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見返りを求めてしまう自分と、向き合うということ



■「誰かのためにやっている」はずだった



誰かの役に立ちたい。

困っている人がいれば手を差し伸べたい。


そう思って行動してきたつもりだった。


頼まれたことはなるべく断らないようにしてきたし、

相手が気持ちよく過ごせるように、空気を読むことも意識してきた。


「優しいね」と言われることもあったし、

自分でもどこかで、「人のために動ける人間なんだ」と思っていた。


でも、あるときふと気づいた。


それは本当に、“誰かのため”だけだったのだろうか、と。



■感謝されないと、少しだけモヤっとする



例えば、誰かのために時間を使ったとき。

相手がそれを当然のように受け取って、特に何も言わなかったとき。


「別にいいんだけど」と思いながらも、

心のどこかで、ほんの少しだけ引っかかる。


ありがとうの一言があれば、気持ちは違ったのに、と。


あるいは、頑張って気を遣ったのに、

そのこと自体が気づかれなかったとき。


表には出さないけれど、

「少しくらい分かってほしい」と思ってしまう自分がいる。


その感情に気づいたとき、少しだけ嫌になる。


自分はもっと純粋に、人のために動ける人間だと思っていたからだ。



■「いい人」でいようとしていたのかもしれない



振り返ってみると、

自分の行動の根っこには、ある共通した感情があった。


嫌われたくない。

否定されたくない。

拒絶されたくない。


幼少期や学生時代の経験が影響しているのかもしれない。


誰かに受け入れてもらうために、

空気を読んで、期待に応えて、

“都合のいい自分”でいようとしてきた。


その延長線上に、「人のために動く自分」があった。


つまりそれは、

純粋な優しさというよりも、

自分を守るための行動だったのかもしれない。



■それでも、眩しく見える人がいる



世の中には、見返りを求めずに動ける人がいる。


少なくとも、自分にはそう見える人たちがいる。


誰かのために自然と動いて、

それに対して特別な評価や感謝を求めるわけでもなく、

淡々と行動している人。


そういう人を見ると、少しだけ苦しくなる。


自分はどこかで見返りを求めてしまうのに、

どうしてあの人は、あんなふうに動けるのだろう。


同じ「優しさ」でも、

まるで質が違うように感じてしまう。


その差を突きつけられるようで、

なんとも言えない感情になる。



■本当に“損得抜き”なのだろうか



ただ、最近になって思う。


あの人たちは、本当に何も求めていないのだろうか。


もしかすると、

誰かの役に立つことそのものが嬉しくて、

それ自体が“報酬”になっているのかもしれない。


あるいは、

誰かにどう思われるかを過度に気にしなくてもいいくらい、

自分の中にある程度の安心感や土台があるのかもしれない。


だとしたら、それは優劣ではなく、

ただ前提が違うだけなのかもしれない。


そう考えると、少しだけ気持ちが軽くなる。



■見返りを求めてしまう自分を、否定しない



これまでの自分は、

見返りを求めてしまう感情に気づくたびに、

それをどこかで否定しようとしていた。


「こんなのは本当の優しさじゃない」

「もっと純粋にならないといけない」


そんなふうに、自分を矯正しようとしていた。


でも、その考え方自体が、少し無理をしていたのかもしれない。


そもそも、人は完全に無償ではいられない。

何かしらの形で、満たされることを求めるのは自然なことだ。


感謝されたいと思うことも、

認められたいと思うことも、

決しておかしいことではない。


それを無理に消そうとするよりも、

「自分はそういう一面を持っている」と認める方が、

よほど健全なのかもしれない。



■それでも、少しだけ変わりたいと思う



とはいえ、このままでいいとも思っていない。


誰かのために動くたびに、

見返りの有無で気持ちが揺れる自分は、

正直しんどい。


だからこそ、ほんの少しでいいから、

自分の中の基準を変えていきたいと思う。


例えば、

「ありがとう」をもらえたら嬉しい、でも無くてもいい。

それくらいの距離感でいられるように。


あるいは、

誰かの反応ではなく、

「自分がどうしたいか」を軸に行動できるように。


すぐに変われるとは思っていない。

これまで積み重ねてきたものは、そう簡単には消えない。


それでも、気づいた以上は、

少しずつでも向き合っていきたいと思う。



■向き合うということは、否定しないことだった



見返りを求めてしまう自分。


それは、これまでの自分が生き延びるために

身につけてきた、大事な一部でもある。


だからこそ、それを切り捨てるのではなく、

ちゃんと理解してあげること。


「そう思ってしまうのも無理はない」と、

一度受け入れてみること。


向き合うというのは、

無理に変えることではなく、

まずは否定しないことなのかもしれない。



■終わりに



誰かのために動くという行為は、

とてもシンプルに見えて、実はすごく複雑だ。


その中にある自分の感情を、

これからも少しずつ言葉にしながら、

理解していけたらと思う。



ここまで、この記事を読んでいただきありがとうございます🙇

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