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航空自衛隊における整備の現場②  (4月24日修正)

1 検査員と人の育成

 幹部自衛官、指揮官は、部下隊員の士気を振作し、団結の核心、任務遂行の原動力となり、至誠をもって任務の完遂を尽くさねばならない。同時に、部下隊員を感化教導し、特技技能等の向上を図り、部隊の精強化に努めなくてはならない。人の育成という観点で原点となった出来事がある。エンジン小隊長であった際のエピソードである。当時分隊長には、同姓のT2曹が二人いた。此度の主人公は、名前の頭文字をとりニックネームでSさんと呼んでいた。ここでは、仮にS分隊長とする。
 あるとき、群本部の品質管理班から、品質検査(定期整備の最終検査)の重欠陥に係る勧告が届いた。分隊長は、装備品の合否を判定する一般検査員であり、S分隊長が検査した際の見落としが指摘されており、私に再発防止のための所見が求められた。隊長はM2佐だったから、自分に完全に任せられおり、隊長は私のコメントに対し、「小隊長所見に同意する」と記載すると分かっていただけにプレッシャーがのしかかった。定期整備の際の作業上のミスではなかったものの、飛行安全上見落としはならない経年劣化に伴うエキゾーストセクションの亀裂進展であった。しかも定期整備後の品質検査で不具合が発見されると、航空機からエンジンを取り降ろし、交換する予備エンジンがなければ、定期整備はエンジンの修復が完了するまで何週間も中断したままとなり、飛行隊の飛行訓練への影響はもとより、航空機を預かっている検査隊にも大きな負担を強いる。当然エンジン小隊、ひいては修理隊の評価を押し下げることになる。すぐさまS分隊長を呼び、見落とした理由を問い質したが、誠に申し訳ありませんと平謝りするだけで、なぜ見落としたのかという点は曖昧な返答しか得られなかった。私は、部下隊員に教育指導を徹底し再発防止を図った旨、コメントを記した。
 それから1か月ほど経った頃に、再び品質検査(定期整備の最終検査)の重欠陥に係る勧告が届いた。信じられないことに、またS分隊長による点検時の見落とし、しかも前回と全く同じ個所だった。今回ばかりは、さすがに私も他の分隊長の手前もあり、穏便に済ますわけにはいかなかった。周囲に人がいるにも構わずというか、あえて人前でS分隊長を厳しく問い詰めた。しかし、S分隊長は子細を語らず、またも謝罪の言葉を繰り返し述べるだけだった。却って私は声を荒げ、S分隊長ともあろう人が見落とすなんて考えられないと激しく叱責した。T先任は首をひねり黙したまま、Kショップ長は、S分隊長にどうしたんだ、見落とすわけないだろうと声をかけたが、何も答えなかった。
 私は、どうしても腑に落ちないので、品質管理班先任のE准尉(エンジン整備員の最先任者)に、どうしてもS分隊長が見落とすことは考えられないと相談に行った。E准尉は、Sが作業している状況をご自身の眼で直接確認したことがありますか?と逆に聞き返され大変恥ずかしい思いをした。指揮の要訣である監督指導(現場進出)を怠ったのを示唆されたからであった。すると、E准尉は今度Sが定期整備を実施しているところ一緒に見てみましょう、小隊長に連絡しますからと言って、その場の話は終わった。その日がやってきた。E准尉は、S分隊長に悟られないように格納庫の陰からそっと見てみましょうと言った。ちょうど、エキゾーストセクションの検査を行っているところであった。目を凝らして視ると、検査をしていたのは副分隊長でその横にS分隊長が寄り添っていた。何だと思い耳を澄ますと、S分隊長が副分隊長に、「お前が検査するんだ。見落とすと品質検査で重欠陥と指摘され、定期整備は完了せず皆に影響が及ぶ。(検査員の)責任は重大だぞ」との言葉が聞こえた。E准尉は、にこやかな表情で、「Sはああやって彼にどうにか検査員の資格をとらせようとしているんです。小隊長、それにね。Sは事前に自分で検査して不具合を把握して、(定期整備の最終検査を行う品質検査員である)私に連絡しているんですよ。だから、飛行安全上は心配いらないんです。