余命1年で伝えたい事――大神神社の三ツ鳥居を見て思ったこと
大神神社の三ツ鳥居を見て思ったこと
私は、なぜか大神神社には毎年、年が明けると参拝を続けてきた。
特別な理由があったわけではない。
ただ、毎年そこへ行くことが、いつの間にか自分の中で当たり前になっていた。
その大神神社には、昔から気になっていたものがある。
三ツ鳥居である。
中央に大きな鳥居があり、その左右に小さな鳥居が付いている。
私は以前から、
なぜ三つなのだろう。
と、ずっと不思議に思っていた。
ところが今回、鳥居の起源について考え続け、ゾロアスター教の経典に出てくる「光輪」と、それが鳥の姿となって現れるワールガン鳥について調べているうちに、突然この三ツ鳥居がまったく別のものに見えてきた。
左右の小さな鳥居。
これは、翼ではないか。
そして中央の大きな鳥居。
これが鳥の本体ではないか。
そう見ると、三ツ鳥居全体が、まるで翼を広げた鳥、あるいは有翼光輪そのもののように見える。
しかも大神神社では、三ツ鳥居の中央の先に三輪山がある。
大神神社には本殿がない。
三輪山そのものが御神体である。
つまり、
左右には翼があり、中央には本体があり、その中央の先に神がおられる。
この構造になっている。
私はここで、これまで考えてきたことを思い出した。
もし鳥居が、ワールガン鳥、あるいは有翼光輪の姿を残したものだとするなら、鳥居をくぐるという行為は、単なる門を通過することではない。
翼を広げた光の象徴の中央を通り、その先におられる神へ向かう行為
ということになる。
もちろん、これは歴史的に証明された話ではない。
大神神社の三ツ鳥居が、有翼光輪を表したものだという証拠があるわけでもない。
だから私は、これを事実として断定するつもりはない。
しかし、どうしてもそう見えてしまう。
何より不思議なのは、私はこの考えにたどり着くよりずっと前から、毎年この神社へ参拝していたことである。
そして、そのたびに、
なぜ鳥居が三つなのだろう。
と気になっていた。
まさか、自分が長年抱えていたその疑問の答えらしきものが、ずっと目の前に置かれていたとは思わなかった。
三ツ鳥居は、
中央が本体。
左右が翼。
そして、その中央の先に神がおられる。
そう見た瞬間、長年の疑問が一つにつながった。
証拠ではない。
偶然かもしれない。
私自身の類推にすぎないのかもしれない。
それでも、
そう見えて仕方がない。
余命1年と告げられた今になって、私は長い間何気なく参拝してきた大神神社を、まったく違う目で見ることになった。
もしこの考えに何か意味があるのなら、私はずっと以前から、その象徴の前に立ち続けていたことになる。
なぜ毎年そこへ行っていたのか。
なぜ三ツ鳥居がずっと気になっていたのか。
その答えまでは、私には分からない。
ただ、今になって一つだけ思う。
大切なものは、ずっと目の前に置かれていたのかもしれない。
これは証明ではない。
けれど、余命1年の今、私が見つけたものとして、ここに記録しておきたい。

