調和って、合わせることじゃなかった。
6/27に、小さな興行をやることにした。
会場は小さなライブハウス。キャパシティは50席。
ここで、
「観客」が存在しない興行
をやろうとしている。
それは何?
なんでそんなことを?
というところを伝えたくて、これを書く。
遠慮して声を出すと
いい音が鳴らない。
一瞬話が過去に飛ぶんだけど、
大昔、少しだけアカペラをやっていた時期がある。
「この音に合わせるなら、このくらいか...」と
「調整する」意識で声を出すと、
音程が合ってても、全然いい和音が鳴らない。
ところが、
全員が自分の担当の音を
(もちろん他の人の声はよく聞きながら)
「めちゃくちゃでかい声」でちゃんと出すと、すごい音が鳴る。
これ、人付き合いと一緒だな、と思った。
自分を出すか、
場に合わせるか。
そして更に話は過去に遡るんだけど、
10代の前半に
それまで住んでいたブラジルから
日本に戻ってきたときを思い出すと
余計にそう思うんだけど、
この世の中は、多くの人が
「この場ではこれは言わないほうがいいな」
「この人、今こう言ってほしいんだろうな」
って自分を出さないようにして、空気を読んで、平和を保とうとする。
逆に「私は天真爛漫なので!」と言いながら、
ただデリカシーなく大声でしゃべってるだけ、みたいな人もいる。
これ、どっちも
本音じゃないと思うんだよね。
自分を出すか、場に合わせるか。
どっちかを取ると、どっちかが悲しむ。
なんでそんな構図になってるんだろう。
そんなのおかしいじゃないか。
50人は、1つの社会。
アカペラの話に戻るんだけど、
全員が遠慮して声量を落としたとき、
その場の"平和"は保たれてるかもしれないけど、
すごい音は絶対鳴らない。
それぞれが自分の声をちゃんと出すから、
はじめて「場の音」が豊かになる。
それを身体で感じてほしいから、
このイベントは50人でやろうと思った。
30〜40人だと、
学生時代の音楽の授業とか
合唱コンクールの記憶に近いでしょ?
その記憶よりも
「多い」と感じられる規模がいい。
50人は、1つの「社会」だ。
社会の中で、個を発揮しながら調和を作る体験。
これは、勉強して頭でわかることじゃない。
自己啓発セミナーにはできないこと。
もう一個だけ書いておきたいことがある。
突拍子もない話をすると、
僕は最終的に"遊園地"を作りたい。
(ほんとうに突拍子がない)
ほんとはね、
「もっと自分の命を躍動させようぜ」とか
「本当に湧いてくるものを信じて生きようぜ」とか、
そういうことを言いたいんだよ。
だけどそんなの
そのまま真面目に言っても、届かない。
テレビでそんなこと言ってる人、誰もいないでしょ。
だから、
楽しくて、面白くて、心が動く時間の中で、
少しだけ世界の見え方が変わる、
そういう場を作りたいんだ。
エンターテインメントにするんだ。
自己啓発セミナーじゃダメなんだよ。
若いカップルがデートで行ける場所じゃないと。
帰るとき、
「なんか1ミリ、見え方が変わったな」と思えるような体験を、
エンターテインメントにしたい。
次の日には満員電車が戻ってくる。
現実の悩みが一瞬で全部消えるわけじゃない。
それでも、
「あの時間だけは、心が動いてた」
「あそこにいる間だけは、本当の自分でいられた」
と感じられる場を作ることは、すごく尊いことだと思ってる。
その体感があるだけで、人は少し前を向けると思うから。
6/27は、その第一歩。
イベントの詳細はここに載っているので、
この感覚をぜひ一緒に体感してほしい。
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