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40周年へ、道慣れたこの未知から 現在地について41

エレファントカシマシは、完成している。もう行くところまで行き着いた。

こういう主旨の発言をこのところのインタビューで目にするようになった。
このひとが止まるはずがない。過去の業績に安住して満足したりするはずがない。そうは思っていても真意がわからず、すっきりしなかった。それが、やっとわかった。
このひとは凡人とは異なる時間軸で生きている。その時は分からなくてもしかるべき時が訪れれば、ああそういうことだったのかと理解する、そんな体験を何度も味わってきた。今もまた、大切な鍵をくれた。そしてカチリと音がして、標本箱の蓋が開いた。

けど、自分がひとつ自覚して大人になったのは、エレファントカシマシが行くところまで行った、だからこそ、もう返して欲しいと思って独立した時だったと思うんです。まぁこの「返して欲しい」という言葉が適切かどうかはわからないけど、俺はそういうふうに思ったの。つまり自分で自分の社長になる。後半生を自分の手で、という強い決意を持って事務所を独立したわけだけど、そういうことが人生の中でいろいろあったと思うんですよ。

「MUSICA」2026年7月号


この言葉を読み解く時、ひとつの仮説が立ち上がる。
宮本浩次は、ソロ活動を決意した時、エレファントカシマシを標本箱に入れたのだ。大切な宝物として。でも、その標本箱は愛でるためだけじゃなく、新しく採集してきた美しい蝶たちも加えられる仕様になっている。まだ見ぬ新種の蝶を求めて、道なき道を奥へと分け入って行く冒険、その旅がすなわちソロ活動だったのだと思う。

だが、35年の道のりですでに完成していた標本箱は、言わば大きな博物館に展示されているようなもの。大きな事務所の傘下にあって商業的システムの一部として消費され、宮本が忌避する「安住すること」が求められかねなかった。それを回避するために、宮本は独立を決断する。経営的にも環境的にも自立し、自分の書斎の自分だけの標本箱として博物館から奪還したのだ。俺たちの聖域を誰にも侵させないために。
自分の手元にある箱だからこそ、愛でることもできれば、採集してきた蝶をいつでも加えられる仕様にカスタマイズすることも可能になった。
安全に、安心して、採集の旅に出かけられる状況が整った。
さあ、飼い慣らされていない新種の蝶を見つける旅へ。

こうして始まったソロの冒険。
案内ガイドは小林武史。素材を渡すだけでリリースできる楽曲にまで仕上げてくれる頼りになる司令塔だ。標本箱に入れたい新種の蝶たちが採集される。
旅には、小林が引き合わせてくれた手練れのサポメンたちが新しい仲間として道連れになってくれた。彼らなら、頭の中で思い描いた音に近づけてくれるかもしれない。その音を素晴らしい精度で具現化できるかもしれない。宮本は標本箱から蝶を取り出し、彼らの技量に託した。音楽の匠たちは、期待に応えて蝶をオーバーホールしてくれた。
抱えていたソングライターとしての長年の消化不良をすべて解消し、欲求不満を完全燃焼させ、楽曲に対して鬱屈していた責任とエゴを完全に解き放つことができた。この旅は私にはそう見えた。

そして今、宮本は小林から離れようとしている。
ポップからロックへの回帰は、2002年の『ライフ』から『DEAD OR ALIVE』のデジャヴ感があるけれど、バンドの野性を取り戻すために小林から離れたあの時とは違う。プロデュース術やアレンジ法を間近で学び、出会った「俺と、友だち」で出かける新しい旅立ち。2002年はリアタイしていないが、現在進行形を目の当たりにできるのは最高にスリリングだ。
還暦記念コンサートで宮本は、ソロという未知の森で採集してきた極彩色の蝶たちを、セルフプロデュースという力技でコラージュに仕上げてみせた。そこで彼は、選りすぐりのエレカシ楽曲のオーバーホールされた姿をコラージュの一部として配置し、見事に鳴らしてみせた。

ここには、2002年とは明らかに異なる文脈が流れていると思う。
2002年当時は、小林武史の手法から離れなければバンドの純粋な野性を取り戻すことができなかった。だが、今回の『I AM HERO』において、宮本は小林をプロデューサーのひとりとして迎え入れている。ソロ活動をここまで牽引してくれた実績、一流の司令塔としてのプロデュースワーク、アレンジ、歌を世間に届けるための楽曲設計、これらの手腕を至近距離で見てきた。彼に言わせれば「稽古をつけてもらった」。今回のセルフプロデュースは小林に頼ることからの卒業と同時に、司令塔から学んだ方法論で自力で走ってみるという、大人の表現者としての羽ばたきなのではないか。

