新潟の海って、こんなに透明なんだ。
こんにちは、なかむらりえです。
日曜日の朝、仕事へ行く前に海へ寄りました。
ほんの10分くらい。
近くに海があるのに、普段は車で通り過ぎるだけ。
今日は少し時間があったので、海まで歩いて、足を水につけてみました。

びっくりしました。
新潟の海って、こんなに透明なんだ。
遠くから見ると青だったり、緑だったりする。
でも足元を見ると、水は透き通っていて、海底までちゃんと見える。
近くまで行かなかったから、今まで分かりませんでした。
キス釣りをしているおとうさんがいました。
犬の散歩をしているご夫婦もいました。
みんな、特別なことをしているわけじゃない。
ただ、それぞれの朝を過ごしている。
なんだか、みんな楽しそうに見えました。

私は、東日本大震災以来、少し海が怖くなりました。
あの日の映像が、どうしても頭から離れなかったからです。
でも、もともと海は好きでした。
今日、久しぶりに足を海に入れてみて、
「ああ、やっぱり海っていいな」
と思いました。
ほんの10分。
とても贅沢な10分でした。
私は江南区で育ちました。
田んぼ。
畑。
夏の麦わら帽子。
畑で採れたトマト。
蚊取り線香の匂い。
続き間の和室。
庭。
子どもの頃は、それが特別だなんて思っていませんでした。
ただの日常です。
でも今でも、不思議なくらい残っている。
家そのものよりも、
匂いや音や季節の風景。
そういうもののほうが、ずっと深く心に残っていたりします。
夏の夕方。
田んぼを渡る風。
土の匂い。
蚊取り線香。
冷たいトマト。
麦わら帽子。
あの頃は、そんなものに価値があるなんて考えたこともありませんでした。
今になると、なんだか愛おしく感じますね。
だから海を見ながら、
海の近くで育った子どもには、どんな記憶が残るんだろう。
そんなことを考えました。
朝の波の音。
潮の匂い。
夏の夕方の海。
釣りをしている大人たち。
犬と歩く海岸。
裸足で入った透明な水。
家族と見た夕日。
きっと、そのときは何とも思わない。
ただの日常。
でも大人になったある日、突然思い出すのかもしれません。
「あの海、きれいだったな」
とか、
「あの匂い、懐かしいな」
とか。
人って、何を覚えているか分からないものですね。
大きな出来事より、何でもない日の景色のほうが残っていたりする。
最近、人生ってそういうものなのかもしれないと思います。
その瞬間には価値が分からない。
でも何十年も経ってから、
「あれ、いい時間だったんだな」
と気づく。
人との出会いもそう。
昔の出来事もそう。
住んでいた場所もそう。
そのときには見えなかったものを、あとから受け取り直すことがある。

近くまで行かなければ、新潟の海がこんなに透明だとは知りませんでした。
遠くから見ているだけでは分からないことって、たくさんあるんですね。
仕事前の、たった10分。
今日は、
「新潟って、いいところだな」
と思いました。
なかむらりえ