ただ、彼が見落とすと部隊に与える影響は大きいですけどね。そのプレッシャーを与えて鍛えているんです。」と説明をしてくれた。自らのミスと申告し、我慢して部下を育てているS分隊長には、頭が下がる思いがした。このときS分隊長の年齢は30台半ばだったと思う。副分隊長は、検査員の付与がかなり遅れていた。S分隊長はもとより、Kショップ長もT先任も、私が上申する以前にまだまだ半人前だとダメ出ししていたからであった。これ以降、私は現場進出を欠かさなくなったのは勿論のこと、人の育成をより深く考えるようになったのは言うまでもない。
 ちなみに、もう一人のT分隊長は、名前の頭文字をとってニックネームでMさんと呼んでいたが、彼にも人の育成について直接意見をされ、考え直したことがあった。この頃、T-33型機からT-4型練習機への機種更新に伴い、浜松の第1術科学校で(F3エンジンの)転換教育が行われていた。私は、整備作業の状況を見据えつつ、機種更新の進捗に合わせ入校を円滑に行う観点から、検査係の入校を済ませると、分隊にあっては副分隊長あたりを次々と入校させていた。M分隊長は、この建制順を無視した入校は間違っていると抗議したのだ。たしかに、副分隊長等を監督指導すべき立場にある分隊長に知識を得る入校の機会を与えないというのでは職責を果たすことはできない。当たり前のことではあったが、分隊長は作業等に欠かせない重要なポジションにあるだけに判断を見誤ってしまった。入校を終えた検査係に一時的に分隊長を兼務させ、分隊長を入校させることにした。M分隊長からは、ワープロを練習してみましたと言って、直訴状をもらったことも思い出す。小隊の人事に関する屈託のない意見具申であった。この件については、次項で関連付けて言及する。

2 二人目の隊長

 隊長が変わっても自分の流儀は変えなくてもよいと考えていたが、その甘い考えは数日のうちに一気に打ち砕かれた。空幕からの異動で新たに隊長となったT2佐は、全てのことを掌握、部下隊員を指導徹底し、行動を律するという正に教範どおりの指揮官であった。どれぐらい凄かったかというと、着任早々隊長に隊員の休暇の件で、隊長室に呼び出された。前任のM隊長のときはなかったことだ。隊長は開口一番、「〇〇(部下隊員の名)の休暇を許可したよな」と言ったので、私は、「はい、それが何か」と訊き直した。すると、反抗的態度に映ったのだろう、隊長は、「お前、なぜ休暇を申請したのか本人に聞いたか。上司としてやってあげることはできないのか」と激しく叱責されたが、私には全く理解ができなかった。部下隊員の休暇の理由は、奥様が出産間近にあり、医者に連れて行くということなのだが、奥様の血液型が珍しく、輸血を受けにくいということだった。その事実を隊長から聞かされても、何が問題なのか皆目見当もつかいない。黙って聞いていれば良いのに、私はいたって素直な気持ちで、「それがどういう具合に問題なのですか」とまた訊き直した。隊長は、「そんなことも分からないのか。この基地には何人の所属員がいると思う。その血液型は、米軍関係者も含めれば該当者がいる可能性がある。団司令部に、連絡調整班があるのを知っているか。そこを通じて、同じ血液型を有する所属員、家族がいたら、もしもの際に輸血の協力を依頼することぐらいできるだろう。そんなこともできないのか」と咎められたのだ。隊長の指示どおり連絡調整班に向かい、班長に米軍への連絡のお願いをし、米軍から快く応じる旨の回答が得られたので、隊長に報告をした。しかし隊長は、「その程度で、お前は帰ってきたのか。もしもの際の連絡網ぐらい作れるだろう」と言われ、そのとおり連絡調整班長に伝えた。班長は、「そんなことなど理解が得られるはずありませんよ」と当然の反応が返ってきた。この件を機に、休暇一つでも、何か相談ごとがあるかも知れないと、常に対話することをモットーとするようになったが、今のご時世では、却って煩わしいパワハラ上司と思われてしまうかもしれない。
