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簡単に、できるよりできないをこそ言えてしまうから

 可能性より不可能性のほうが見つけやすいので、考えれば考えるほどどんなことでも不可能に思えてくる。そして不可能性がまったくどこにもない物事はない。だからあらゆる物事は絶対にその不可能を隠すことはできない。

 何かを行う時に、できるかどうかを考える意味がないのは、このような前提による。そもそもどんな物事もどこかは不可能なのであり、そうであったとしても可能性は存在する。

 そういう意味で可能性とは即ち「不可能性を乗り越える」ことであり、やってみなければ分からない。その言葉は根性論でも考えなしでもなんでもなくて、むしろ考えるほどに見えてくる不可能性に屈するくらいなら、それを乗り越える「可能性の可能性」に向かって、物事を行うべきだということだ。

 可能性より不可能性のほうが見つけやすい。
 人は慎重な生き物である。
 そして考える癖がある生き物だ。
 思わず立ち止まってしまうその性質が自らの可能性の邪魔をしているなら、どこにでもある不可能性よりもなお、それを乗り越えられる可能性を探すことのほうが、よほど重要なのだと言えるだろう。

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