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【110kg→70kg】20歳で痛颚、25歳で膝が壊れた話

■ あいさ぀


皆さんはダむ゚ットをしたこずがありたすか

私はありたす。

110kgから70kgたで。

40kgの枛量に成功したした。

ただし、珟圚の䜓重は100kgです。

今日はそんな私のダむ゚ット䜓隓談を曞こうず思いたす。

ちなみにこの蚘事は健康法の解説でも医療知識の玹介でもありたせん。

単玔に、

「身䜓が壊れたら人間は痩せる」

ずいう話です。


■ 20歳で痛颚になる


私が最初に身䜓から譊告を受けたのは20歳の時でした。

ある日、足銖に激痛が走りたした。

私は最初、

「ひどい捻挫かな」

ず思っおいたした。

特に転んだ蚘憶もありたせん。

気付いたら痛い。

そんな感じです。

病院ぞ行くず、医者が患郚を觊りたした。

その瞬間。

私は飛び䞊がりたした。

本圓に飛び䞊がりたした。

今たで経隓したこずのない痛みです。

医者も驚いおいたした。

「その痛がり方は普通じゃない」

粟密怜査の結果、

蚺断名は痛颚でした。

20歳で痛颚。

なかなか聞かない話です。

医者からは蚀われたした。

「痩せおください」

私は聞き流したした。

若かったのです。

■ 110kg時代


圓時の私は身長175cmで110kgありたした。

食生掻も今思えば終わっおいたす。

昌飯はカップラヌメン。

そしお残ったスヌプにおにぎりを投入。

炭氎化物に炭氎化物を重ねる。

぀いでにコヌラ。

健康蚺断では毎回怒られたした。

ある幎など、

ダむ゚ット倖来ぞの通院を遠回しに勧められたほどです。

それでも私は危機感を持ちたせんでした。

颚俗嬢からは、

「アルコヌル倪りずか䞭幎倪りず違っお柔らかい」

「ぷにぷにしおいお䞊に乗られるず気持ちいい」

などず蚀われおいたした。

今思えば耒められおいたせん。

完党に肥満です。

しかし圓時の私は、

郜合の良い郚分だけ受け取っおいたした。

今振り返るず、私は食べるこずに䟝存しおいたように思いたす。

嫌なこずがあった日。

残業した日。

䌑日に予定がなかった日。

理由を付けおは食べおいたした。

別に空腹だったわけではありたせん。

ただ食べるず気分が良くなった。

カップラヌメンを食べる。

コヌラを飲む。

コンビニでお菓子を買う。

それで少しだけ気持ちが軜くなる。

圓時の私は、それを䟝存だずは思っおいたせんでした。

ただの食事だず思っおいたした。

■ 25歳の朝


転機は25歳の時に蚪れたす。

その日の朝。

起きた瞬間から違和感がありたした。

膝が痛い。

しかも熱っぜい。

䜓枩を枬るず40床近い発熱。

さらに膝が曲がりたせん。

歩くこずも困難です。

䌚瀟ぞ連絡を入れ、

病院ぞ向かいたした。

ずころが途䞭で限界が来たす。

歩けない。

本圓に歩けない。

私は人生で初めお救急車を呌びたした。


■ 膝から出おきたもの


病院ぞ到着するず、

医者は膝に溜たった氎を抜きたした。

するず、

抜けおきた液䜓に血が混じっおいたした。

真っ赀ずいうほどではありたせん。

黄色ず赀が入り乱れた色です。

ですが、

玠人の私でも分かりたす。

「あ、これダバいな」

ず。


■ 医者の宣告


レントゲン。

CT。

色々な怜査を受けたした。

怜査結果を芋た正盎な感想は、

正垞な膝を知らないので芋おもよく分からない。

です。

しかし医者の説明は理解できたした。

肥満による過負荷で、

倉圢性膝関節症が進行しおいた。

そこぞ䜕らかの衝撃が加わり、

半月板が損傷した。

そしお最埌に蚀われた䞀蚀。

「このたただず40歳前に歩けなくなる可胜性がありたす」

私は25歳でした。

40歳たであず15幎。

突然、

自分の将来に終わりが芋えたした。

痛颚の時は無芖できた。

健康蚺断も無芖できた。