 さて着任後、シフト作業の時間帯、概ねその日の整備作業が見通すことができる21時前後になると隊長から総括班に召集された。各小隊長は隊長に整備の状況を報告するのであるが、これが簡単に終わらなかった。航空機の不具合事象を詳細に報告し、配線図等をもとに故障探求の手順を説明するのだが、機種は違えど、隊長の方が知識経験があるから間違いを易々と指摘されてしまう。ショップに戻り、検査係や分隊長らに聞き今一度説明すると、たいていの場合は理解を示してくれた。しかし、本題はここからで、明日朝までに調べて報告しなくてはならない課題が出されるのである。一番最初の課題は、「お前の任務は何だ」というものだった。内容からして、准曹隊員は頼れない。助けになるとすれば、群本部の各班長になるが、帰宅して姿はない。当てずっぽうで調べたりするが、皆目見当がつかない。翌朝仕方なく調べた範囲で報告するが、隊長は課題を出したことを忘れたかのようにまるで関心がない。ちなみに、先ほどの課題は航空団及び整備補給群の内部規則に関する達とか整備補給準則(MSOP:Maintenance and Supply Operations Procedures)、航空自衛隊の関連技術指令書(TO:Technical Order)などに規定されているエンジン小隊の任務、役割、業務を十分に理解した上で、小隊長としての平素の仕事をきちんと出来ているのかという問いであった。おそらく初級幹部で、これを間違いなく回答できる者などいないであろうが、こんな状況が毎日、1か月近くも続いた。私も、既に所帯持ちであったこともあり、昼休みに総括班を訪れ、課題に応えられない。限界です(言外にまともな時間に帰宅したい)と意見したら、隊長は、「おおそうか。じゃ辞めちゃって構わないぞ。どうせ小隊長なんか教育配置だから、いなきゃ俺が直接やるだけだから」といって、私のことなどさほど気にも留めず、准尉らとカードゲームに興じていた。ようやく課題の付与は、止まったが、後味が悪かった。しかし、勝てる相手ではないと分かってはいるものの、負けたくはない一心で猛勉強するようになった。特に特異故障整備記録とか、不具合通報(UR:Unsatisfactory Rreport)は、群本部やショップの上級空曹よりも熟知するまでになり、群本部班長からアンスケ(アンスケジュール:計画外整備=故障の意味)とかUR小僧なんて、ありがたくもないニックネームを頂戴するようになった。
 しかし、隊長とわれわれを悩ますことが、その後次々と発生した。一つは、バブル期(好景気)に伴う入隊者数の減少に対する対策として、防衛庁(省)自衛隊は入隊上限を24歳から26歳に2歳引き上げたのだが、着任する隊員が次々と服務上の問題を起こした。今の防衛省自衛隊を悩ます状況と同じで、明らかに入隊する隊員の質が下がっていた。今一つは、隊長着任前に問題が潜在化していたものであった。そのうちの一つは、テレビや新聞報道を騒がすことになる他小隊で発生した事件であった。私が、部下隊員の内務班点検を行った際に、皆が皆同じビデオ付テレビを所有しているのに疑念を持ち、どのように入手したのか事情を聞いたところ、同じ隊員から購入したことが分かり、まさかと思い基地のBX(売店)で確認したところ、転売した隊員がローンで同じ品を多数購入していた事実を突き止めた。彼は、結婚していたが、他のアパートに別の女性を住まわせていることも、隊員からの聞き取りで知ったので、彼が所属する小隊長兼総括班長に隊長に報告すべきだと意見具申したが、報告も後任者に申し送りもしないまま、部内配置換で交代した直後、事件が惹起した。もう一つは、不適切なエンジン整備に起因した火災発生による緊急着陸であった。この件は、次項で改めて言及するが、従前はややもすると部下隊員から説明を聞き、勘、感覚で判断するだけの傾向にあったが、必ず自分自身で根拠を直接確認する癖がつく契機となった事案であった。
