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【内向型】あんなに夢中だった仕事に、急に興味が湧かなくなった。それ、飽きじゃないかも。

数年前、僕はあるIT分野の仕事に、すごく入れ込んでいました。誰に頼まれたわけでもないのに、休みの日になると資格の勉強をして、関連する本を読んで。もっと詳しくなりたくて、仕方がなかったんです。

それがこの前、その分野の会社のイベントに顔を出したら、心が一ミリも動かなかった。あんなに好きだったはずなのに、気づいたら「早く帰りたいな」と思っている自分がいました。

最初は、自分が冷めてしまったんだと思いました。飽き性なんだ、成長が止まったんだ、と。

でも、似たような感覚、あなたにも覚えがないでしょうか。昔は夢中だったはずのことに、ふっと熱が入らなくなる。あれは「飽きた」のとは、少し違う気がするんです。



「飽きた」んじゃなくて、何かが噛み合っていない

よく思い返すと、興味が消えたのは「その分野そのもの」じゃありませんでした。消えたのは、それを「仕事としてやる時間」のほうだったんです。

関わる人が増えるほど、何をするにもいちいちお伺いを立てないといけなくなる。あの人にもこの人にも確認して、自分の手を動かす前に、もう消耗している。

好き勝手に試せていた頃のワクワクは、もうどこにもありません。

たぶん、対象に飽きたわけじゃないんです。「自分の裁量がほとんどない状態で、それを続けること」に、心がついていけなくなっただけ。同じことを感じている人は、きっと少なくないと思います。


興味は枯れたんじゃなくて、別の場所では今も動いている

おもしろいもので、自分の中から「これをやりたい」と湧いてきたことには、今でも勝手にスイッチが入るんです。

同じ僕なのに、誰かに「これをやって」と渡されたことには指一本動かなくて、でも内側から出てきた「やりたい」には、夜中だろうが前のめりになれる。たぶんもともと、自分の好奇心が向いた先にしか熱が乗らない——いわゆる「探索型」なんだと思います。

だとすると、情熱そのものが枯れたわけじゃないんですよね。違いは「能力」でも「根気」でもなくて、たぶん「その気持ちが、自分の内側から出てきたものかどうか」だけ。そこさえ噛み合えば、熱はちゃんと戻ってくるんです。


冷めたんじゃなくて、応え方が合っていないだけ

もし今、昔は好きだったことに興味が湧かなくて、自分を責めているなら。それは、あなたが薄情になったとか、根気がなくなったとかじゃないのかもしれません。

「誰かの期待に応えるために頑張る」という形が、あなたの心の動き方と、もともと噛み合っていないだけ。一度応えても、すぐ次の期待がやってくる。終わりのないその感じに、心のほうが先に気づいただけなんだと思います。

考えてみれば、本当に疲れている人が「もっと誰かの期待に応えたい」なんて、まず思わないですよね。

だから、興味が湧かない自分を、無理に叱らなくて大丈夫です。あなたの「やりたい」は、まだちゃんと残っています。今はただ、それが顔を出せる場所にいないだけなんだと思います。

あなたにも、こういう時期ってありましたか?よかったら、聞かせてください。

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