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皇垝ずは䜕者だったのか― ビザンツ人が芋た「地䞊の秩序」―

第郚「コンスタンティノヌプルで暮らす」#
シリヌズビザンツ文明に孊ぶ生き方

私たちは「皇垝」ず聞けば、どのような人物を想像するでしょうか。

豪華な宮殿に䜏み、絶倧な暩力を持぀支配者。
あるいは歎史の教科曞に登堎する遠い昔の人物かもしれたせん。

しかしビザンツ人にずっお皇垝は、単なる政治家でも、単なる暩力者でもありたせんでした。

それは、自分たちが䜕者であるかを瀺す存圚でもあったのです。


皇垝は垝囜の頂点にいた

蚀うたでもありたせんが、皇垝は匷倧な暩力を持っおいたした。

法埋を制定する。
軍を動かす。
倖亀を行う。
官僚を任呜する。

囜家の重芁な決定は最終的に皇垝の名によっお行われたした。

珟代日本で蚀えば、銖盞ず最高裁長官ず防衛倧臣を䞀人にたずめたような存圚です。その意味では、たさに垝囜の頂点でした。

しかしビザンツ人が皇垝を特別芖した理由は、それだけではありたせん。


皇垝は神ではなかった

珟代人は時々誀解したす。

「皇垝ずは神のような存圚だったのではないか」ず。

しかしビザンツ垝囜はキリスト教囜家でした。
皇垝がどれほど倧きな暩力を持っおいおも、その䞊には神がおられるず考えられおいたした。

ハギア・゜フィアで祈り、悔い改めたす。
眪を犯せば批刀されたす。
皇垝もたた神の前では䞀人の人間でした。

この点は、叀代ロヌマ皇垝の䞀郚が神栌化された時代ずは倧きく異なりたす。


それでも皇垝は特別だった

では、なぜ人々は皇垝を重芖したのでしょうか。

ビザンツ人にずっお皇垝ずは、単なる政治家ではなく、神によっお垝囜を蚗された統治者でした。

垝囜を守る者。
秩序を維持する者。
正矩を執行する者。

人々は皇垝個人を芋おいたずいうより、
その背埌にある垝囜そのものを芋おいたのかもしれたせん。


「ロヌマ垝囜」を目に芋える圢にした存圚

第䞀回の蚘事で觊れたように、ビザンツ人は最埌たで自らをロヌマ人ず考えおいたした。

圌らにずっお囜家ずは、単なる行政組織ではありたせん。数癟幎、数千幎ず受け継がれおきたロヌマ垝囜そのものでした。
しかし垝囜は目に芋えたせん。理念や䌝統だけでは実感しにくいものです。

そこで皇垝がいたした。

皇垝は、ロヌマ垝囜ずいう巚倧な共同䜓を目に芋える圢で䜓珟する存圚だったのです。人々が皇垝に敬意を払ったのは、単に暩力を恐れたからではありたせん。
その姿の䞭に垝囜そのものを芋おいたからでした。


垂民は皇垝を称賛し、時には批刀した

もちろん、だからずいっお皇垝が絶察的に愛されおいたわけではありたせん。

コンスタンティノヌプルの人々は非垞に政治的でした。
皎金ぞの䞍満、物䟡の䞊昇、軍事的倱敗。
そうした問題が起これば、皇垝ぞの批刀も高たりたす。

特にヒッポドロヌム競銬堎は、垂民の声が集たる堎所でした。珟代で蚀えば、スポヌツ競技堎ず政治集䌚堎を合わせたような堎所です。

人々は歓声を送りたした。しかし時には怒りもぶ぀けたした。
有名な「ニカの乱」は、そうした垂民の䞍満が爆発した出来事でした。

ニカの乱においお皇垝を支えた皇后テオドラず将軍ベリサリりスL. Kretzschmar, 1872。逃亡を考えたナスティニアヌス垝に察し、テオドラは「玫衣は最䞊の死装束である」ず語り、培底抗戊を促したず䌝えられる。出兞Wikimedia CommonsPublic Domain

ニカの乱Nika Riots
532幎1月にコンスタンティノヌプルで起きた倧芏暡な民衆蜂起。戊車競走の二倧応揎掟閥「ノェネトむ(青党)」ず「プラシノむ(緑党)」が、暎埒の凊刑ぞの䞍満をきっかけに手を結び、「ニカ勝利せよ」を合蚀葉に蜂起。垂街の倧郚分を焌き払い、別の皇垝擁立たで䌁おた。逃亡を考えた皇垝を皇后テオドラが説埗しお螏みずどたらせ、将軍ベリサリりスが競技堎に集たった暎埒を包囲・鎮圧。玄3䞇人が虐殺されたずも䌝わる。乱埌、皇垝の暩力はかえっお匷化され、焌倱した建物の再建が進み、珟圚のハギア゜フィアもこのずきに建蚭された。

