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航空安全管理隊OBの私見-事故調査報告書の公表を目前にして(2026年7月24日起草)

1 第5航空団所属T-4型練習機の墜落事故(2025年5月14日)

 2025年5月14日(水)15時過ぎ小牧基地を離陸した第5航空団(新田原)所属のT-4型機が離陸直後に入鹿池に墜落し操縦士2名が死亡した。この事故では、2026年7月11日付朝日新聞が、複数の防衛省関係者への取材によるとして、(座席下に装備し)救命浮舟(ボート)などを収納する「サバイバルキット」が操縦の妨げになり事故を起こした可能性を報じるとともに、防衛省が7月下旬にも事故調査結果を公表するとした(ただし、7月24日時点で公表はない)。

サバイバルキット(コンテナ)
ミリタリー関連個人WEBサイト「 Die Letzte Kampfgruppe 」


救命浮舟
ミリタリー関連個人WEBサイト「 Die Letzte Kampfgruppe 」

 実は、事故発生直後にその可能性を疑った身近な人物がいた。空自OBで、「航空自衛隊安全の日(毎年7月1日)」が制定されるきっかけとなった凡そ1年の間(1999年8月~翌2000年7月)に連続で発生した5件の航空大事故に際して、主任調査官(航空安全管理隊事故調査部長)として現地調査団を率いたKIN氏である。最大の疑問点は、異常発生後1分余りの間に、一直線に急降下し池に突っ込んだ飛行姿勢の異常さにあった。通常急降下で機速が増せば、機首は上がる。例えば、紙飛行機を下に向け飛ばそうとしても自然と上を向くが、それが全く認められない。言い換えると、操縦桿を強く前方いっぱいに押し倒し続けないと、そうした飛行姿勢にならない。拙稿「ゼロ戦「無敵神話」の光と影」「日本帝国海軍とは何だったのか」で言及したが、特攻機に搭乗させられた初等搭乗員が、この機速の増加に伴う機首上げ特性に逆らって直線的急降下を続け、艦艇の舷側に命中させることが困難だったこと踏まえると、急降下姿勢が継続した事故機の状況は操縦桿を前方に押す余程の力が働いたことの証左である。しかも、事故機操縦士2名は、この間異常発生を知らせるボイスも発し得なかった。またKIN氏には、そうした事態の発生を想起させる原体験があった。

読売新聞の記事から転載

 KIN氏が現役操縦士だった頃、搭乗したT-33型機には風防のフレーム内側にナイフの形状をした板金製のツールがガムテープで貼り付けられていた。操縦指令書(TO機種別-1)にも記載がなく、KIN氏は不可解に思い先輩操縦士に尋ねた。すると、先輩操縦士は、緊急射出(ベイルアウト)時に海水で自動的に作動するカートリッジのガスで膨張展張する救命浮舟が、狭い操縦室内で不時作動した場合、操縦士は風防頂部に圧迫して押し当てられ、操縦桿は前方いっぱいに押し倒され、回復不能な急降下状態に陥ることが懸念されるため、その際にこのツールを使って膨張した救命浮舟を突き刺し、収縮させるのだと説明を受けたのだ。今回の墜落事故の事故原因の一つとして、正に救命浮舟を収納したサバイバルキットだった可能性が報じられている。その大きさや膨張時の圧力の強さ、材質の堅牢さを踏まえると、操縦はもとより脱出はおろか、ボイスさえも発し得なかった凄絶な状況に遭ったことは容易に想像され、筆舌に尽くしがたい。 
 先の記事が伝えるところによれば、「別の戦闘機から持ち込まれた」とある。当初は、正規のサバイバルキットの代替品として座席下に取り付けられたのかとも考えたが、整備幹部であった私はこうしたケースを目や耳にしたことがない。漏れ聞こえてきた信頼できる情報に考察を加えると事故発生の経緯は、次のようになる。小牧基地に所在する飛行部隊は、C-130H型輸送機を主力機とする第1輸送航空隊とヘリ等救難機を整備する航空救難団整備群、ヘリ等救難機を保有する救難教育隊しかない。小牧基地に近接する三菱重工の小牧南工場では、第5航空団が保有するF-15J/DJ型戦闘機の定期修理(IRAN:Inspection(検査)/Repair(修理)/And/Maintenance(保全・整備)を組み合わせた略称のこと)を行っている。つまり、事故機のT-4にはF-15J/DJ用のサバイバルキットが「持ち込まれた」のである。一般視聴者が提供した離陸前後の事故機を撮影したニュース映像では、外装燃料タンク(ドロップタンク)の形状に似たトラベルポット(荷物を運搬させるために主翼に吊り下げるポッドのこと)が装着されていないことが外見上判断されるため、俄かに信じがたいが、操縦士によって操縦室内に「持ち込まれた」ことになる。

