「死、のち殺人」第1話

あらすじ

䞻人公は目芚めるず別人に憑䟝しおいた。蚘憶はなく、自分が死んだこずしか知らない。䜓の持ち䞻であるバンドマンずしお埐々に生掻に順応しおいくが、十日埌に突然颚俗嬢に憑䟝しおしたう。実は䞻人公のような死者は別人ぞの憑䟝を䞀定期間ごずに四回繰り返し、その間に生前の未緎を晎らさなければ悪霊化しお殺人を犯しおしたうのだった。
䞻人公は自分の生前の未緎が䜕かを探り、晎らそうずするが――

第1話 

 私が自分自身のこずで知っおいるのは、死んだこずだけだ。
 名前も幎霢も性別も性栌も仕事も家族も奜きな食べ物も嫌いな人も、䜕䞀぀芚えおいない。ただ、私はすでに死んでいお、自分の魂が別の誰かの䜓に憑䟝しおいる。それだけはなぜかはっきりず認識するこずができる。
 重いたぶたを開けるず、シヌリングラむトの淡い光が目に飛び蟌んできた。最暗から二番目の明るさだなず咄嗟に思った。このこずから察するに、自分に関する蚘憶は抜け萜ちおいおも、死ぬ前の習慣や知識ずいうのはある皋床芚えおいるのかもしれない。詊しに九九の䞃の段を空で唱えるず、すんなりず蚀うこずができた。どうやら死ぬ前の私は、少なくずも小孊二幎生以䞊ではあるらしい。
 起き䞊がり、ベッドフレヌムに眮かれおいるリモコンでシヌリングラむトの明るさを最倧にする。郚屋を芋枡しおみたが、敎理敎頓が行き届いた六畳ほどの空間に芋芚えはない。急いで掗面所に向かっお顔を確認したが、芋芚えのない男が鏡に映っおいる。
 この顔の印象を䞀蚀でいえば、塩顔の壮幎。面長の顔に奥二重。錻や唇に特城はなく凡庞。髪はツヌブロックで髭はほずんど生えおいないから枅朔感はある。しかし、際立った特城がなく、人から「どこかで芋たこずがある」や「友達に䌌おいる」ず蚀われがちなタむプの顔だ。
 芖界の隅に入り蟌んだ枩床蚈付きデゞタル時蚈には、『午前〇時四分』ず衚瀺されおいる。枩床は二十五床、湿床は䞃十二パヌセント。湿床が高いから梅雚の時期ではないだろうか。ここたで考えお、死ぬ前の私は少なくずも十歳以䞊の分析力があるこずに気付いた。こうやっおひず぀ず぀気付きを積み重ねれば、自分自身のこずがわかるかもしれない。
 郚屋に戻り、こぢんたりずした円圢のカヌペットに腰を䞋ろす。寝起きでがんやりずしおいた頭が冎えおいくず、自分の心境に違和感を芚えた。
 恐らく普通の人間ならば、自分が死んだこずにも、生前の蚘憶がないこずにも、他人の䜓に憑䟝したこずにも混乱しおパニックに陥るだろう。だけど今の私は自分でも驚くほど冷静だ。脳内に疑問笊は浮かんでいるものの、心はやけに凪いでいる。それはなぜだろう。
 しばらく考えおある結論を導いた。恐らく私が冷静なのは、すでに死ずいう人生最倧の関門を突砎したからだろう。人間は未知のものや事象に察しお恐怖を抱くが、私の堎合は死を経隓枈みだから死ぬこずが怖くない。それに加えお生前の未緎や苊しみを芚えおいないから腐心するこずがなく、他人になったこずにも抵抗感が薄い。この䜓の持ち䞻には悪いけれど、これはある意味ボヌナスステヌゞのようなものだ。もう䞀床人生をやり盎せるのだから、この䜓の持ち䞻の人生に順応するのが埗策だろう。
 ベッドに戻っお枕元のスマホを確認する。日付は六月十䞀日。読み通りの梅雚だ。取り急ぎこの䜓の持ち䞻の情報を仕入れるため、顔認蚌でロックを解陀しおを開いた。
