人生はプリンくらいでちょうどよい〜喫茶月灯り〜
───離婚届を提出した日の帰り道。
宮下遥は駅前のコンビニへ立ち寄ったところだった。
──働き盛りの35歳。すれ違ってしまったのか。
──結婚生活は7年だった。
仕事が忙しく、子どもは居ない。
特に大きな喧嘩をしたわけではなかった。
そして、どちらかの浮気でもない。
ただ少しずつ会話が減り、
少しずつ笑顔が減り、
気づけば未来の話をしなくなっていた。
───最後は驚くほど静かな別れだった。
スイーツコーナーの前で足を止める。
透明なカップに入ったプリン。
税抜きで350円。少し高級なプリンだ。
特売シールが貼られている。
「こんな日にプリン食べたくなっちゃった……」
遥は苦笑した。
気分を変えるため、
もっと豪華なものを買うべきかもしれない。
けれど、そんな気分でもなかったのは事実だった。
───結局、コンビニではプリンを1つだけ買った。
───帰宅した部屋は静かだった。
いつもなら誰かの気配があった場所。
今は冷蔵庫のモーター音だけが響いている。
テーブルにつき、プリンの蓋を開ける。
スプーンを入れる。
一口食べる。
─────甘い。
思ったより、ちゃんと甘かった。
その瞬間、不意に涙がこぼれた。
「─────なんでだろ……」
悲しいのか。
寂しいのか。
それとも少し安心しているのか。
自分でも分からなかった。
ただ、人生の一区切りが終わったことだけは
明確に理解することが出来た────
────それから一か月。
遥は仕事と家の往復を繰り返していた。
休日は洗濯をして終わる。
夜は動画を見ながら眠る。
SNSを開けば同級生たちの笑顔が並んでいた。
家族旅行。
運動会。
マイホーム。
そっと画面を閉じる。
胸の奥が少し重くなる。
誰も悪くない。
でも自分だけ取り残されたような気がした。
そんなある日だった。
仕事帰り。
駅を降り、いつもの道を歩いていたはずなのに、
気づけば見知らぬ路地に立っていた。
「……あれ?」
細い石畳。
古い街灯。
夕暮れ色の空。
どこからか珈琲の香りが漂ってくる。
不思議と懐かしい香りだった。
誘われるように歩く。
角を曲がる。
さらに進む。
すると、小さな店が現れた。
木製の看板。
柔らかな筆文字。
─────喫茶 月灯り─────
店先には黒猫が座っていた。
真っ黒な毛並み。
琥珀色の瞳。
猫は遥を見ると、
「────ニャア」
と鳴いた。
そして店の扉へ向かう。
「案内してるの?」
聞いても返事はない。
ただ尻尾だけがゆっくり揺れた。
どうせ帰っても一人だ。
少しくらい寄り道してもいい。
そう思って扉を開いた。
────カラン
木の香り。 古時計の音。 柔らかな灯り。
そしてカウンターの向こうで、
小柄なおばあさんが微笑んでいた。
「───いらっしゃい」
まるで遥が来ることを知っていたような笑顔だった。
窓際の席へ座る。
メニューを開く。
珈琲。紅茶。クリームソーダ。
そして一番下。
《本日のおすすめ 自家製プリン》
遥は思わず笑った。喫茶店でプリン推しとは。
「──プリン、好きなのかい?」
おばあさんが尋ねる。
「人生の節目になると食べてる気がします」
「それはいいことだねぇ」
おばあさんは頷いた。
「人生に迷ったら、まず甘いものを食べるんだよ」
「そんなもんですか?」
「そんなもんだよ」
黒猫が足元で鳴いた。
遥は久しぶりに自然と笑った。
(───もちろん、プリンは注文した・・・・・)
それから遥は時々、月灯りを訪れるようになった。
不思議なことに、探しても見つからない日がある。
でも本当に疲れている日は、なぜか辿り着けた。
ある日、おばあさんが尋ねた。
「あんた、最近楽しそうなことしとるかい?」
「───してないですね」
「じゃあ始めればええ」
「何をです?」
「なんでも」
あまりにも適当だった。
けれどなぜか、その言葉は心に残った。
その夜。遥は「何か始めるもの」を考えた。
そして、何となくSNSを始めた。
投稿したのは夕飯の写真。
半額コロッケ。
味噌汁。
余り野菜の炒め物。
「映え」とは無縁の食卓だった。
『離婚して一人暮らし一か月。
とりあえず今日も生きてます。』
自虐的なセリフに苦笑しながら投稿する。
いいねは5件。
そのうち一つは黒猫のアイコンだった。
「・・・・・誰なのよ」
遥は吹き出した。あの黒猫の様な気がしたからだ。
「・・・猫がSNSするわけないか」
その日、
遥は少しだけ幸せな気分で寝ることが出来た。
───何気ない投稿を続けて三か月。
意外なほどにフォロワーは増え、300人ほどだった。
ただ、これ以上増やそうと思ったことはない。
自分としては、日常を残しているだけだった。
───ある日の夕飯は特に地味だった。
見切り品のもやし。
賞味期限間近の豆腐。
半額コロッケ。