T-33Aのバゲージポッド(トラベルポッド 通称弁当箱)
航空歴史館技術ノート(KUPANBA氏による撮影)からの転載

 では、なぜそのような状況に至ったか推測を交えると、定期修理中の機体は会社の寄託扱いとなり、差出部隊といえど、IRAN後は配属部隊が変更になる場合もあり、IRAN中の機体から補用品を取り外し引き渡しを依頼することはできない。通常考えられるケースは、部隊で交換する補用品がない場合、担任補給処(岐阜の第2、入間の第3・第4の各補給処)がIRANで後に交換する補用品を契約上担保をして、取り外しと部隊への引き渡しを依頼することがある。サバイバルキットは、以前は第1補給処(木更津)の担任品目であったが、事務用品発注官製談合事件による第1補給処の廃止に伴って現在は入間の第4補給処が引き継いでいる。取り外し品をどのようにして部隊に引き渡すか、輸送をどうするかは、決まりはないが、従来からの慣例に従えば、担任補給処が示すところとなる。この度は、カートリッジ(火工品)を含む危険物であるので、宅配便などでは扱えず、本来ならば、不時作動防止の処置をして、航空自衛隊の輸送機による定期運航便で空輸するのが妥当であったと考えられる。それをF-15JのIRAN搬入後、T-4で帰隊する操縦士に運んでもらおうと考えたとしたら、誰が判断し、これを許可したのか、部隊と担任補給処で、それぞれどの部署の誰までそれを承知していたのかということが極めて重大な点になる。前席は、前方視界を妨げると思われるので、後席操縦士が空輸を担ったということなのだろうか。私なら、そのような危険極まりないことは、たとえ上司の指示であっても引き受けず断固拒否を貫くが、とりわけ自衛官は実直で素直な人柄の若者が多いから、離陸までの時間がない中、断り切れなかったことも十分に考え得る。以上が、特定できないまでも、得られた情報を元に推察した経過概要である。
 この度の墜落事故は、1996年5月11日に米国で発生したバリュージェット592便の火災による墜落事故を想起させる。当該事故は、初めて刑事訴追が本格的に行われた航空事故だった。火災の原因は、貨物室に搭載された他機客室から使用期限切れで取り外された酸素ジェネレーターであったが、不時作動を防止するための安全キャップが取り付けられなかったり、状態も確認しないで、「Empty(空)」と荷札が取り付けられるといった関係者の不適切な取扱い、エラーが積み重なった末、飛行に伴う機体振動により酸素ジェネレーターが不時作動し火災を招いた。その根底には、バリュージェット社
が効率(採算性)を過度に重視したことにより教育や訓練を軽視する風潮が生じ、その影響で危険物に対する認識不足が生じた。このように事故発生の背景に、組織体質など背景に何があったかを深堀しなければ、関係者を変え同様の事故が再び繰り返されることになる。サバイバルキットをT-4型機により空輸するという俄かに信じがたい行為が、此度の事故発生時に限ったことであったのか、仮にかなり以前から漫然と行われていたとするなら、問題はより深刻であると言えよう。
 事故発生から既に、1年以上が経過した。航空自衛隊では、「航空事故の調査及び報告に関する達」に基づき、航空事故が発生した際、事故調査委員会が調査報告書を作成し、事故発生日から90日以内航空幕僚長へ提出することが定められている。いずれにしても、真の原因究明と速やかな公表が待たれるところであるが、関係者を処分した、原因を特定でき再発防止策を講じたからといって、飛行安全に万全を期したことにならない。先ほど述べたT-33型機の部隊製作ツールのように、救命胴衣や浮舟が不時作動した際も操縦不能による墜落や脱出不能となる事態を回避できるよう予め手立てを講じておく必要がある。人の行為によるエラー(錯誤)は完全に排除し得ないし、人を介さない機械作動には不時作動(誤作動)のリスクがある。これを念頭に、それでも事故に至らせないよう組織的に、かつ、網羅的対策を講じることこそが真の再発防止である。
 また、この航空事故では原因究明が難航する中、FDR/CVR(フライトデータレコーダー/コックピットボイスレコーダー)が未搭載なのは安全軽視ではないかと疑問視する報道がなされた。既納機のエンジンや動翼などに各種センサーと配線を巡らすよう大幅に改修しなくてはならないFDRの搭載は、コストが高過ぎるとの理由から見送りした判断も致し方なかったのかもしれないが、FDRの搭載を見送った機体には、それと比べれば格段にコスト安であるCVRがなぜ依然として搭載されていなかったのか。随分と以前の担当者としての記憶でしかないが、水没した際に墜落位置を特定するビーコン発信機とコックピット内での会話や環境音を録音するCVRは、FDR未搭載の全機に搭載する方針を空幕で決したはずだが、いつ誰が如何なる事由で反故にしたのか。この事故を機に、事故原因の究明に大きく役立つCVR等の搭載を今一度熟慮検討すべきである。今後の航空宇宙自衛隊の対応に注視したい。