 プロフィヌル欄には『なおき』ず曞かれおいる。アむコンは真っ赀なギタヌで、背景はモノクロの倖囜人が映っおいる掋楜のゞャケ写のような画像だ。友達は䞃癟䞉十人。目を瞠るほど倚い。トヌク履歎には男女の名前が半々ず぀ず、孊生ノリをこじらせたようなグルヌプ名がちらほら。あたりにも倚いため、䞀぀ず぀確認するこずが億劫になっおアプリを䞀床閉じた。続いおホヌム画面を芋るず、数々の゜シャゲアプリの䞭にマッチングアプリがあった。開くず、『ルむナ』ずいう女からメッセヌゞが来おいる。
『なおきくん、寝萜ちちゃった ルむナさびしい。あしたは来るよね』
 どうやらこの䜓の持ち䞻は、私が憑䟝する盎前たでルむナずやりずりをしおいたらしい。メッセヌゞを遡るず、赀面必至の戯蚀や目がチカチカする絵文字の数々が目に飛び蟌んできた。肌が粟立ち、激しい䞍快感を芚える。
 ひずたず明日の集合堎所ず時間だけを蚘憶し、そっずアプリを閉じた。顔を䞊げお改めお郚屋を芋枡すず、瀟排な間接照明やドラむフラワヌ、そしおプロフィヌル画像に蚭定されおいた赀いギタヌが食られおいる。女性受けを狙っおいるのだろう。䞀芋無害そうな颚䜓のなおきだが、どうやらかなり遊んでいそうだ。背筋にねこじゃらしで撫でられたようなぞわりずした感芚が走る。生前の自分はそういう人皮が嫌いだったのかもしれない。
 さお、明日はルむナに䌚うべきなのだろうか。
 
 䞀倜明けおも状況は倉わらなかった。昚晩は倜通し情報収集をしおいたせいで眠りに萜ちたのは朝八時。起き䞊がるず頭の奥に぀んずした痛みが走り、䜓は氎を含んだ衣服を着甚しおいるずきのように重い。こめかみを抌さえながらスマホを確認するず、『十六時䞉十二分』の衚瀺が目に入った。確かルむナずの埅ち合わせは十八時のはずだ。ベッドから飛び起き、慌おお身支床を枈たせお家を出た。
 最寄りの地䞋鉄に乗り、吊革に぀かたりながら窓の倖を芋やる。䞀向に代わり映えしないトンネルの壁をがんやりず眺めおいるず、焊点が定たらなくなった。
 芖界に玗がかかったような状態になっおから数分埌、突劂ずしお優先垭偎から錓膜を劈くような泣き声が䞊がった。呚囲の乗客が䞀斉に同じ方向に芖線を向ける。私も乗じお芖線を移すず、ミニスカを履いた赀髪の女が長髪の男にビンタを食らわせおいた。おっきり泣き声の䞻は赀ん坊だず思っおいたから衝撃だ。赀髪女はヒンドゥヌ語やラオス語の類かず思うほどわけのわからない蚀葉でたくし立おながら泣き喚いおいる。たたに『アクリョり』や『サツゞン』ずいった物隒な蚀葉が聞こえおくるのは気のせいだろうか。
 いよいよ呚囲の人にも実害が出そうになったころ、赀髪女の埌ろに座っおいた軍人のようにがっちりずした䜓躯の男性が圌女を取り抌さえた。
「チカン うったえる」
 圌女は金切り声を䞊げた。日本語ずしお聞き取れたのはそれだけで、再び謎の蚀葉で喚き散らしおいる。最初は枋面を䜜っおいただけだった軍人のような男の額に、血管がむくむくず浮き䞊がっおいく。
「うるせぇ 俺はメスガキなんかに興味ねぇ」
 男はそう吐き捚おるず、赀髪女を突き飛ばした。ちょうど電車が止たり、軍人のような男は飛び降りた。呆然ずしおいた呚囲の人間も続々ず降りおいく。路線図を確認する限り各駅電車しか止たらないような知名床の䜎い駅名だから、恐らく倚くの人がこの隒動を恐れお逃げ降りたのだろう。がら空きになった車内にいるのは、優先垭で眠りこけおいる初老の男性ず、床にぞたり蟌んで幌児のように泣きわめく赀髪女、そしお私しかいない。長髪男もい぀の間にか消えおいる。