぀たりビザンツ人は、皇垝を神のように厇拝しおいたのではありたせん。
期埅しおいたからこそ批刀したのです。


良い皇垝ず悪い皇垝

ビザンツ史には有胜な皇垝もいれば、倱敗した皇垝もいたす。

䟋えば6䞖玀のナスティニアヌス垝は、ロヌマ法倧党を線纂し、ハギア・゜フィアを建蚭したこずで知られおいたす。珟代でもビザンツ史を代衚する名君ずしお語られる人物です。

䞀方で、11䞖玀のロマノス4䞖はセルゞュヌク朝ずの戊いで倧敗し、垝囜を危機に陥れたした。たた、皇垝の䞭には宮廷陰謀に明け暮れたり、財政を浪費したりした人物も少なくありたせんでした。

぀たり、皇垝たちは決しお皆が優秀だったわけではないのです。

しかし興味深いのは、人々が個々の皇垝以䞊に「皇垝ずいう制床」そのものを重芖しおいたこずです。

皇垝が亀代しおも垝囜は続きたす。
䞀人の人間が去っおも、ロヌマ垝囜は残りたす。

そのため人々は、皇垝個人ぞの忠誠だけでなく、皇垝が代衚する垝囜ぞの忠誠も持っおいたのです。


珟代ずの違い

珟代瀟䌚では囜家ず個人の距離は比范的遠くなっおいたす。

銖盞や倧統領が倉わっおも、倚くの人の日垞生掻はそのたた続きたす。王宀や皇宀に芪しみを感じる人はいおも、自分の生掻そのものず盎結しおいるず感じる人は倚くないでしょう。

しかしビザンツ人にずっお皇垝は、もう少し倧きな意味を持っおいたした。皇垝を芋るこずは、単に䞀人の政治家を芋るこずではありたせん。

垝囜を芋るこず、ロヌマを芋るこず、そしお、自分たちが属する䞖界そのものを芋るこずでした。

皇垝が宮殿から珟れれば、人々はそこに垝囜の秩序を芋たした。凱旋行列が行われれば、自分たちの共同䜓の力を芋たした。競技堎で皇垝が芳衆に応えれば、自分たちず垝囜が結び぀いおいるこずを感じたした。

もちろん党員が皇垝を愛しおいたわけではありたせん。䞍満もあり、批刀もありたした。時には暎動さえ起こりたした。

それでも人々は、皇垝の存圚そのものを無芖するこずはできたせんでした。なぜなら皇垝は、囜家そのものを象城する存圚だったからです。

私たちが囜旗や囜歌に察しお感じる感芚を、もっず人栌的な圢で䜓珟した存圚――それがビザンツ人にずっおの皇垝だったのかもしれたせん。


おわりに

珟代の私たちは、「囜家は制床であり、人はその䞀郚だ」ず考えたす。
しかしビザンツ人は少し違いたした。圌らは囜家を、䞀人の皇垝の姿を通しお芋おいたした。

だから皇垝が街に珟れるこずには意味がありたした。人々は皇垝を愛し、称賛し、時には激しく批刀したした。

それは遠い政治ぞの関心ではありたせん。
自分たちが属する䞖界そのものぞの関心だったのです。

千幎前のコンスタンティノヌプルで、人々が皇垝を芋䞊げおいた時、圌らは私たちずはたったく違う圢で「囜家」を芋おいたのかもしれたせん。


冒頭図版出兞ハギア・゜フィア「皇垝の門のモザむク」9䞖玀末10䞖玀初頭。キリストの前にひれ䌏す皇垝レオン6䞖を描く。ビザンツ䞖界においお皇垝がキリストの暩嚁の䞋にあるこずを象城する代衚的なモザむク。撮圱Osama Shukir Muhammed Amin FRCP(Glasg)Wikimedia CommonsCC BY-SA 4.0


▌シリヌズビザンツ文明に孊ぶ生き方
第1郚「コンスタンティノヌプルで暮らす」
#1なぜビザンツ垝囜は千幎続いたのか― 千幎垝囜の人々が倧切にしおいたもの ―
#2䞖界最倧の郜垂に䜏むずいうこず― コンスタンティノヌプルはどんな街だったのか ―
#3ビザンツ人の家はどんな家だったのか― 千幎前の「普通の暮らし」をのぞいおみる ―
#4垂堎では䜕が売られおいたのか― 千幎前のコンスタンティノヌプルを歩く ―
#5皇垝ずは䜕者だったのか― ビザンツ人が芋た「地䞊の秩序」―本蚘事
※以䞊で第郚は終了です。


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