FDR/CVRとビーコン
seegeのまとめサイトから転載

2 航空安全管理隊の廃止(2025年3月24日)

 定年退官後の2025年3月24日航空安全管理隊(AERO SAFETY SERVICE GROUP)は廃止となり、航空医学実験隊と統合され、航空医学安全研究隊として新編された。T-4型機墜落事故の直前のことであり、象徴的な出来事と捉えている。事故直前の国際環境の激変に伴い、防衛省・各自衛隊の任務が多角化し、一方で少子化に伴う募集難などの諸事情があることを踏まえれば、やむを得ない判断であったと受け止めるしかないかもしれないが、航空安全管理隊OBとしては、航空事故調査はもとより飛行安全に係る教育研究という分野は、人材の育成に長期を有し、ノウハウの蓄積が欠かせないものであり、将来の飛行安全の確保(戦力の保全)に関し、大いに不安を感じる。
 搭乗員の死亡を伴う墜落などの航空大事故が発生した際、航空自衛隊は、防衛省の訓令に基づき「航空事故調査委員会」を設置するが、国土交通省の外局である運輸安全委員会(元航空・鉄道事故調査委員会)と違い、常設の組織ではない上に、構成員は空幕の関係課長であり、航空事故調査の知見が十分に備わっているわけではない。当時関係者として委員会に同席した私が忌憚なく表現すれば、航空安全管理隊がとりまとめた現地調査報告書をもとに審議して表紙を付け替えたに過ぎない。であるからこそ、現地調査の中身が重要となるわけで、航空医学に係る業務の傍ら、事故調査と教育研究、更には資料を管理活用するといった従前の航空安全管理隊が行っていた業務を全て行うには陣容が少なすぎ無理があり、いったん失った知見なりノウハウを回復するのは容易ではない。ましてや航空宇宙自衛隊が運用する航空機は、最新鋭のF-35戦闘機や空中給油・輸送機などの一部を除けば、いずれも経年機ばかりである。国際情勢の緊迫に伴い他国との共同訓練や演習参加の機会も増大しており、操縦士の負担は大きくなっている。こうした飛行安全に係る全般状況を俯瞰視できるのは、空幕監察と航空安全管理隊だったわけだが、今の航空医学安全研究隊にはその余力はないし、所属員のモチベーションも大きく下がってしまったのではないかと憂慮される。防衛省・自衛隊は、人員不足で部隊の任務遂行に行き詰まると、決まって教育機関等にしわ寄せを負わせてきたが、その結果はボクシング競技のボディーブローのように後にじわじわと組織にダメージを与え続けかねない恐れがあるとの認識を改める必要があるのではないだろうか。 