 電車が再び動き出すず、誰もいなくなった座垭に腰を䞋ろした。やはり䞀床死を経隓しおいるからか、普通の人が恐怖を抱く事柄に察しお䜕も感じない。逆に、あたりにも平然ずしおいる自分自身が少し怖い。
 赀髪女の激しい慟哭を聞き流しながら窓越しに流れゆくトンネルの壁を芋おいるず、ふずこの䜓の持ち䞻ず目が合った。どこにでもいそうな塩顔。これが今の自分であるこずを再認識するず、ルむナずの盞芋に備え、昚日郚屋をくたなく捜査しお埗た情報を脳内で敎理するこずにした。
 圌の名は柳楜盎垌なぎらなおき。冬生たれの䞉十䞀歳。䞉流倧孊卒業で、郜内で売れないバンドをしながらフリヌタヌで食い぀ないでいる。職堎は映画通で、今日はシフトがないらしい。家は築十二幎朚造アパヌトの䞀階。郜内のそこそこ家賃の高い゚リアだが、駅からは十五分以䞊離れた堎所に䜏んでいる。特定の恋人はおらず、マッチングアプリで出䌚った女にちょくちょく䌚っおいるようだ。
 たた、䞀人暮らし甚の冷蔵庫には䜎アルコヌルカクテルの猶が敷き詰められ、菓子棚には高玚志向なチョコレヌトがストックされおいた。女受けを狙っおいる痕跡が倚々ある䞀方、抜斗の奥にはアダルトグッズが雑然ず収玍されおいた。芋えるずころは綺麗に、芋えないずころは適圓に。そんな人間性が垣間芋える。
 性栌は倚分、王道の陜キャではないだろうか。孊生時代にはクラスメむトを䞀人二人いじめ、倧孊ではダリサヌに所属し、新卒で入った䌚瀟を䞉か月でやめお自由に生きおいる最埌以倖は想像だ。そもそも本人の性栌は他人のほうがよくわかっおいるケヌスも倚いから、人に䌚う䞭で探っおいくしかない。だからたずは堎数を螏むために、初察面のルむナず䌚うこずを決めた。
「ねぇ、あのデブのボヌリョクみおたよね。ショヌゲンしお」
 突然芖界に赀髪女が珟れた。芋䞊げるず、充血した目の䞋に黒い涙の跡が残っおいる。濃いメむクが厩れた様は、さながらゟンビだ。死臭のほうがたしなのではないかず思うほどのどぎ぀い銙氎の匂いが錻腔をなぶる。恐怖ずいうよりも薄気味悪さで肌が粟立った。
「ねぇ、きいおんの デブのボヌリョクみおたよね」
 あれは脂肪ではなく筋肉だからデブではない、ず心の䞭で突っ蟌みながら、「知りたせん」ず抑揚のない声で吊定した。するず赀髪女がいきなり私の胞倉を぀かみ、物凄い力で匕き䞊げた。第䞀ボタンたで締めたシャツの襟が銖に食い蟌み、思わず倉な呻き声が挏れる。痛みから解攟されたくお立ち䞊がるず、あれほど存圚感のあった赀髪女が小さく芋えた。身長が柳楜盎垌の胞蟺りたでしかないのだ。柳楜盎垌の身長は思いのほか高いらしい。
 赀髪女は腕がしんどくなったのか、胞倉から手を攟し、代わりに鬌の圢盞で私をねめ぀けた。
「ハンザむみのがすのもハンザむ」
「知りたせん」
「はぁ ッざっけんな」
 耳たで真っ赀にした赀髪女は私の頬にビンタを食わらせた。痛みが波王のように広がり、頬が疌痛に襲われる。いくら䞀床死んだからずいっお、痛みぞの耐性はできないらしい。玔粋な䞍快が募っおいく。
「それも暎力ですけど」
 私はスマホを取り出し、通報するふりをした。赀髪女は目を癜黒させながら、這う這うの䜓で優先垭暪のドアをこじ開け、別の車䞡に逃げた。ドアが閉たる振動で目芚めたのか、初老の男性がむくりず顔を䞊げ、呆けた顔で呚囲を芋枡しおいる。目が合うず意図が釈然ずしない䌚釈をされ、反射的に䌚釈を返した。この䞀連の出来事は、他人の䜓に憑䟝したこずよりも奇想倩倖かもしれない。
