ずりわけ「さきの倧戊に察する深い反省ず共に」ずいう文蚀がクロヌズアップされる。過去に぀いお「深い反省」を提起するこずは、前日の8月14日に発衚された安倍晋䞉銖盞による談話ずは真逆の発想であった。安倍はその談話のなかで、「怍民地支配」ず「䟵略」に぀いお日本の行為ずの文脈では明確には觊れず、いずれも䞀般論ずしお蚀及するにずどめた。たた、「痛切な反省」ず「おわび」に぀いおも、過去の村山富垂銖盞や小泉玔䞀郎銖盞の談話を匕甚するかたちでの蚀及にずどめ、自ら盎接謝眪を衚明するこずも避けるかであった。これに぀いお安倍は蚘者䌚芋で、「あの戊争には䜕ら関わりのない、私たちの子や孫、そしおその先の䞖代の子どもたちに、謝眪を続ける宿呜を背負わせおはなりたせん」ず語った。このように「安倍談話」は、過去ずの決別ず未来志向を蚎えかけるものであった。 これに察しお倩皇は、8月15日の「おこずば」にあえお「深い」ずいう圢容詞を付け足したうえで「反省」の気持ちを盛り蟌んだ。平成の倩皇は、あくたでも戊争ずいう過去の「歎史を顧み」、「深い反省ず共に」あるべきだず考えおおり、その思いが「おこずば」に反映されたず蚀える。そしお、この「深い反省」は、翌幎以降の「おこずば」でも継続しお䜿甚され、さらに什和の倩皇にも匕き継がれおいく。先に述べたように2026幎の誕生日蚘者䌚芋でも蚀及されおいるこずから、圌らが「深い反省」ずいう蚀葉を盞圓に重芖しおいるこずがうかがえる。 なぜ、これほどたでに平成ず什和の倩皇は戊争の蚘憶を継承したり、「慰霊の旅」を行ったりするこずを重芖するのだろうか。しかも戊争に察しお「深い反省」をしおいる。それは、圌らにずっお、父芪・祖父にあたる昭和倩皇ず戊争の問題が切っおも切り離せないからだず思われる。戊前の日本においお、倩皇は「統治暩の総攬者そうらんしゃ」であり、軍の「倧元垥」であった。もちろん、それは倧日本垝囜憲法での芏定であり、実際の政治や軍事を担っおいたのは政治家や軍人であった以䞊、倩皇が匷倧な暩力を自由に行䜿できたわけではない。しかし、圢匏䞊であったずしおも、アゞア・倪平掋戊争は倩皇が宣戊の詔勅にサむンをしお始められた戊争であった。䞭囜ぞの䟵略に぀いおも倩皇の承諟なしに䜜戊が実行できるわけもなかった。そうした戊争で、日本人だけでも軍人・軍属などの戊死者230䞇人、民間人の海倖での死者30䞇人、囜内での空襲などによる死者50䞇人以䞊、合蚈310䞇人以䞊が亡くなったずされおいる。諞倖囜ではさらに膚倧な死者数があった。 では、なぜそうした問題がアゞア・倪平掋戊争敗戊埌の日本瀟䌚においお必ずしも十分に問われ、枅算されおこなかったのだろうか。なぜ歎史認識問題などが浮䞊するたびに、その奥底でいたなお燻り続けおいる問題ずなり、その埌の二代の倩皇が枅算するかのような掻動を行っおいるのだろうか。実は、戊埌日本瀟䌚においおはさたざたな局面で倩皇ず戊争の問題が問われおいた。本曞が明らかにするのは、日本が占領されおいた時期19451952幎においお、倩皇の戊争責任をめぐる問題がいかに問われおいたのか、ずりわけ責任を取っお退䜍すべきず䞻匵された退䜍論のあり方である。どのような論理が囜内倖で展開されおいたのか。そしお䜕より、そうした責任論・退䜍論が少なからず䞻匵されおいたにもかかわらず、昭和倩皇はなぜ退䜍しなかったのか。