茶色い。
ひたすら茶色い。
写真を見て遥は苦笑した。
『今日は頑張る気力ゼロ。
でもお腹は空くのでこれで十分。』
─────翌朝。
スマホの通知が止まらなかった。
俗に言う、「バズった」のだ。
『こういうのでいいんですよ』
『昨日の私の晩ご飯もこんな感じ』
『なんだか安心した』
『完璧じゃなくていいんだって思えた』
遥は驚いた。
世間の人たちは、「綺麗な暮らし」を見たいもの
と思っていた。
でも、違った。
───みんな少し疲れていたのだ。
頑張り続けることに。
比べ続けることに。
自分をより良く見せることに。
そこから少しずつ人が増えた。
そしてある日。
遥は軽い気持ちで動画を投稿した。
『スーパーの見切り品だけで一週間生活してみた』
という思い付きの企画だった。
節約術でもない。映える料理でもない。
「今日はブロッコリー半額だったので勝ちです」
「プリンが50円引きでした。記念日です」
そんな内容だった。
動画の最後。食後のプリンを食べながら遥は笑った。
「人生って、案外こんなもんで幸せですよね」
その言葉は、多くの人の心に届いた。
動画は何百万回も再生された。
フォロワーはビックリするほどに増えた。
どこで目をつけられたのか、
テレビ局の取材まで来た。
『頑張りすぎない暮らし』
そんな言葉で紹介されるようになった。
有名タレントが番組で言った。
「肩の力を抜いてもいいんだって思えるんですよねー」
遥は嬉しかった。
離婚したとき、
自分には何も残っていないと思っていたから。
半年が経ち─────
遥は数字に追われていた。
再生回数。フォロワー数。メディア案件。更新頻度。
いつしか、
「もっと、もっと───ちゃんと投稿しなきゃ」
が口癖になっていた。
自由になるために始めたはずなのに。
ある日────
久しぶりに辿り着いた「喫茶月灯り」
黒猫は椅子の上で丸くなっている。
おばあさんは珈琲を淹れていた。
「おや。久しぶりだねぇ、売れっ子さんじゃないか」
「やめてください」
遥は苦笑する。
「最近、疲れちゃって」
「ほう」
「自由になりたかっただけなんですけどね」
おばあさんは静かに頷いた。
「そうか。人はねぇ・・・」
黒猫を抱き上げる。
「檻から出ても、また新しい檻を作るんよ」
遥は黙った。
図星だった。
「人生はプリンみたいなもんだよ」
「────?またプリンですか」
「毎日ホールケーキ食べたら疲れるだろう?」
遥は吹き出した。
「───確かに」
「でもプリンなら少し嬉しい」
おばあさんは笑う。
「人生もそのくらいでちょうどええ
ホールケーキでも、豪華なケーキでもなく、プリン。」
─────数か月後。
遥は仕事を減らした。案件も断った。
更新も無理をしないことにした。
フォロワーは少し減った。
世間は新しい別の話題へ移っていった。
メディアは遥のことはすっかり忘れたようだ。
でも、不思議と心は軽かった。
秋の夕暮れ。
遥は喫茶月灯りでプリンを食べていた。
窓の外は茜色。
黒猫は椅子の上で眠っている。
「結局、普通の生活ですね」
遥が言う。
おばあさんは微笑んだ。
「でも前の普通とは違うだろう?」
遥は頷く。
前は足りないものばかり見ていた。
結婚。
成功。
評価。
でも今は違う。
今日のご飯がおいしい。
天気がいい。
誰かの優しい言葉が嬉しい。
それで十分だと思える。
「人生って意外と小さい幸せでできてるんですね」
「そうそう」
おばあさんは嬉しそうに頷いた。
「大金持ちになるより、“今日はいい日だった”と思える日の方が大事だったりする」
黒猫が目を開ける。
「ニャア」
遥は笑った。
スマホを取り出し、プリンの写真を撮る。
そして投稿した。
『人生はプリンくらいでちょうどいい。』
投稿した遥本人も、
「よくわからない言葉だな」と苦笑いした
数秒後。
最初の「いいね」がついた。
黒猫のアイコンだった。
「……ほんと、なんなの、あの猫」
顔を上げる。
すると黒猫の姿は消えていた。
「あれ?」
「逃げ足の速い子だからねぇ」
おばあさんは笑う。
遥も笑った。
────店を出て振り返る。
────不思議だった。
そこにあったはずの『喫茶月灯り』の看板は、
どこにも見当たらなかった。
夕暮れの風だけが静かに吹いていた。
「ほんと、何なのよ、もう─────」
遥は帰り道を歩き出した。
その足は以前とは違い、軽やかなものであった──
〜〜おわり〜〜
《解説》
お気に入りのお話を少しリニューアルしてみました。
書いてみると、なかなか上手く表現できず、改めて物語を書く難しさを痛感しました。AIに手伝ってもらってはいますが、心のこもった表現にしたくて修正作業と文章追加に時間を費やしてしまいます。皆さまのココロが少しでも温まれば幸い、と思い書いてます。良かったらまた足を運んで見に来て頂けると嬉しいです。