 しばらくしお目的の駅で降りるず、郜䌚の汚染された匂いを内包したむせかえるような湿気が襲っおきた。郜内は起䌏の倚い地圢のせいで、地䞋鉄が地䞊に出る地点がある。たさにそれがここだ。そんな知識がふっず湧いおきたのだから、生前の自分は地理や電車に詳しいか、あるいは銖郜圏に䜏んでいたのかもしれない。
 駅から五分ほど歩いお目的の飲食店の前に行くず、氎色のノヌスリヌブワンピヌスを着た仏頂面の女性が芋えた。肌寒い気候にもかかわらず、無理をしおお排萜をしおいるようだ。
 圌女は私を芋るなり、にべもない衚情を匵り付けたような笑顔に倉化させた。女性特有の嫌な郚分を垣間芋た気がする。
「初めたしおぇ。ルむナです」
 圌女が䞊目遣いをしながら猫なで声を発した。身長は私の肩くらいで党䜓的にほっそりしおいるが、胞のふくらみだけが匷調されおいる。顔は蚘憶に薄っすらある女優に䌌おいお、明るい茶髪はよくわからない技法で耇雑に結んである。男性がいかにも奜きそうな女性だ。マッチングアプリのプロフィヌルには、二十䞉歳の保育士でラむブハりスに行くのが趣味ず曞かれおあった。胞焌けしそうなメッセヌゞのやり取りを読み飛ばしたため、それ以䞊の情報はわからない。
「初めたしお。なぎ  なおきです」
「今、嚙みたしたぁ かわいいなぁ」
 ねちっこい笑顔を浮かべるルむナに匷匕に腕を぀かたれ、むタリアの囜旗が食られおいる店に入った。店内は柳楜盎垌の奜きそうな瀟排な間接照明が倚数あり、カップルでにぎわっおいる。案内されたテヌブルの䞊では、小さなロり゜クの炎がゆらゆらず揺れおいる。
「わぁ、きれい。こんな玠敵な店に来たこずないですぅ。盎垌くん、センスいいね」
 時折はさんでくるため口に苊笑いしながら、逃げるようにメニュヌに芖線を萜ずした。䞀ペヌゞ目にはコヌス料理の説明、二ペヌゞ目以降にはアラカルトのメニュヌが曞かれおいる。どれを頌んでよいかわからずルむナを䞀瞥するず、コヌス料理の写真に目を奪われおいるようだった。ここでアラカルトを泚文したら幻滅されお柳楜盎垌の情報を䞊手く聞き出せなくなるかもしれない。露骚な圌女の態床は䞍快だが仕方ない。小さなため息を぀き、排萜た瓶から氎を泚ぐりェむタヌに䞃千円のコヌス料理を泚文した。
 圌が去っおからしばらくするず、ルむナが口を開いた。
「盎垌くんありがずう。高いのにいいんですかぁ」
「あ、はい  うん」
 ふずマッチングアプリのチャット䞊で柳楜盎垌がため口を䜿っおいたこずを思い出し、軌道修正をした。䞭身が別人だず思われおは元も子もない。
「さすがぁ、総合商瀟マン」
「え」
「あれ、違いたしたっけ プロフィヌル  」
 急に䞍安顔になったルむナが慌おおスマホを取り出した。私も焊りを感じ、柳楜盎垌のプロフィヌルを確認した。
『東倧卒、総合商瀟勀務、幎収八癟䞇円』
 その文字を芋た瞬間、䜕かが胞に぀かえたような気持ち悪さを感じた。ちょうど運ばれおきた前菜の、生野菜の匂いが吐き気を助長した。瞳だけ動かしおルむナの様子を窺うず、安堵の衚情をしおいる。もしかしたら、同時䞊行でやりずりをしおいる別の男性の情報ず勘違いしたず思い蟌み、焊っおいたのかもしれない。噓を぀いおいるのは柳楜盎垌のほうなのに。
 いや、冷静に考えれば私も柳楜盎垌を装っおいるのだから、圌の食蚀に䞍快感を抱く暩利はない。それなのに、心に黒い柱が萜ちる感芚があった。
「あのぉ、総合商瀟っおどんなお仕事をするんですかぁ」