 隊長は、私と同じ文系(国際関係論)出身で、米軍の交換幹部や外務省出向の勤務歴などを有し、英語も堪能、頭脳明晰な人材であった。中でも隊長直伝の指揮管理能力の一つが私の強い味方になった。それは、准曹士隊員の昇任管理のノウハウである。その後、知見と技能にさらに磨きをかけ、総務人事幹部や人事担当者よりも業務に精通するまでになったが、数々の試練にも部下隊員をけん引し突破する際の原動力となった。一人でも多く期待する部下隊員を昇任させ、表彰等により士気を振作し、転属等の切なる希望を叶えてあげること、これと連動して組織の人員配置を適正化することは、部下部隊を指揮統率する幹部自衛官として最も身につけなくてはならない能力の一つと考える。また、空士隊員の曹昇任試験対策として勉強を教え、面接の指導を行うことは、この初任地で整備主任が若手幹部を動員して行っていたことを自分なりに工夫したものであった。その後隊長とは、上司と部下の関係になったのが2度、間接的な上下関係(メジャーコマンド司令部装備部長と隷下部隊部隊装備部長)が1度、同じ部隊で同じ官舎の上下階に入居したのが1度、整備職域の誰もが知る、切っても切れない師弟関係となった。

3 飛行隊長と最初の出会い

 当時毎年秋には、航空自衛隊として実働演習を欠かさず行っていた。当団所属の戦闘機が搭載できる空対空ミサイルは、射程の短い赤外線追尾型が翼端に2発、主に防護用であり防空戦闘を苦手とした。一方、対艦ミサイルを唯一搭載できる機種であったので、機動展開と言い飛行隊ごと他航空基地に移動する演練を行っていた。整備主任の命により、飛行隊とともに整備補給群の整備員を連れ立って展開し、異動先で航空機に不具合が発生した場合に備え、修復する整備班の班長として派遣されることになった。団は、2個飛行隊と方面隊司令部の指揮連絡を担う1個班があった。隊名に一桁の数字を冠した2個の飛行隊は、カラーが全く違い、私が帯同する飛行隊は整備員の評判は今流で言えばブラックな飛行隊と思われ、隣の飛行隊が好感を持たれていた。しかし、私は少し違った感じを抱いていた。というのも、あるとき隣の飛行隊のOR(運用)状態の機体でエンジン小隊員が定期検査(ランニングフェーズといい、25飛行時間ごとの検査)を行った際、重大なエンジントラブルを発見したのだが、それに加えその後の飛行隊整備小隊の対応に大いに不信感を有していたからだ。整備記録(フォーム)上は飛行後点検を行ったと記載されていたが、エアインテークから覗き込めば発見容易な一段目チタン製ファン・ブレードが大きく曲がり、2段目以降のコンプレッサ・ブレードは大きく欠損、飛散していた。その後、定期整備がありエンジン特技員が確認をするから、団の水泳大会もあるし、点検しなくても良いだろうという無責任な姿勢が垣間見えた。誰か謝罪に来るのかと思ったら、皆で残業態勢で原因究明を行っている最中に同期の小隊付が、「どうなっているの」と呑気に聞いてきたものだから、部下の手前、「とっとと帰れ」と激しく叱責してしまった。大人げなかったが、杜撰な整備の実態と安全意識の欠如、任務遂行意欲の低さに怒りすら覚えていたから、むしろ整備員に厳しいとの噂がある飛行隊の方が正常かもしれないと考えていた。その機動展開前に飛行隊長への挨拶をした際、隊長からは、「演習と言えど、実戦と思え。機動展開先で戦力を最大発揮できるよう、母基地に残す補用品の数と交換しかできない機動展開先へ携行する補用品の数をどのような比率とするのか、憂いがないよう部下隊員の心情を把握し人選を行え」と、演習前にも関わらず、まるで上司と部下のように指導されたが、実際には補用品の数はもとより、整備員の数とともに誰を派遣するかも整備主任と各隊長が予め決めたものを預けられたに過ぎなかった。それでも、展開前の群本部での各班長、各小隊長とのミーティングの席上、私は展開先なので補用品は交換するしかないので極力数を多く携行したいので、演習前に整備して補用品の数を増やしておいて欲しいとか、人選する際は、家庭の状況とか健康状態に問題がない隊員を人選するようお願いしたのだった。