宮本は、ソロ活動を通じて小林以外のさまざまなミュージシャン、アレンジャーたちと出会った。個人事務所の社長となった宮本が、外部プロデューサーを連れ帰ってエレカシに招き入れるとしたら、それは社長・宮本浩次のビジョンを具現化するために雇われる優秀な技術的パートナー。小林とのユニットで構築したポップさへの反動からゴリゴリのロックを求め、激しい離脱症状からバンドで暴君となり『DEAD OR ALIVE』という名盤が誕生したわけだが、今度は違う。ソロでエゴを完遂したからこそ、バンドをエゴから解放して純粋な俺たちに戻せる。頭の中の音をメンバーに強いる必要はもうない。

『DEAD OR ALIVE』では ‘この人生は全て惰性’ ‘まあいいさ どうだっていいさ行けオレよ’ と外へ向かって投げやりに咆哮し、現実から惰性の勢いを受け取ろうとする一方で、己の心の中へ逃げ込む(“未来の生命体”)。だが、“Do You Remember?”(『宮本、独歩。』)、“just do it”(『縦横無尽』)を経て、24年後に『I AM HERO』にたどり着いた。ここでは、その「惰性」を自らの意思で駆動させる「ルーティン」と言い換え、その日々を「かなりニュールネッサンスなnew day」と呼ぶ。‘どうでもいい’ と吹っ切れたように言い放ち、‘俺が生きてく そう 生きていく’(“零地点 Bomb”)と自己完結の覚悟を高熱量の冷ややかさで唱える。
この言い回しの変化は、現実の受け取り方そのものが変わったことを意味してはいないか。宮本の人生との向き合い方が変わり、焦燥から自己完結へとアップデートされた。それは、独立や新たなサポートメンバーとの出会いがきっかけかもしれない。だが彼の意識を変えたのは、ソロの森という「道慣れた この未知」の領域で、歌と対峙し、歯を食いしばりながら極彩色の蝶を採集し続けた、過酷な経験の堆積だ。

これでバンドに帰れる。
ソロで《俺》を全開にできるからこそ、バンドが《俺たち》になれる。
手元に奪還した標本箱を再び開ける時、彼はエレファントカシマシの歌係として、幼馴染のメンバーと衒いなく音を鳴らすことができるはずだ。

環境の主導権と表現の指揮権を完全掌握した宮本が、ソロの森から還っていく場所。
そこでは、同級生であるメンバー3人もまた、人生の円環を一周して還暦を迎えている。宮本を受けて立つでもなく包み込むでもなく、ただそこにいるだけで、歌係の生きる場所を成立させることができる。と同時に、あれほどのひとの帰るべき場所として相応しくあるべく、そして自然に傍らにいるために、たいへんな覚悟と気概と矜持を持って待っているはずだろう。宮本の《有象無象》を呑み込んで、すべての人生に伴走するロックバンドとして聖域に立ちあがる。

なぜソロとエレカシを行き来できるのか。
それは、彼にとってソロもバンドも「場」ではなく「形態」だからだ。宮本はソロ活動について「ソロをやる」と言う。「ソロでやる」ではなく。野音ライブについても「野音でやる」とは言わず「野音をやる」と言う。それぞれの形態で彼が纏っているのは、鎧でも衣裳でもなく、歌そのもの。だから、完成していてもいくらでも更新していける。
エレファントカシマシのグルーヴは、音楽理論や演奏技術で説明できる代物じゃない。10代の頃から50年、同じ部屋で、同じ挫折と栄光を共有してきた4人の男の時間の堆積そのものが鳴っているからだ。200年分の孤独と時間が、40周年イヤーに現在進行形の最新ロックとして鳴り響く。

60周年記念コンサートで再び歌われたあの歌は、‘古い美術館に眠る大切な宝物’ をまさにその手に奪還し、‘本当の姿を見つける旅へ行こう’ と踏み出す決意に聴こえた。

旅というのは、行きたい場所に赴くのが目的だとしても、帰る場所があるから出発できる。今いる場所を出発点として生きていくことを確認するために、帰る場所に帰るために、旅に出る。

この歌のこの部分に、これまでとこれからが凝縮されていると感じられてならない。

飼い慣らされた Passion
置いてきぼりの Dreamin'
解き放つのさ Baby
感じるだろう 新しい何かが今も始まってるぜ
We are freedom
I got , You got

ヘイ ヘイ ヘイ
頑張っていこう もう一丁いこう
さあ立ちあがろうぜ
I love 人生! 最高の瞬間を
お前と感じたいぜ イェイ イェイ イェイ

“I love 人生!”


40周年のエレファントカシマシは、どんな音が鳴るだろう。



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