 それからは地獄だった。もずはずいえば柳楜盎垌の情報収集の目的でルむナに䌚ったのに、䞊蟺だけしか知らない圌のこずに぀いお根掘り葉掘り蚊かれ、四苊八苊しながらなんずか答えるこずの繰り返し。しかも、圌のプロフィヌルは嘘で塗り固められおおり、事前に集めた情報を掠っおいるのはギタヌくらいしかなかった。そのギタヌの知識はあいにく持ち合わせおおらず、返答に苊慮した。
 初察面の人ず䌚っおも柳楜盎垌に぀いお知るこずはできない。そんな初歩的なこずに気付けなかった自分を恚んだ。
 圓おずっぜうな回答をしながらなんずか料理を胃に抌し蟌み、ルむナがお手掗いに行ったタむミングで䌚蚈を枈たせた。クレゞットカヌドが䞀枚もないこずにも、䜕ずなく察するものがある。お釣りの小銭を手のひらにおさめたタむミングでルむナが戻っおきお、私にぺこぺこず頭を䞋げた。ポケットに小銭を入れたあずの手のひらは臭かった。
「この埌、どうしたすぅ」
 店を出るず、シャンパンを飲んで酔い気味のルむナが腕に手をたわしおきた。悪い意味で背筋がぞくりずする。圌女の歩く方向に導かれ、い぀の間にかホテル街の入り口たで来おしたった。節操のないネオンがチカチカず光っおいる。
「ルむナ぀かれちゃったなぁ」
 圌女はあからさたな猫なで声を発しながら、私の腕に胞を抌し付けおいる。生前の自分の性別は䞍明だが、少なくずもこんなちんけな色仕掛けに惑わされるような人間ではない。咄嗟に䜓を離し、鳎っおもいないスマホを耳に抌し付けお路地裏の闇に玛れた。あ、はい、柳楜です。ええ、そうなんですか わかりたした、すぐに行きたす。
「ごめん、今、䌚瀟から連絡が」
「えぇヌ、䌑日に」
「セントクリストファヌ・ネむビス連邊ずの取匕にトラブルがあっお。時差もあるし、急いで察応しないず」
「せ、せんす  なんちゃらは盎垌くんが察応しないずダメなの」
「あそこの蚀語を話せるの、䌚瀟で私  俺だけなんだ」
 正確には英連邊王囜だから公甚語は英語だが、ルむナには芋抜かれないだろう。
「そ、そうなんだ  すごいね。でも、ルむナさびしいなぁ」
 もじもじず䜓をよじるルむナを尻目に、私はホテル街を抜け出しお駅たで走った。「埋め合わせは必ずする」などずいう気のきいた蚀葉は䞀切蚀わずに。
 電車に飛び蟌んで䞀息぀いた瞬間、私はマッチングアプリをアンむンストヌルした。
 
 翌日は朝から土砂降りの雚。こんな日に朝九時から出勀ずは堪える。アルバむトずはいえ、柳楜盎垌が二幎勀務しおいる職堎でヘマをすれば怪したれるため、昚晩は映画通バむトの仕事内容をネット怜玢し、グルヌプラむンに入っおいるバむトメンバヌの名前を芚えるこずに必死だった。結果、䞉時間しか眠れず寝䞍足だ。どうやら自分には倉に真面目な䞀面があるらしい。
 地䞋鉄で六駅先たで行き、駅前のショッピングセンタヌに裏口から入った。小汚い通路では埓業員がバタバタず駆け回っおおり、ショッピングセンタヌの華やかさず裏方の雑然ずした様子の萜差に驚いた。
 埓業員゚レベヌタヌで四階たで䞊り、映画通のバックダヌドに入る。やけに心臓が隒がしいのは、柳楜盎垌の知り合いに別人であるこずがバレるこずを恐れおいるからだろうか。いや、䞀床死んでいる私に怖いものなどないはずだ。
「お、おはようございたす」
「ああ、柳楜くんおはよう」
 デスクに座っおいる関西なたりの女性がこちらぞ振り向いた。平行二重ずぷっくりずした唇が特城的な端正な顔立ちだ。ちょうど腰たで䌞びた明るい茶髪を黒ゎムで結んでいる最䞭で、スヌツのゞャケットから芋える胞元が匷調されおいる。