 このときは、戦闘機の機動展開に先立ち、われわれ整備員はC-1輸送機の特別便で既に展開先の基地に到着し、旧滑走路にあるプレハブの待機室前で戦闘機とパイロットの到着を待っていた。戦闘機が1機また1機と着陸をし、飛行隊の整備小隊が駐機場へ誘導、慌ただしくなってきた矢先のことであった。着陸の間隔がやや空き最後の1機となったとき、突如としてフォーンと甲高いサイレンが鳴り響いた。聞いたことがない音だったので、何だと思った瞬間、一斉放送が流れた。「エマー(緊急事態)、エマー対処発令、機種〇〇、エンジン火災」、「繰り返す、機番2〇〇号機、エンジン火災」を伝える内容であった。消防車とアンビュランス(救急車)のけたたましいサイレンが鳴る同時に、私は内線電話でエンジン小隊に連絡した。電話口にディスパッチ(統制係)のT2曹が出ると、私は2〇〇号機の左エンジンは最近どのような整備作業をしたか、すぐさま確認してくれと言った。すると彼は、「小隊長、あのエンジンです。例のモニターの」と即答し、私は、「えっ、あのエンジン(まさか)」と茫然自失してしまいそうな状況にも、「分かった。エンジン火災でエマーになった。小隊先任、ショップ長、検査係等に伝えて次の連絡を待って欲しい」と伝え、電話を切った。
 遡ること半年前の状況を思い出した。分光分析係(SOAP:Spectrometric Oil Analysis Program)のH3曹が私のもとに来て、「SOAPの試料油が黒くておかしいんです」と話しかけてた。彼の話だと、発光による波長の分析では金属は検出されていないので、エンジンの回転体、ベアリング等に摩耗の兆候はなく問題はないのだが、黒い色であることに違和感を感じると言う。
色の判定基準はないのかと尋ねたが、ないとの返答だった。こうした場合、機種別TO(-2-5)のエンジン系統を確認して判断すべきだが、術科学校を出て小隊長に就任したばかりの私は、安直にも上級空曹、ベテランたちの見解を頼った。分隊長や検査係を統括する整備班長A1曹は、少し動揺した様子で、「小隊長、それは問題ありません」と言ったが、ではなぜ当該エンジンの試料油(定期時間ごとに採取するエンジンオイル)だけが黒いのか、説明はなかった。私が怪訝な表情をしたからであろう。今度は、Kショップ長と統制係のT2曹までもが、「たまにあることで、問題はない」と口を揃えて私を説き伏せようとしているように感じた。そこで、私は、何らかの異常を示す兆候かもしれないから、他に点検方法はないのかを二人に尋ねた。すると、T2曹は定期整備に伴うエンジン試運転の際、排気温度等を計測するので、その際に異常が認められれば、直ぐにエンジンを取り卸しますと言い、Kショップ長も、そのとおりというので、信頼する二人の見解に従うことにした。T2曹は、そのことを忘れないようにと、私のデスク横の壁に掲示していた機体ごとに搭載したエンジンのシリアル番号を示すステータスボード(現況表)に白いマグネットシートを貼り付け、「要モニター」と手書きで書き込んだ。ここでの私の判断が大きな間違いだった事実を突き付けられ、厳しい現実を思い知らされ、激しく打ちのめされたのであった。
 滑走路端の東側の上空を見ると、エマー機が見えた。左エンジンの出力をを絞ったためか、左右にふらついているようだった。機体後方に黒煙を微かに曳いている。無事に着陸したが、滑走路を閉鎖させないためなのか、停止せず自走で引き返してくる。私は、駐機場に向かい機体に走り寄った。機体下面は、煤で真っ黒となっていたが、外観上ダメージはないようだった。左エンジンからは、ガラガラと異音が鳴り響いていた。私は神妙な面持ちで、コックピットからラダーで降りてくるパイロットの姿を目で追った。やはり、K飛行隊長だった。内心、エマー発生の際にブルーインパルスに所属した経歴もある隊長が操縦していて奇跡的に幸運だった、助けられたと感じた。しかし、隊長から激しい叱責を食らうだろうなと覚悟をして、私は、「隊長!」と呼びかけた。すると、隊長は、思いの外険しい表情は見せず、「おぅ小隊長! エンジンは直ぐにでも修復できるか」、「演習中で、直ぐに全機警戒待機に就かせなくてはならないからな。急いでやってくれ!」と言い、その場を立ち去った。
