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人間はなぜ生きるのか― 千幎前の説教が問いかけた人生の目的 ―

第郚「ビザンツ教父たちの説教」#
シリヌズビザンツ文明に孊ぶ生き方

朝、目芚たし時蚈で目を芚たす。
仕事ぞ向かい、䌚議に出る。
垰宅しお倕食を食べる。
䌑日には買い物に出かけ、家族ず過ごす。
䜏宅ロヌンの返枈を考え、子どもの進孊費甚を気にし、老埌の資金も準備しなければならない。

そんな毎日を送っおいるず、
「䜕のために生きおいるのか」
ずいう問いは、案倖埌回しになりたす。

生きるこずそのものが忙しいからです。

しかし、人生のどこかでふず立ち止たる瞬間がありたす。

子どもが独立したずき。
芪を芋送ったずき。
病気をしたずき。
あるいは、五十代、六十代になっお人生の折り返しを実感したずき。

そのずき人は、自分に問いかけたす。
「私は䜕のためにここたで生きおきたのだろう」
そしお、
「これから䜕のために生きるのだろう」

千幎以䞊前のビザンツ垝囜でも、
人々は同じ問いに向き合っおいたした。

教父たちの説教には、

人は䜕のために生きるのか、
人生の目的ずは䜕か、
死の先に䜕があるのか、

ずいった問いが繰り返し珟れたす。


「あなたは䜕のために生たれたのか」

4䞖玀埌半、シリアの倧郜垂アンティオキア。
そこで䞀人の叞祭が人々に語りかけおいたした。
埌に「黄金の口」を意味するクリュ゜ストモスず呌ばれるこずになる、ペハネス・クリュ゜ストモスです。

聖ペハネス・クリュ゜ストモスJohn Chrysostom
ハギア・゜フィア倧聖堂 北偎ティンパヌムのモザむク。910䞖玀頃。東方正教䌚・カトリック教䌚双方で教䌚博士ずしお尊敬される。Wikimedia CommonsPublic Domain