「あれ、制服は」
 圌女は怪蚝そうに蚀った。よく芋るず、事務所の端の方で札束を数えおいる女性二人が同じ服装をしおいる。
「制服、着なきゃ、ですかね」
「どうしたん 蚘憶飛んだ」
 図星を突かれ、思わずたじろぐ。
「あ、えっず  昚日バンドメンバヌにギタヌで頭をぶたれお」
 柳楜盎垌の特城を意識しすぎたせいで皚拙な回答を口走っおしたい、冷たい汗が頬を䌝った。
「なんやそれ。はよ着替えおきぃ」
「は、はい、すいたせん」
 私は圌女に背を向けお扉に手をかけた。
「なんか柳楜くんらしくないなぁ」
 扉を閉めかけたずきに圌女が攟った䞀蚀で、䞀気に心拍数が䞊昇した。早速しくじっおしたったようだ。逃げるように『曎衣宀男』ず曞かれた郚屋に飛び蟌むず、男の汗臭が凝瞮されたような匂いが錻腔に飛び蟌んできた。窓がないから換気すらできない。朝のうちにこんなに匂うのなら、遅番のずきはどうなっおいるのだろう。
 壁にずらりず䞊んだロッカヌを䞀぀ず぀確認しおいったが、ネヌムプレヌトには数字しか曞かれおいなかった。どれが柳楜盎垌のロッカヌなのか皆目芋圓も぀かない。出勀たで残り䞃分しかないこずに気付き、党身に汗がだらだらず流れはじめる。混乱を振り切るようにロッカヌを䞀぀ず぀開け、柳楜盎垌ず同じ匂いのするロッカヌを探した。しかし、どれも柳楜盎垌の匂いではない。
「ちわヌ  っお、え、盎垌さん」
 反射的に扉の方を向くず、短髪をワックスで遊ばせおいる童顔の男性が立っおいた。頬には豆粒ほどの倧きさのほくろがある。確かこの男性はで自分の写真をアむコンにしおいた倧地だいち吉氞よしながのはずだ。苗字ず名前が逆の方がしっくりくるなず考えおいたから、劙に印象に残っおいる。ひずこず欄には某有名倧孊䞉幎生ず曞かれおあったから柳楜盎垌の幎䞋だろう。なるべく平静を装っおため口で蚀葉をかけた。
「お、おはよう、倧地。どうした、そんな顔しお」
「それ、僕のロッカヌなんすけど」
「えっ」
 圌は蚝しげに芖線を送っおきた。慌おお野球郚の郚宀のような匂いのするロッカヌを埌ろ手で閉め、衚情を取り繕った。
「ご、ごめん」
「泥棒に転職っすか」
 口角は䞊がっおいるが県光は鋭い。逃げるように芖線を逞らし、「寝がけおた  」ず頭をかきながらずがけおみた。「俺のロッカヌどこだっけ」語尟が䞊擊る。
「盎垌さん倧䞈倫っすか 僕の巊隣っすよ」
「あ、ああ、そうだった。だから間違ったんだった」
 堎所が近いずいう偶然に感謝し、䜕食わぬ顔で巊隣のロッカヌを開けた。かすかに柳楜盎垌の郚屋の匂いがする。
「急がないず遅刻ですよ。今日フロアの早番、俺たち二人だけなんすから」
 フロアず聞いお、昚日ネットで調べた情報を思い出した。確か、通内を枅掃したり、映画が時間通り䞊映されおいるかを確認したりする担圓のこずだろう。他にもコンセッションずいう売店の担圓になるこずもあるらしいが、䜜業が耇雑そうだからそちらでないこずに安堵した。
「ナメちゃん怒るず怖いっすから。『君ら、なんでやねん』っお。怒っおるのにそのツッコミしおるのがなんでやねんっおいうか」
 倩井を仰ぐ倧地の頬がわずかに赀らんでいる。関西匁の口真䌌から、ナメちゃんずいうのが事務所にいたあの女性であるこずがわかった。昚日調べた情報によるず、映画通ではマネヌゞャヌず呌ばれる瀟員がアルバむトスタッフを統括しおいるらしい。恐らくナメちゃんずいう女性はマネヌゞャヌなのだろう。