 K飛行隊長からは、何もお咎めがなかったが、「お前は、部下隊員にどんな整備をやらせているんだ」と激しく叱責したのは、原隊にいるT修理隊長であった。こちらでは、エンジン交換を大急ぎで行っている最中であったにも関わらず、この度のエマー発生に至る経緯をとりまとめ、今後の対策を含めFAXで報告しろと矢継ぎ早に指示が来た。その過程で、展開先の群本部品質管理班にある機種別TOを参照したところ、試料油が黒変している場合、速やかにエンジンを取り降ろさなくてはならないと規定があることに気付かされた。エンジンなどの機械の構造が分かる人であれば、オイルが黒変した原因は容易に推察できる。それは、燃料の燃焼に伴うカーボン(煤)であった。ジェットエンジンでエアーを吸入し圧縮させるコンプレッサーを同軸回転させるために高温の排気を受けるタービンの翼(ブレード)の中には細い溝が成形されていて、この溝の中をオイルが循環することによってブレードを冷却し、推力の増加に伴い排気温度が上昇しても、ブレードが損傷しないように設計製造されている。このタービンのブレードに亀裂が入り、そこからカーボンが混入し、オイルが黒変したのである。このことをエンジン小隊の上級空曹が知らないわけがない。なぜ正直に言わなかったのか。しかし、それを今更ほじくり返しても何もならないし、本人たちは猛省しているだろうから、隊長への報告は自分の判断に大きな過ち、甘さがあったと記し、事後自らTOを参照して判断することを誓った。演習を終え帰隊した後に、半年前を振り返って、「あのときは、予備エンジンが全くなかったから、誰もがその場をどうにか取り繕ってエンジン交換を先延ばしにし、予備エンジンができたところで交換をと考えていたのだろうが、皆そのことを失念してしまった」のだろうという答えに行きついた。これを機に、航空機の整備をはじめとして重要かつ安全に係ることは、自分の目と耳で直接確認して判断し、指示すると決めた。分かりやすく言うと、指揮官たる者、人の言うことを当てにして軽々に判断をしてはならないということを肝に銘じたのであった。
 さて本題に戻るが、予備エンジンに載せ替え、作業を終えようとした際に新たな問題が発生した。携行したはずの部品が1点ないことに分隊長が気付き、私に報告があった。それは、エンジンを地上でスタートする際に使用する(エアー式の)スタータとエンジンの吸気ダクトを連結する際に取り付けるガスケットであった。取り外したガスケットは、こうした消耗品を誤って取り付けないよう取り外し時に引きちぎるか切るよう躾けられていたから、再使用できない状態であった。原隊を出発する前に、部品を一とおり確認をしたものの、リスト(紙面)上での確認でしかなかく、補給係長のM1曹に任せてしまったことを悔やんだが、どうにもならない。岐阜の第2補給処から緊急で取り寄せるにも時間を要する。一刻も早く、機体を運用可能な状態にバックオン(修復)させなくてはならない。私が思案していると、前出の品質管理班のE准尉が口を開いた。彼は、「小隊長、私に考えがある。実際に試みたこともある。小隊長がどう判断するかだが」と言った。それはガスケットを使用しないでダクトをスタータに直結することであった。スタータはエンジン始動時にしか使用しないから、即座に飛行完全に影響しない。それに、万が一にもエア漏れしたとしてもエンジンの始動に時間がかかるか、低回転で停滞してエンジンが始動しないか、いずれかと考えられる。試運転時に実際にエア漏れが生じるか否かの確認もできるから、実行上は何ら支障はない。問題はTO上認可されない修復方法であるということ、本来なら整備主任の認可がいるが、現実的に得られない。ただ幸いにも今日は金曜日、既に演習上フライトの予定もなく、明日は演習も中断する。つまり演習上警戒待機に就けるため、一時的に運用可能な機体に修復させれば良いと考えた。後は、ガスケットを原隊のエンジン小隊から宅配便で送らせ明日取り付ければ良い。展開先でのことであったから、原隊の部隊としての面子もある。私は腹を括ることを決めた。