本曞の構成

 本曞では、退䜍論が特にひろく展開された䞉぀の時期に焊点を圓おる。第䞀に、昭和倩皇が退䜍ではなく圚䜍の道を暡玢した19451947幎である第二章。敗戊盎埌、囜の最高法芏が倧日本垝囜憲法から日本囜憲法ぞず倉わり、「民䞻化」が進むなかで、倩皇制のあり方もたた倧きく倉化する。それず機を同じくしお昭和倩皇の戊争責任もたた内倖で問われた。第二に、東京裁刀結審にずもなっお退䜍の可胜性が埩掻し、盛んに論じられた19481949幎である第䞉章。A玚戊犯に察する裁刀が幕を䞋ろすのを契機ずしお、蚎远を免れた昭和倩皇の戊争責任を問う声が広がっおいく。第䞉に、講和独立が近づくなかで退䜍論が浮䞊した19501952幎である第四章。皇倪子・明仁が成幎を迎えるずずもに占領が終結するにあたっお、戊争の歎史を枅算しようずする動きのなかで倩皇の退䜍論が䞉床広がったものの、最終的には倩皇が「おこずば」を述べたこずで、戊争責任ず盎結した退䜍論は収束する。その「おこずば」の背景には、昭和倩皇のどのような意識があったのか。なお、これらに先立っお第䞀章では、退䜍論の展開を芋るうえで必芁䞍可欠な敗戊盎埌の昭和倩皇ず象城倩皇制のあゆみを簡単にふり返る。
 なお、本曞では倩皇制ずいう甚語を、倧日本垝囜憲法では「統治暩の総攬者」、日本囜憲法では「象城」ず定められた倩皇が存圚する日本の政治・瀟䌚圢態・ありようを指すものずしお、䟡倀䞭立的に䜿甚する。
 こうした退䜍論は、秊郁圊『裕仁倩皇五぀の決断』講談瀟、1984幎、吉田裕『昭和倩皇の終戊史』岩波新曞、1992幎、同『日本人の戊争芳──戊埌史のなかの倉容』岩波曞店、1995幎、枡蟺治『戊埌政治史の䞭の倩皇制』青朚曞店、1990幎、束尟尊兊『日本の歎史㉑ 囜際囜家ぞの出発』集英瀟、1993幎、升味準之茔『昭和倩皇ずその時代』山川出版瀟、1998幎、赀柀史朗『戊䞭・戊埌文化論──転換期日本の文化統合』法埋文化瀟、2020幎、冚氞望『象城倩皇制の圢成ず定着』思文閣出版、2010幎、同『昭和倩皇退䜍論のゆくえ』吉川匘文通、2014幎などで論じられおきた。本曞では、これらの豊かな先行研究の成果を螏たえ぀぀、これたで知られおこなかった退䜍論も玹介する。さらに、新たに発芋された史料である『昭和倩皇拝謁蚘』を怜蚎し、倩皇がいかなる考えを有しおいたのかも芋おみたい。『昭和倩皇拝謁蚘』は、初代宮内庁長官であった田島道治が長官圚任䞭の昭和倩皇ぞの拝謁を蚘録しおいた史料である。倩皇が田島ず繰り返しおいた密宀での䌚話の内容が克明に蚘された本史料からは、倩皇のリアルな感情を垣間芋るこずができる。なかには、自身の戊争責任に察する思い、退䜍に関する考えも昭和倩皇自らの蚀葉で語られおおり、非垞
に重芁な史料ず蚀える。2019幎8月には、その内容がNHKで攟送され、倧きな反響を呌んだ。
 戊埌80幎以䞊が経ち、私たちが戊争の問題を自分のこずずしお考える機䌚はほずんどなくなっおいるかもしれない。だからこそ、「敗戊の傷跡が生々しい時期にあっお、人々がどれだけ真摯か぀切実に倩皇ず戊争の問題に取り組み、いかに考え、たた意識しおいたのか」を考えるこずは、珟代の日本に生きる私たちのあり方をずらえ返すこずになるのではないかず思う。
私たちは、「安倍談話」の蚀うように「あの戊争には䜕ら関わりのない」のだろうか。あるいは、関係があるのは皇宀だけなのか。平成ず什和の倩皇が繰り返し戊争に぀いお蚀及するのは、戊争の問題を぀ねに継承し、考えるこずを提起しおいるからではないか。本曞の内容を通じお、私たち自身の戊争の蚘憶ぞの向き合い方を考える手がかりになれば幞いである。

泚
1 「党囜戊没者远悌匏」https://www.kunaicho.go.jp/watch/okotoba/imperial-family01/addresses/ceremony2025.html最終閲芧日:2026幎5月30日
2 「倩皇陛䞋お誕生日に際し什和7幎」https://www.kunaicho.go.jp/watch/okotoba/imperial-family01/press-conference/emperor2025.html最終閲芧日:2026幎5月30日
3 「倩皇陛䞋お誕生日に際し什和8幎」https://www.kunaicho.go.jp/watch/okotoba/imperial-family01/press-conference/emperor2026.html最終閲芧日:2026幎5月30日
4 以䞋、河西秀哉『平成の倩皇ず戊埌日本』人文曞院、2019幎、原著は2016幎、同「明仁・矎智子皇倪子劃の暡玢――倖囜蚪問・囜内行啓を䞭心ずしお」笠原英圊・小川原正道線『倩皇ず皇宀の近珟代史――思想・制床・倖亀』慶應矩塟倧孊出版䌚、2025幎などを参照。
5「1975幎12月16日誕生日蚘者䌚芋」薗郚英䞀線『新倩皇家の自画像』文春文庫、1989幎、112ペヌゞ。
6「囜家䞻垭䞻催晩逐䌚人民倧䌚堂における倩皇陛䞋のおこずば」https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/speech/speech-h04e-china.html#china最終閲芧日:2026幎5月30日
7 「党囜戊没者远悌匏」https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/okotoba-h01e.html#D0815最終閲芧日:2026幎5月30日
8 「党囜戊没者远悌匏」https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/okotoba-h07e.html#D0815最終閲芧日:2026幎5月30日
9「党囜戊没者远悌匏」https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/okotoba-h27e.html#D0815最終閲芧日:2026幎5月30日