3 歴史から学ぼうとしない日本のリーダー

 次のグラフは、先の大戦における海軍の航空機損失原因の内訳である。

旧海軍の航空機損失原因の内訳

 拙稿「ゼロ戦「無敵神話」の光と影 ⑥ 今も生きる先の大戦の教訓」で詳細な考証結果を言及したが、全損失機数は約27,200機、このうち「戦闘」による損失は、全損失の僅か35%(約9,500機)にしか過ぎない。一方、「事故」による損失は43%(約11,700機)で最も割合が多い。残りの22%(約6,000機)は、輸送中又は駐機中の被害などを含む、「その他」の損失で、これらの合計は実に65%(約17,700機)となり、戦闘以外の事故等での損失が圧倒的に多かった事実を物語る。
 一方米軍の航空機損失原因の内訳は、下図のとおり戦闘による損失割合が43%であったのに対し、事故による損失が56%とこれも大きく上回った。総じて、日米双方とも戦時における航空機損失に占める事故等の割合は、戦闘被害よりも大きい現実が裏付けられるが、米パイロットの大半が救出され、再出撃を果たした点が旧軍とは決定的に異なる。

米軍の航空機損失原因内訳(戦時)

 旧海軍戦闘機搭乗員は、後方の見張りや索敵を容易にするため、腰バンドや肩バンド(安全帯)をしっかり締めず、離着陸時に前方を見えやすい体勢をとるときとか、長時間の操縦に耐えかね緩めたりした。このため、-Gで体が浮き上がり酸素パイプが外れ失神するなど、こ れらの装着が不徹底であった。また搭乗員は酸素マスクをかけると、敵機を目視で追う際に首の動きが妨げられるとか、勇敢であることを誇示したいのか、視力や思考力に影響が出るにもかかわらず、装着をしないことを自慢する傾向さえあった。特に、敵地上空に侵攻する場合、不名誉な捕虜にならない、潔い自爆を前提としたので、落下傘に接続する装帯は置いていく慣習だった。海軍はこれらの防止し得る事故による人的損耗を軽視し、不必要な危険を冒すことを黙認したと批判されても致し方ない状況が認められ、救難に至っては皆無という深刻さであった。また、攻撃力を重視するあまり防御を軽視したが、実戦では必ず撃たれる。その際、どう対処すべきかの発想や研究開発、教育訓練などが明らかに不十分であった。これはゼロ戦の防弾装備などの問題に留まらず、艦艇も同様で、大口径砲や魚 雷の開発には甚く熱心であったが、航空機や潜水艦による主力艦への先制攻撃という先見性を有しながら、一方でレーダーや対空火砲、対潜装備の導入には消極的で、この能力や機能の欠落が命取りとなった。一方、旧海軍が撃沈させたはずの米空母が、 優れた抗たん性と訓練が行き届いたダメージ・コントロール(攻撃を受けた際に被害を必要最小限に食いとめる消火や排水など応急措置)によって実際は沈没を免れ、その後の応急修理で何度も甦って出撃を果たしたのは、実に対照的違いがあった。
 先の大戦では、日米が太平洋を主戦場としたため、戦局のすう勢は海軍航空隊の消長(航空優勢の帰すう)によるところが大きかった。それだけに、国民が海軍に寄せる期待とは裏腹にその結果の落差、失望があまりにも大きかった。しかし、これは個々の搭乗員の勇気や敢闘精神などとは全くの別問題である。当時は皆が最善を尽くしたつもりでだっただろうが、今日的視点ないし航空作戦に関する当時の欧米基準から見れば、短期決戦主義(思想)であった旧軍、とりわけ海軍は、整備・補給・輸送・施設などの後方支援にほとんど関心がなく、情報、通信、管制、気象、衛生、教育研究など各機能の重要性も十分に認識しないまま、戦線の急拡大による影響が重なり、航空機の大半を、作戦レベルに応ずる技能、練度に達した搭乗員とともに所望の時機、場所に機動集中できなかったことに直接の敗因がある。