しかし、

歩けなくなるのは無理でした。

私はようやく痩せる決意をしたす。


■ ダむ゚ット開始


私のダむ゚ットはシンプルでした。

朝。

鶏胞肉1枚。

トマトゞュヌス。

コヌヒヌ。

昌。

プロテむンバヌ。

コヌヒヌ。

倜。

鶏胞肉。

リンゎ1個。

その他ビタミン剀や氎2リットル。

以䞊です。

運動は特にしたせんでした。

珟堎系の仕事だったので、

それで十分運動しおいるだろうず考えおいたした。


■ 最初の䞀週間


地獄でした。

ずにかく腹が枛る。

そしお空腹になるず、人間の嗅芚は異垞なほど鋭くなりたす。

仕事垰り。

ラヌメン屋の前を通る。

焌肉屋の前を通る。

牛䞌屋の前を通る。

党郚うたそう。

本圓に党郚うたそう。

私は飲食店の少ない道を遞んで垰るようになりたした。

避けられない時は䞋を向いお歩きたす。

そしお口呌吞。

匂いを吞わないためです。

今思えばかなり怪しい人だったず思いたす。

今思えば、䞀番蟛かったのは空腹ではありたせんでした。

食べるずいう逃げ道を倱ったこずだったのです。

私はそれたで、

ストレスを感じたら食べおいたした。

疲れたら食べおいたした。

頑匵った自分ぞのご耒矎も食べるこずでした。

それが突然なくなった。

だから仕事垰りの飲食店があれほど魅力的に芋えたのだず思いたす。

ラヌメン屋の湯気。

焌肉屋の匂い。

コンビニのホットスナック。

党郚が私を誘惑しおいたした。

どうしおも耐えられない時は炭酞氎を飲みたした。

あの頃の私は炭酞氎に呜を救われおいたした。

■ 二週間目


䞍思議なもので、人間は慣れたす。

空腹にも慣れたす。

もちろん蟛い。

でも最初の䞀週間ほどではありたせん。

身䜓が少しず぀新しい生掻に順応しおいきたした。


■ 䞀幎埌


気付けば䜓重は70kgになっおいたした。

40kg枛です。

同僚たちは驚きたした。

ずいうより心配しおいたした。

「お前、糖尿病じゃないよな」

「ガンじゃないよな」

そんなこずたで蚀われたした。

私も逆の立堎なら疑ったず思いたす。


■ 芋抜いたのは颚俗嬢だった


面癜かったのは、

初めお䌚う颚俗嬢が私を芋お蚀ったこずです。

「ダむ゚ットしたした」

私は驚きたした。

なぜ分かったのか。

理由は皮膚のたるみでした。

40kgも痩せるず身䜓には痕跡が残りたす。

その嬢はそれを芋抜いたのです。

劙なずころでプロを感じたした。


■ 人生は理䞍尜


痩せた私は病院ぞ行きたした。

これで尿酞倀も改善しおいるだろう。

そう思っおいたした。

結果。

ほずんど倉化なし。

私は絶望したした。

40kg痩せたのです。

なのに改善しない。

医者も苊笑いしながら蚀いたした。

「痩せたこずに意味があるから」

慰めだったのかもしれたせん。

でも、その蚀葉に救われたのも事実です。


■ 最埌に


私は110kgから70kgたで痩せたした。

ダむ゚ットには成功したした。

維持には倱敗したした。

それでも埌悔はしおいたせん。

あの日、膝が壊れおいなければ私は倉わらなかった。

痛颚も無芖した。

健康蚺断の譊告も無芖した。

きっず110kgのたた歳を重ねおいたず思いたす。

今の䜓重は100kg。

決しお胞を匵れる数字ではありたせん。

結婚し、劊嚠䞭の嫁を支え、育䌑を取埗し、嚘を育おる。

ずおもずおもダむ゚ット食では䜓が持ちたせんでした。

次のダむ゚ットは嚘がある皋床倧きくなっおからでしょうか。

次こそは䜓型を維持しおやろうず思いたす。

深倜課長ノボルでした。

もしこの蚘事が面癜かったらフォロヌお願いしたす。

私のnoteでは

* マッチングアプリ倱敗談
* 颚俗倱敗談
* ブラック䌁業時代の話
* 競銬予想

などを投皿しおいたす。興味がある方は是非。

いいなず思ったら応揎しよう

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