続きは本曞にお 。

目次

はじめに
    什和の倩皇・皇后から愛子内芪王ぞ平成の倩皇・皇后のあゆみず「おこずば」本曞の構成

第章囜砎れお、ミカドあり
 䞀. 敗戊
    二床の「埡聖断」「䞀億総懺悔」論昭和倩皇-マッカヌサヌ䌚談
 二. 「新日本」の倩皇ず憲法
    いわゆる「人間宣蚀」日本囜憲法
 䞉. 戊埌巡幞
    「人間」倩皇の足跡

第章退䜍か圚䜍か、囜䜓護持の道を探しお 1945-1947
 䞀. GHQ の思惑
    厳しいアメリカ囜内䞖論ルヌス・ベネディクトの日本研究テクニカル・リスポンシビリティずモヌラル・リスポンシビリティ旧怍民地からの鋭い指摘
 二. 日本囜民はどう論じおいたか
    矢郚貞治の退䜍論――個人ず制床を切り離す南原繁の退䜍論――あくたで自発的に「五勺の酒」林芙矎子の違和感ゞャヌナリズムからの退䜍論自責の連鎖ず同情
 䞉. 囜䜓を護るには
    近衛文麿の画策――昭和倩皇萜食蚈画倖務省の奔走   
 四. 皇族たちず昭和倩皇
    高束宮の䞍満䞉笠宮ず蒌ざめた倩皇深たる貞明皇后ずの確執
 五. 昭和倩皇はどう考えおいたのか ①
    「退䜍でもしお玍める蚳には行かないだらうか」思いずどたる倩皇匷烈な君䞻意識

第章東京裁刀の結審、退䜍論の再燃 1948-1949
 䞀. 退䜍論の再燃ず拡倧
    きっかけずなった錎談海をわたる退䜍論冷戊のなかの倩皇マッカヌサヌの真意
 二. 盛り䞊がる退䜍論
    南原繁、ふたたび倧山郁倫の退䜍論――倩皇制廃止ぞの䞀階梯さたざたな退䜍論続出する退䜍論特集「埡聖断」ができたならサトり・ハチロヌの詩十人十色の囜民感情
 䞉. 政官界の声
    割れる政治家たちの意芋ある倖務官僚の意芋曞芊田均の翻意
 四. 昭和倩皇はどう考えおいたのか ②
    倩皇の意思をめぐっおマッカヌサヌぞの曞簡「朕が志ならんや」だれに責任があるのか――非難・悔恚・転嫁

第章講和独立、そしお昭和倩皇の「おこずば」ぞ 1950-1952
 䞀. 講和独立を控えお
    昭仁皇倪子ぞの期埅
 二. 䞉床目の退䜍論浮䞊
    矢郚貞治、ふたたび枋沢秀雄の退䜍論――「瀟䌚生掻の鉄則」朚戞幞䞀の退䜍論――「唯䞀ニシテ、最埌ノ機䌚」䞭曜根康匘の退䜍論――「新生日本」にふさわしい倩皇退䜍論者は「非囜民」か倧宅壮䞀の退䜍論ず吉田茂批刀再軍備論ず倩皇垂川房枝の退䜍論――再軍備反察の立堎からなぜ、退䜍は実珟しなかったのか
 䞉. 宮䞭に燻る退䜍論
    昭和倩皇の「邪掚」――高束宮ず秩父宮をめぐっお
 四. 昭和倩皇はどう考えおいたのか ③
    宮䞭における決着戊争の「勢」「おこずば」の䜜成ぞ「おこずば」の文蚀をめぐっお講和条玄発効匏兞にお

おわりに
    臌井吉芋の退䜍論――果たされえぬ退䜍論埩興・発展ず颚化波乱の倖遊「自粛」がもたらした戊争責任論残された問い――平成、そしお什和ぞ

著者略歎

河西秀哉かわにし・ひでや
名叀屋倧孊倧孊院人文孊研究科 教授
名叀屋倧孊倧孊院文孊研究科博士埌期課皋修了。博士(歎史孊)。専門は日本近珟代史、ずりわけ象城倩皇制。京郜倧孊倧孊文曞通助教や神戞女孊院倧孊文孊郚准教授などを経お珟職。おもな著曞に『倩皇制ず民䞻䞻矩の昭和史』(人文曞院、2018)や『平成の倩皇ず戊埌日本』(人文曞院、2019)、『皇宀ずメディア――「暩嚁」ず「消費」の䞀五〇幎史』(新朮瀟、2024)など倚数。


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