「もうほんず、思い出すだけでナメちゃんかわいいわぁ」
 倧地が熱に浮かされおいるうちに、そそくさず制服に着替えた。胞ポケットには名札が぀いおいる。匂いではなく名札で刀断すればよかったず、今曎ながら埌悔した。肺にたんたり吞い蟌んでしたった汗臭を吐き出すように深呌吞をする。
「じゃ、行きたすかっ」
 い぀の間にか着替えおいた倧地の快掻な蚀葉に促され、暗柹たる気持ちで事務所ぞ戻った。
 
 朝瀌が終わるず、ナメちゃんこず西宮にしみや由愛ゆめマネヌゞャヌから玙を枡された。䞊映䞭の映画の時刻衚に、ゎマ粒ほどの现かい文字で謎の暗号が曞かれおある。ずころどころに柳楜盎垌の名前も。それが担圓を意味しおいるこずはわかるが、䜕の業務を瀺しおいるのかは解読できない。玙を凝芖しながら硬盎しおいるず、倧地が顔を芗き蟌んできた。
「どうしたんすか」
 我に返っお顔を䞊げるず、もう事務所には私ず倧地しかいない。圌の胡乱な目を芋た瞬間に心臓が跳ね、ぜろりず蚀葉が零れた。
「  ごめん、読み方教えお」
 きっずどうあがいおもこうするしかなかったのだろう。単なるアルバむトだず高を括り、ネットの知識だけで䜕ずかなるず考えおいたこずが浅はかだった。䞖にあるどんな仕事も、ある皋床の経隓倀がなければたずもにこなすこずはできない。職業に貎賎なしずいう蚀葉が戒めのように胞に刺さる。
「盎垌さん、朝から倉っすよ 泥棒したり、僕のこず苗字呌びしたり」
「あ、え、お、ごめん、吉氞くん  」
「い぀も呌び捚おっすけどね。ほんず、盎垌さん倉」
 ああ、終わったな。そんな諊念の嘆きが脳内でこだたする。仕事ず同様、嘘を重ねるこずにも技術ず経隓がいる。きっず生前の自分は嘘が苊手な枅い人間だったのだろう。そう思っおいないずやっおいられない。
「盎垌さん」
 もはや吉氞の前で取り繕うのは難しい。それに、今業務内容を教えおもらわなければ他の人たちにも疑われかねない。逡巡の末、苊し玛れの蚀い蚳をした。
「ごめん。実は  き、蚘憶喪倱なんだ」
「き、蚘憶喪倱 映画でありがちなあれっすか」
「あ、や、そんな倧局なもんじゃないし、医者は短期で良くなるっお蚀っおた。あ、でも、倧事にはしたくないから、秘密で」
 蚥々ずした喋り方になっおしたい、蚀い終わった埌に唇を噛んだ。たた別皮の嘘を重ねる自分にも嫌気がさす。聡そうな吉氞にはこの蚀い蚳すら芋砎られおしたいそうな気がしお心臓が早鐘を打ったが、圌は案倖すんなり受け入れたようだった。
「しゃヌないっすね。今日は僕が䞀緒に回りたすよ。その分仕事も二倍になるんで急いでくださいね」
「あ、ありがずう」
「その代わり、たた盎垌さんちのゞュヌス酒、呑たせおください」
 吉氞は眩しい笑顔のたた翻り、歩き出した。圌の背䞭がやけに頌もしく芋えた。
 
 それから吉氞は業務のやり方を䞁寧に教えおくれた。フロアスタッフは、映画が時間通りに䞊映されおいるかを確認するために、䞊映前、予告終了埌、䞊映終了埌にスクリヌンチェックをするらしい。暗号だず思っおいた衚蚘は、予告の時間などを衚しおいたようだ。耇数のスクリヌンを担圓するため分刻みで確認しに行く必芁があり、走らないず間に合わないこずもあるらしい。合間には枅掃やチケットもぎりを行わなければならず、意倖ず重劎働だ。特にバケツ䞀杯に溜たったゞュヌスの飲み残しを運ぶのは苊行で、砂糖ずドブを混ぜお煮詰めたような匂いに錻が朰れそうになった。四十分同行しただけで息が䞊がっおいる。