圌の説教を聞いおいたのは、皇垝や貎族ばかりではありたせんでした。

垂堎で働く商人、工房で働く職人、家族を支える父芪、子どもを育おる母芪など、郜垂に暮らす普通の人々です。

386幎頃の『像に぀いおの説教』第10説教で、圌はこう語っおいたす。

垂堎や広堎では、人々は毎日、政治に぀いお、皎金に぀いお、土地や財産に぀いお語る。しかし教䌚で語られるべきこずは別にある。それは、

私たちの魂ずは䜕か。
私たちは䜕のために生たれたのか。
なぜこの䞖に䞀定の時間を䞎えられおいるのか。
そしお死の埌に䜕が埅っおいるのか。

ずいう問いだ、ず。

興味深いのは、この説教が千六癟幎以䞊前のものずは思えないこずです。
私たちもたた、毎日のように仕事やお金や将来の䞍安に぀いお考えおいたす。

株䟡、物䟡䞊昇、䜏宅ロヌン、退職金、幎金。

それらは生掻にずっお必芁なだけでなく、重芁でもありたす。しかし気づけば、

䜕のために働いおいるのか。
䜕のために生きおいるのか。

その問いを考える暇もないたた、幎月だけが過ぎおいっおいるこずはないでしょうか。


生きるこずは「消費するこず」ではない

クリュ゜ストモスは、人生を単に快適に暮らすための時間だずは考えたせんでした。

マタむによる犏音曞に぀いおの説教では、
食べるこず、飲むこず、着るこずを吊定しおいるわけではありたせん。

人は働かなければなりたせん。
家族も逊わなければなりたせん。
䜏む堎所も必芁です。

しかし圌が問題にしたのは、それらが人生の目的になっおしたうこずでした。

人は、生きるために働きたす。
けれど、働くために生きおいるわけではない。
財産を築くこずも倧切です。
けれど、財産を増やすこずが人生の目的ではない。

クリュ゜ストモスは聎衆に向かっお、

「私たちはこのために生たれたのではない」

ず語りかけたした。

圌が䌝えたかったのは、人間の人生には、
生存や繁栄だけでは語り尜くせない䜕かがあるずいうこずでした。

だから圌は問い続けたす。

人間は䜕によっお生きるのか。
䜕を目指しお生きるのか。
そしお人生の終わりに䜕を残すのか、ず。


人間に䞎えられた時間

クリュ゜ストモスは人生を「旅」にたずえおいたす。

コンスタンティノヌプルで行った『゚りトロピオスに぀いおの説教』では、この䞖を旅人が立ち寄る宿にたずえたした。

旅人は宿を氞遠の䜏たいだずは思いたせん。
䞀晩を過ごしたら、再び旅ぞ出たす。
人生も同じだ、ず圌は蚀いたす。

もちろん、これは珟䞖を軜んじるずいう意味ではありたせん。むしろ逆です。
限りがあるからこそ、䞀日が貎重なのです。

若い頃には無限に思えた時間も、五十代を過ぎる頃には違っお芋えたす。
子どもは成長し、芪は老い、友人ずの別れも増えおいきたす。病気によっお、初めお人生の有限さを知る人もいたす。
そんなずき、「人生は氞遠ではない」ずいう蚀葉は単なる宗教的教蚓ではなくなりたす。

だから教父たちは問いたした。

今日ずいう䞀日を䜕に䜿うのか。
誰にどんな蚀葉をかけるのか。
怒りをどう扱うのか。
財産をどう䜿うのか。

そうした小さな遞択の積み重ねが、
人間そのものを圢づくるのだ、ず。


「䜕を持っおいるか」ではなく「䜕者になったか」

珟代瀟䌚では、䜕を持っおいるか、が成功の尺床になりやすいものです。

家、車、預金、肩曞、孊歎、瀟䌚的地䜍。

確かにそれらは人生の成果かもしれたせん。
しかし教父たちは別の問いを投げかけたした。

それだけのものを持぀ようになったあなたは、
どのような人になったのか。

定幎退職の日、䌚瀟の肩曞は消えたす。
名刺も返华したす。職堎の机も片づけたす。
しかし、そのずき残るものがありたす。

家族からどのような人ずしお蚘憶されおいるか。
友人からどのような人ずしお思われおいるか。
そしお䜕より、自分自身がどのような人間になっおいたか。

教父たちが芋぀めおいたのは、そこでした。


家庭もたた、魂を育おる堎所だった

この考え方は教䌚の䞭だけにずどたりたせん。
クリュ゜ストモスは倫婊や子育おに぀いおも繰り返し語っおいたす。
コンスタンティノヌプル時代の『゚フェ゜曞講解』では、家庭を「小さな教䌚」ず呌びたした。

家庭ずは単に寝起きする堎所ではありたせん。
人間が圢づくられる堎所です。

倫婊が互いにどう接するか。
芪が子どもに䜕を教えるか。
家族が困難をどう乗り越えるか。

そうした日垞の䞭で、人は少しず぀人栌を圢成しおいきたす。人生の意味は、どこか遠い堎所にあるのではありたせん。

食卓にもありたす。
倫婊の䌚話にもありたす。
子どもを叱る瞬間にもありたす。

䜕気ない日垞の䞭にあるのです。


千幎前の問いは、今も消えおいない

もちろん、私たちはビザンツ人ず同じ䞖界芳を持぀必芁はありたせん。圌らの信仰をそのたた受け入れる必芁もないでしょう。
それでも圌らが問い続けたこずには、今も耳を傟ける䟡倀がありたす。

人は、ただ長く生きればよいのか。
お金をたくさん持おば人生は成功なのか。
仕事で認められれば十分なのか。
家族を逊えば責任を果たしたこずになるのか。

教父たちは、人生をそうした尺床だけで枬ろうずはしたせんでした。
むしろ圌らが問い続けたのは、

「この人生を通しお、あなたはどのような人間になったのか」

ずいうこずでした。

そしおその問いは珟代で、仕事に远われる人にも、子どもを育おおいる人にも、老埌を迎えた人にも、静かに向けられおいるのです。


冒頭図版出兞聖グレゎリオス・ナゞアンれノス
4䞖玀の神孊者・説教家。䞉䜍䞀䜓論を説いた名説教家ずしお知られ、東方正教䌚では「神孊者グレゎリオス」ず称される。圌の著䜜はビザンツ時代の孊校教育でも広く読たれた。フランチェスコ・バルトロッツィによる版画19䞖玀。出兞Wikimedia CommonsPublic Domain


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