風、星、ヒーローの物語 | § 1 風に吹かれてゆこう 現在地について37
子供らがはしゃぐ公園のベンチに座って
幼き日の豊かなメモリー 思わず口ずさんだあの頃の歌
宮本浩次の歌詞において、風と星は単なる風景ではない。自然描写にとどまらない重要な要素であることに異論はないだろう。
風は、彼を「あの頃」へ飛び立たせる滑走路。
星は、その旅の途中で自分の位置を見失わないための座標。
いつか書いてみたいと思っていた、この大命題に向き合う時が来たかもしれない。
《風》と《星》が重なる場所で、かつて祈ったヒーローは「I AM HERO」と力強く叫び、再誕する。
この物語を、歌詞の連なりから辿ってみたい。
公園のベンチに座って、風を感じる。
思いを馳せるのは《あの頃》。
この一瞬の風の誘いこそ、時間の境界線を越えて「あの頃」へ飛び立つための離陸の準備ができた合図だ。
§ 1 風に吹かれてゆこう
風は時を移ろわせる装置。
瞬間瞬間の皮膚感覚が感知する、世界との接点。
風が誘いにきたようだ
少し乾いた町の風が
俺達を誘いにきたようだ
このまま全てが叶うようなそんな気がしてた
ああ風が新しい季節運ぶように
エレファントカシマシという仲間との旅の途中において、風は季節や街の空気を運んでくる心地よい道連れだった。それは明日へと背中を軽く押してくれる、外の世界と自分を繋ぐ爽やかな存在。
新しい季節の始まりは
夏の風 町に吹くのさ
ソロという「個」の旅が射程に入ると、風は役割を変える。
もっと自由な、もっと深い場所へと吹き抜けていく。
その象徴的な転換点となったのが、バンド30周年という大きな節目にソロへの決意を胸に抱いて書き下ろされた “風と共に” ではないだろうか。この曲において風は、立ち止まったり逡巡したりする彼を光へと導く動力となる。
傷つくことを恐れて 立ち止まったり逡巡したり
風よ どうか私に 相応しい光へ導いてくれ
新しい私に出会う旅へ
風は「私」の外側にあり、導きを乞う存在。
だが、いつも心地よいそよ風とは限らない。
“昇る太陽” における風は、一転して「浮世の風」として牙を剥く。
遠い記憶の中じゃ そうさ俺はsuper hero
いつか浮世の風に吹きさらされちまって立ちつくしてた
「遠い記憶の中」のスーパーヒーローだった自分を回想しながら、彼は現実という風に吹きさらされ、立ちつくす。そしてその風にさらされながら、太陽の光を求めて強く激しく咆哮する。
この「導き」と「試練」という両極の皮膚感覚を経て、風は彼の内なる情熱を投影する心象風景へと結実していく。
ああ風が吹いてる荒野に舞う男の夢
ああ風が吹いてる荒野に咲く一輪の花
風が吹く荒野。
ここでの風は、もはや彼を導きも翻弄もしない。かつて吹きさらされて立ちつくした現実は、「男の夢」が舞い、「一輪の花」が咲く場所。
それでも吹きわたる風は、いつだって心を解き放ち、彼に時空を旅させる。
さあ行こうぜbaby 風をなびかせて 自由ってやつを胸に抱こう
とどまることを知らない 流れ流れゆく時を超えろ
その旅先で、数十年前も今も変わらない風に出会う。
幼い頃から空は青くて あの頃から風は木々を揺らしてた
風が木々を揺らす。
導かれるでもなく、抗うでもなく、ただただ風を感じる。
《あの頃》と変わらないその感覚を滑走路にして、彼は時間の境界線を軽やかに越えて《あの頃》と地続きの場所に立つ。
風とは、彼にとって「あの頃」と「今」を繋げてくれる唯一の肌感覚であり、風が時間の境界線をほどいた瞬間、彼は記憶という通路を抜け、自身の歴史を丸ごと抱きしめる準備を整えるのだ。
僕ら そうさ こうして
いつしか大人になってゆくのさ
いざゆこう さらば 遠い遠い青春の日々よ
かつて「大人になること」は、喪失や諦念を意味していたかもしれない。だが、夢を叶えることだけが人生の目的ではないはずだ。夢を叶えたいという気持ちを心に持ち続けながら生きていくこと、そのものが人生。
大人になった俺たちゃあ夢なんて口にするも照れるけど
今だからこそめざすべき 明日があるんだぜ
吹き抜ける風が、過去から情熱を運び込み、そのまま明日へと踏み出すための推進力になる。
さよならさ 今日の日よ
昨日までの優しさよ
手を振って旅立とうぜ
いつもの風に吹かれて
風は、明日へといざない、すべてを連れてゆく。
「あの頃」の青い空も、木々の揺らぎも。
風がいざなうその先のあたらしい明日に
会いにゆこう 未来のわたしに
彼は、風という滑走路をかけ出してゆく。
自分を「あの頃」に置き去りにすることなく、その情熱を抱えたまま軽い足取りで何度でも新しい明日へと飛び立つ。
だが、彼を未来へといざなう風は一瞬で吹き抜けてゆく。
その刹那の感触の中に、彼はある約束を預けていた。
風 町の風が頬をなでて過ぎた
いつか 全てを抱きしめるさ