 ダクト接合部に石鹸水をかけ、エア漏れを確認しながら、起動車のエアーを送り、エンジンをスタートさせた。エア漏れはなく、エンジンは規定どおりに始動した。エンジンドア等を復旧し、演習時間内に任務可能機に修復を完了した。これで明日ガスケットが届き次第、エンジンドアを開け、ダクトを取り外し、取り付けければ良い。食事は摂れなかったので、皆で風呂に行き、基地のクラブで呑んで宿舎に戻った。演習なので、外来宿舎に収まりきらず、体育館での雑魚寝であった。夜遅くに帰ったので、先に就寝していた他部隊といざこざが起きた。ただE准尉が、「俺は〇〇航空団のE准尉だ。何か文句があるのか」と凄みを見せたら、何故か階級と気迫に負けたのか、「准尉、誠に申し訳ありませんでした」と言ってその場は何もなかったように収まった。翌朝、機動先の整備統制班を通じて予めお願いしていたので、格納庫を開けてもらい、作業を始めた。30分ほどしかかからない作業で、5分ほど経ったときのこと、何か後ろに気配を感じた。すると、「オレの航空機に何をしているんだ」との大声が聞こえた。K飛行隊長だった。なぜ、K飛行隊長が内密の作業のことを知ったのか、今もって分からないし、本人に確かめたこともないが、飛行隊長の言葉のとおりであった。既に任務可能機の状態となっているので、飛行隊長が必要性を認めない限り勝手に作業はできない。作業を中断し、昨日の経緯を含め報告して指示を待った。隊長は、叱るようなことはせず、「休日なのに、整備作業皆ご苦労様。安全確実にやってくれるか。小隊長、後は頼んだぞ」と言ってその場を後にした。
 実は、このときの実働演習には、他にも別の項でご紹介するいくつか記憶に残るエピソードがあったが、K飛行隊長とT修理隊長に直接関係するもの一つがあった。それは、隊員の人選だった。修理隊の他小隊の隊員であったが、演習期間中に面接試験を受ける予定だったにも関わらず、展開先に来てしまったのだ。到着すると直ぐに本人が私に相談に来たが、今の私にはどうすることもできない。本音は、原隊の小隊長、隊長にどうにかしてもらえと突き放したい気持ちだったし、そもそも立派な社会人なんだから、自分から行けない理由を申し出る必要があったのでないかと呆れた。仕方なくK飛行隊長に報告すると、「そんな大事なことを忘れるヤツがいるか」と一言お叱りを受けただけで終わり、隊長自ら展開先部隊の人事部長に掛け合い、展開先の地方連絡部(現地方協力本部)に連絡をして、急遽面接を受けることになった。隊長(指揮官)とは、いかにあるべきか。学ぶことが多かった実働演習だった。

4 飛行班長と訓練係幹部との出会い

 この後私は飛行隊の整備小隊長に抜擢されたが、これもY副司令との出会いと似通ったものがあった。朝の飛行前点検で、パイロットによりエンジンの不具合が発見され点検整備をすることになった。エンジン小隊長の私は、飛行前地上でエンジンスタート時にのみ使用するブリードエア系統であり、交換間もない部品(バルブ)で枯渇しているため、他機から取り外し流用する(共食う)ことは、むしろ品質上は好ましくない、不具合が再発する可能性が高いと判断、エアー抜きの処置で様子を見ると決心して飛行隊に機体を戻すよう指示した。午前の早い時間帯での出来事だったが、皆を帰宅させる時間になり、飛行隊から整備をやり直すよう機体が差し戻されたとの連絡が入った。私は全く納得できなかったので、検査係長のS1曹を連れ立って、タグ(けん引車)に飛び乗り飛行隊の指揮所に向かった。ドアを開けるなり私は、「飛行機を受け取らないと言っているパイロットはどこのどいつだ」というようなもの凄い剣幕で応対を迫った。すると、T1尉(訓練係)とS3佐(飛行班長)の二人が出てきて、「お前こそ、何だ」と向かってきた。
 私は、「エンジン小隊長だ」とこれに応え、どうしてこの処置に至ったのかを説明したが、相手もさるもので、T1尉が当時貴重品だったノートパソコンを持ち出してきて、機番ごとの過去の整備履歴を私に見せて、疑問に感じている点をぶつけてきた。バルブの位置がエンジンが右か左で変わり、今回は内側に位置していたので交換するにはエンジンを取り下ろさなくてならず面倒なので、エア抜きで済ませたのではないかと疑っていた。また、整備小隊付の説明も群本部の整備統制班に確認した処置内容だけをパイロットに伝えたようで、説明不十分だった。結果的には、飛行班長が、「わかった。じゃあ、不具合は解消して、もう発生しないんだな」と問いかけてきたので、私は、「部品も経年劣化するので、何年も先もというわけにはいきませんが、当面不具合は発生しません」と断言し、機体を引き取ってもらった。
