芸術と精神医学(7): 天才?奇人?狂人?芸術家サルバドール・ダリを精神医学的に考察!【前編】
皆様、こんにちは!鹿冶梟介(かやほうすけ)です😆
人気シリーズ「芸術と精神医学」も遂に第七回目になりました!
このシリーズを始めてから、有名芸術家たちの生い立ちや人生を調べてみると、実に多くの芸術家が精神的な問題を抱えていることがわかりました。
しかし、それはあくまで資料をもとに芸術家のプロフィールを分析した結果であり、作品そのものがが「病んでいる」と感じることはそう多くありません。
ところが世の中にはその作品自体に異常性を感じる「奇作」と呼ばれる芸術作品もあります。
小生の場合、「奇作」と聞くとある作品が思い浮かびます...。
それは中学生の頃、小生が何気なくパラパラと美術の教科書をめくった際に目にしたこの絵画です。

...はい、ご存知「記憶の固執」ですね(図1)!
作者はサルバドール・ダリ。
荒涼とした大地に、ぐにゃりと変形した時計。
そして大地に横たわる謎めいた白い生物...???
このシュールな絵画を目にしたとき、中二心をくすぐられた小生は、「この作者はいったいどんな人物なのだろう?」と想像を巡らせたものです。
今回のnote記事では、この「記憶の固執」の作者であるシュルレアリスムの巨匠、サルバドール・ダリについて精神医学的な視点から解説いたします!
【サルバドール・ダリとは?】

本名はサルバドー・ドメネク・ファリプ・ジャシン・ダリ・イ・ドメネク(Salvador Domènec Felip Jacint Dalí i Domènech)。
1904年生まれ。
スペインのカタルーニャ出身。
無意識の奇妙な世界をそのままの形で描くシュルレアリスムを代表とする芸術家。
代表作として、「記憶の固執」「ナルシスの変貌」「聖アントニウスの誘惑」などがある。
人間の本能を抉るような作品だけでなく、その奇抜なファッション・行動は奇人・変人と評されている。
トレードマークはワックスでピンと上向きに立てられた口ひげ(図2)。余談だが”世界ひげコンテスト”には”ダリ髭部門”がある。
【ダリの生い立ちと生涯】

ダリ35歳時の写真(イケメン!)
奇人・変人と言われたダリがどのような人生を送ったのか…、まずはその生涯について簡単にまとめました。
(ただしスペイン帰国後〜晩年については、大幅に省略いたしました)
<生い立ちと初期の活動>
1904年(0歳):スペインのカタルーニャ地方にあるフィゲラスに生まれる。父親は公証人、母親も商家出身であり経済的には非常に恵まれていた。
1914年(10歳):聖マリア修道会学校に進学。
1918年(14歳):フィゲラスの市立劇場作品が展示される。
1921年(17歳):マドリードの王立美術アカデミーに入学。このとき知り合ったルイス・ブニュエルとともに映画「アンダルシアの犬」を作成(1928年)。在学中、教授を批判し学生の反乱を招いたとして処分を受けた。
1925年(21歳):バルセロナのダルマウ画廊で最初の個展を開く。
1926年(22歳):ピカソに会うためにパリを訪れ、キュビスムやシュルレアリスムに影響を受ける。
<シュルレアリスムとの出会いと別れ>
1929年(25歳):「大自慰者」を作成。シュルレアリスム運動に参加。のちに妻となるガラ(エレーナ・イワノヴナ・ディアコノワ)と出会う。ちなみにこの時ガラはポール・エリュアールの妻であった。
1930年(26歳):「偏執狂的批判的方法*(Paranoiac Critic)」を提唱(ただしこの名称は後に決別するアンドレ・ブルトンによる命名)。
*夢や妄想などの錯乱状態で連想されたイメージを客観視し、認識可能な状態にする方法としてダブル・イメージを多用する。
1931年(27歳):「記憶の固執(Persistence of Memory)」を制作。代表作となり、シュルレアリスムの象徴として知られる。
1936年(32歳):「燃えるキリン」「茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)」「ロブスターテレフォン」を作成。
1937年(33歳):「ナルシスの変貌」を作成。後述するダブルイメージを完成させた作品と言われている。
1938年(34歳):ガラと結婚。シュルレアリスム運動の仲間たちと対立し除名される。その理由はダリの「ファシスト的思想」であったこの頃、ダリの作品に影響を与えたフロイトとロンドンで会う。
<国際的な成功とスペインへ帰国>
1940年(36歳):第二次世界大戦中、妻と共にアメリカへ移住。
1941年(37歳):ニューヨークで大規模な展覧会を開催。
1942年(38歳):自伝「サルバドール・ダリの秘められた生涯」を出版。
1947年(43歳):「ビキニの3つのスフィンクス」を作成。
1948年(44歳):スペインに帰国し、宗教や科学をテーマにした絵画制作を始める。
<晩年と死>
1974年(70歳):フィゲラスに「サルバドール・ダリ劇場美術館」を設立。
1982年(78歳):妻ガラが死去。その後、深い喪失感から創作活動が減少。
1984年(80歳):火災事故で重傷を負うが生還。
1989年(84歳):フィゲラスの自宅で心不全により死去。自身の美術館の地下に埋葬される。
【サルバドール・ダリの奇行】

cited from
https://www.theguardian.com/artanddesign/2016/jun/01/dali-exhibition-surreal-encounters-edinburgh
84歳で生涯を終えたダリですが、作品の奇抜さもさることながら、彼の言動は作品と同様に奇抜でした。
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