勿論、背景的要因として研究開発の遅れ、生産基盤の脆弱さ、資源不足など、国力と敗戦の因果関係は決して無縁ではないが、その根幹には海軍が口先だけは総力戦を唱えながら、実際には日本海海戦方式の砲戦による艦隊決戦に固執し、場当たり的な施策しか考えてこなかったから、そうなったといえ、人事や教育研究の問題も少なくないと見て差し支えないであろう。特に国力の観点でいえば、輸送船の喪失により戦争の継続どころか、経済活動や国民生活を支えられなかったのが実情であり、資源小国の日本は昔も今も原材料、食料など物資の輸入に頼りつつ、技術に立脚して他国と競争し、海外に商品を輸出することでしか生き残り得ない宿命にあるのであって、長大なシーレーン防衛を一国の海軍力だけで、それも戦闘の片手間で行うこと自体に無理があり、終わりの見通しがない無謀な開戦だったと指弾せざるを得ない。
 その点で、当時東洋の小国だった日本が大国を相手に、日清・日露の戦役でかろうじて戦勝を得たのは、明治の元勲が彼我の国力差や戦力比の分析、国際情勢の見極め、外交的手腕が実に見事であったからというほかない。と
同時に、日露戦役での日本海海戦での勝利が、実は日英同盟によるところがきわめて大きかったにも関わらず、劇的勝利に映ったため、日本帝国海軍が実力と慢心し勘違いしたところから、建艦競争に邁進し、ワシントン並びにロンドン海軍軍縮条約を次々と脱退し、次の米英戦争への引き金となっていった。実際、日本には戦争を継続する国力は残っておらず、逆に帝政ロシアの皇帝は継戦の意思を有していたが、それをさせずに終わらせたのは、日本政府の申し入れ伴う米の斡旋による講和(ポーツマス平和条約の締結)だった。戦争の勝利に酔いしれた日本国民は、そうした現実を知らぬまま、本来手に入れられたはずの賠償金を得られなかったと米を逆恨みした。これも次の戦争への伏線となったのだ。
 防衛省自衛隊の高級幹部はもとより国のかじ取りを担う政治家は、果たして先の大戦という歴史からどのような教訓を学んだというのであろうか。まことしやかに国際情勢や国防を語り、お得意な閣議決定とやらで矢継ぎ早に防衛施策を転ずる以前に、先ずは開戦を決意した経緯や負け戦となり国民を惨事に巻き込んだ史実を真摯に反省してから丁寧な議論を通じて主権者たる国民に説明を尽くし、理解が得られるよう努めてもらいたいものだ。

4 追記(令和8年7月31日付報道)

「救命キット持ち込みが原因か T4練習機墜落、特定はできず 空自」時事通信社
https://news.yahoo.co.jp/articles/7582a73168d80eff4f1302553c1d201725d5ecb5

「救命キット、操縦の障害か 愛知・犬山、空自練習機の墜落で」共同通信
https://news.yahoo.co.jp/articles/340172095cbf1344f98feb2ff34766714bcd6851

「空自機墜落、調査結果公表 サバイバルキットが操縦妨げたか」毎日新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/e0d17e61ce3cb3e07fa87321d6a0e56d474ac91f

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