ちなみに、整備や修理を行う際、ダブルチェックの励行と良く言われるが、航空自衛隊では一般検査員と品質検査員の二重体制であることがその代表例であるかのように語られることが多いが、全く違う。一般検査員は、装備品の合否、いわば対物検査を担うのに対し、品質検査員は、抽出検査のように対物検査や工程間の検査を行うこともあるが、作業手順の審査や資格の保有状況、資料の維持保管状況等の管理体制を主に検査するのが本来の役割である。そうした意味では、当時のわれわれは、分隊長、副分隊長に一般検査員を充てるとともに、分隊長を経験した上級空曹に検査係を命じ、真のダブルチェック体制を敷いていた。品質検査員を加えるなら、トリプルチェックの体制である。それほどまでに、エンジンの整備は飛行安全並びに飛行任務の遂行に直結する仕事と強く認識していた。
 この日の夕刻、偶然にもまた基地幹部会が催されていた。私は、そのことを完全に失念していた。遠方を見やると、そこに飛行班長と訓練係の二人の姿があった。「しまった」と思うも後の祭り。すると飛行班長が、私を手招きしているではないか。恐る恐る近寄り、今日の無礼な振る舞いを深くお詫びした。すると、飛行班長は、「気骨があって頼もしい。見どころがある。最近そういう若い幹部はいないからな。うちの飛行隊に来ないか」と言われたのだが、さすがに冗談かと思いご遠慮しますと言い、その場を立ち去った。その翌日のこと、群本部に向かうと、整備主任室に入るK飛行隊長の姿を偶然目にした。何だろうと思ったが、その夕刻T修理隊長に呼び出され、飛行隊整備小隊長へ配置換の発令(内示)を受けたのであった。おそらく、前項の実働演習に伴う機動展開も伏線になったのであろうが、このときどの部隊でも飛行隊の整備小隊長は、2~3年上の先輩たちが就いていた。現に前任の小隊長は4期も上だったし、私は飛行隊(整備小隊付)の勤務経験もなかったから、戸惑った。しかも、整備小隊付には同期が就いていたから、後から来た自分がその上の立場になるのは、かなりの抵抗があった。様々な事由を考えては、発令を取り消せないものかと申し出たが、意見が受け入れられるはずもなかった。今考えてみても、かなり大胆というか強引な人事であり、それも即決即断というあたりが、いかにも要望したK飛行隊長やそれを受けた整備主任らしかった。軍隊という組織で考えれば驚くにあたらないことなのかもしれないが、自衛隊という官僚組織ではあり得ない異例の人事だった。逆に私は、昇任が恵まれなかった割には、幸いなことに定年退官をする日まで直属の上司に後輩期が就くことはなかったが、神様のおかげなのか、人事担当が私の性格などを踏まえて配慮したものなのかは分からない。
 二人の操縦士とのエピソードは別の機会に譲るが、私の印象では、S飛行班長は感性で飛ぶ超人(鳥人)パイロット、T訓練係は理論、知性で飛行を制御する理知的操縦士という雰囲気であった。いずれのお二人も、その後、当該機種の飛行隊長となった。S氏は定年退職後市議会議員となり、T氏はバスの運転手になるとの話を最後に、私の定年退官もあり連絡が途絶えた。このお二人にも、航空機整備はいかにあるべきか、実に多くのことを学ぶ機会を与えて頂いたが、今の整備の現場で、操縦士と直に意見を交わす気概を有した整備幹部がどれだけいるのだろうか。航空機の履歴簿(フォーム)にパイロットが記入した内容を見ただけであったり、部下整備員から聞き取っただけでは、何が起こったのか伝わらず、理解できないものがあるはずだ。 その原点は、以前に紹介した司令部のS整備班長にあった。エンジン小隊長となってすぐ、エマー機が発生した際、S班長からエマーブリーフィング(エマブリ)に出席しているかと問われたことがあったからだ。人は、人との係りの中でしか成長できないものなのだと今更ながらに思う。(続く)

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