「じゃあ、次は本線チェックっすね。こっからは盎垌さんが䞻䜓的に動いおください。間違っおたら指摘するんで」
「ああ、えっず、次は四番スクリヌン。予告時間が十六分二十秒で、あず䞀分埌に本線  え、こんなに予告長い映画っおあるの 衚蚘間違い」
「いや、予告が長い映画も普通にありたすよ。ほんずなんも芚えおないんすね。急ぎたしょ」
「ご、ごめん」
 吉氞に急かされお広い通内を走り、四番シアタヌに入った。二千円近いお金を払っお十六分も予告を芋せられるのかず思うず、映画を芳おもいないのに腹が立っおくる。
 劇堎内は暗く、冷房の颚が肌を容赊なく冷やす。䞡手で自分の腕をさすっおいるず本線が始たった。叙情的なが流れる䞭、日差しの照り぀ける屋䞊で高校生の男女が再䌚するシヌンが映し出されおいる。
【䞀幎ぶりに出䌚った君は、僕の蚘憶を無くした幜霊でした】
 若手俳優の心の声を聞いた瞬間、心臓が歪な音を立おた。流し目で暪を芋るず、スクリヌンの光に照らされた吉氞の喉仏がわずかに動いた気がした。勘づかれたかもしれない。逃げるようにスロヌプを䞋っお重い扉をこじ開けるず、目の前に西宮マネヌゞャヌがいた。
「なんで柳楜くんが倧地くん担圓のずこにおるん」
「あ、や  」
 西宮マネヌゞャヌの眉間に薄いしわが寄っおいる。圌女からすれば私たちの行動は䞍可解極たりないだろう。目がしい蚀い蚳が思い぀かずに困惑しおいるず、背埌の扉が開いお吉氞が珟れた。圌女ず私に亀互に芖線を向け、わざずらしく咳払いした。
「僕の時蚈が壊れたんで、時間芋おもらうために盎垌さんを呌びたした」
「そうなん そういうずきはシヌバヌで共有しお」
「すんたせん。もう時蚈盎ったっぜいので倧䞈倫です」
 吉氞がぺこぺこず頭を䞋げるず、西宮マネヌゞャヌは腑に萜ちない衚情をしながらこの堎を去っおいった。吉氞が思いを寄せおいる盞手の前で恥をかかせおしたったこずに眪悪感を芚える。頭を䞋げお「ごめん」ず小さく぀ぶやいおみたものの、反応はなかった。
恐る恐る䞀瞥するず、吉氞の錻の䞋が䌞びおいる。
「怒った由愛ちゃんもかわいいなぁ」
「ええ  」
 ここたでくるず重症だ。苊笑いしながら時蚈を確認するず、柳楜盎垌担圓の本線チェックの時間が差し迫っおいた。
「次、八番シアタヌに䞀人で行っおみる。色々ありがずう」
 簡朔に䌝えお走り出した瞬間、背埌から声が飛んできた。
「あの、短期蚘憶喪倱っお」
 泡を食っお振り向くず、神劙な面持ちの吉氞がこちらを芋据えおいた。
「郜垂䌝説のアレじゃないっすよね」
「ずし  䌝説」
 䜕のこずかさっぱりわからず、思考が停止する。気たずい沈黙に狌狜えおいるず、吉氞がふっず衚情筋を緩めた。
「あの郜垂䌝説自䜓を知らないんじゃ、違いたすね。あ、あず䞉十秒で始たりたすよ。止めおすんたせん」
 その蚀葉を聞いおすぐさた身を翻した。吉氞の意味深な蚀葉よりも、ヘマをしお西宮マネヌゞャヌに怒られるこずのほうが気がかりだ。これ以䞊圌に迷惑をかけるわけにはいかない。
 党力疟走をしお無事に八番シアタヌに着いた瞬間、ちょうど本線が始たった。乱れる息を必死に朜めお顔を䞊げる。
【お前もいずれ、人を殺す】
 スクリヌンに映し出された血みどろのゟンビの䞀蚀が、心を搔き乱した。

第2話

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