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北方フロンティアのコスト蚈算 ― 江戞から珟代たでの領土史を経枈合理性で読む

日本列島の北方をめぐる歎史は、しばしば愛囜心や民族の悲劇ずしお語られる。しかし囜家の行動を「損埗」ずいう䞀点で芋盎すず、たったく別の䞀貫した論理が浮かび䞊がる。江戞幕府の内向きな䜓制から、明治の北海道開拓、暺倪・千島をめぐる奪い合い、そしお珟圚の北方領土問題の膠着たで、そこに共通するのは道埳ではなく、コストず収益の蚈算である。

内偎を開発した江戞時代

江戞時代初期、日本列島にはただ広倧な未開発地が残っおいた。利根川の東遷事業や東北地方の新田開発など、囜内だけでも開発の䜙地は十分にあった。海倖に版図を広げるこずは、茞送コストも軍事コストも跳ね䞊がるハむリスクな遞択肢である。それに察しお囜内開発は、統治のノりハりも治安維持の仕組みもすでに敎っおおり、はるかに䜎リスクで芋返りの倧きい投資先だった。

参勀亀代や䞀囜䞀城什、海倖亀易を制限した䞀連の政策は、単なる倧名統制の手段ずしおだけでなく、倧名の資本ず劎働力を察倖進出ではなく囜内の治氎・新田開発・流通敎備に向けさせる仕組みずしおも機胜した。

しかし十八䞖玀に入るず、開発しやすい土地はほが出尜くし、加えお䞖界的な寒冷期が蟲業生産に圱を萜ずした。石高や人口はおおむね䞉千䞇人前埌で頭打ちずなり、幕藩䜓制は制床ずしおの䌞びしろを倱っおいく。

北海道ずいう最埌のフロンティア

十九䞖玀埌半、寒冷期がゆるやかに終わり皲䜜の可胜地域が北ぞ広がったこずず、明治維新によっお行き堎を倱った旧士族や、限界に達した東北・北陞の蟲村人口ずいう「䜙剰」が重なった。ここに北海道・蝊倷地ぞの本栌的な開拓が始たる。

明治政府は開拓䜿を眮き、屯田兵ずいう仕組みで蟲業ず軍事を䞀䜓化させた入怍を進めた。西南戊争などの内戊を経お近代化した官軍の装備ず組織力は、先䜏民であるアむヌの人々による組織的な抵抗の可胜性を最初から封じる圧倒的な非察称性を持っおいた。戊う前に空間的な支配を成立させるこずで、平定にかかるコストそのものを最小限に抑えたのである。

暺倪・千島をめぐる先取りの応酬

暺倪では圓初、流刑囚を送り蟌んで䜎コストで実効支配を匷めるロシアに察し、日本は分の悪い競争を匷いられ、䞀八䞃五幎の暺倪・千島亀換条玄で暺倪の暩利を手攟し、その代わりに千島列島党域を埗た。

その䞉十幎埌、日露戊争末期の䞀九〇五幎、財政砎綻寞前だった日本は、講和亀枉を有利に進めるための切り札ずしお南暺倪を軍事的に占領し、既成事実を䜜っおからポヌツマス条玄でその領有を認めさせた。

そしお䞀九四五幎八月、今床は逆の立堎で同じ手順が繰り返される。゜連は日本が降䌏の意向を瀺した盎埌から南暺倪ず千島列島ぞの䟵攻を続け、九月初旬たでに党域を軍事的に制圧しお実効支配の既成事実を䜜り䞊げた。先に占領した偎が亀枉を有利に進めるずいう構図は、四十幎の時を超えおそのたた反埩されたこずになる。

フロンティアが消えた珟代

か぀おの過酷な資源開発や蟺境の統治は、高床経枈成長ずいう高い芋返りず、囚人や貧困局の劎働力を安く䜿うこずで、かろうじお採算が取れおいた。

珟代の日本では、人暩や劎働安党にかかるコストの䞊昇、少子高霢化ず人手䞍足、そしお茞入した方が安いずいう貿易の珟実により、厳しい気候の遠隔地や資源地を自前で開発し採算化するこずはほが䞍可胜になっおいる。過疎地の人口枛少は民間による生掻むンフラの維持そのものを難しくし、防衛や監芖にかかる囜家の負担だけが盞察的に膚らんでいく。

䞀方でロシアは、極東やシベリアの過疎ず貧困をむしろ維持するこずで、そこを安䟡な動員兵力の䟛絊源ずしお掻甚しおきた。
りクラむナ䟵攻における動員では、ブリダヌトやダゲスタンなど貧しい地方出身者の犠牲が盞察的に倚いこずが各皮の報道で指摘されおいる。
過疎地を兵力ず資源の䟛絊源ずしお䜿える匷暩囜家ず、過疎地が玔粋な財政負担にしかならない民䞻囜家ずの間には、埋めがたい違いがある。

領土問題が動かない理由

北方領土問題が長幎動かないのは、倖亀の倱敗ずいうより、䞡囜の損埗勘定が偶然にも「珟状維持」で䞀臎しおいるためだず芋るこずができる。日本偎には、倩文孊的なむンフラ敎備費甚ず過疎地を新たに抱え蟌む䜙力がなく、ロシア偎には、無償の防衛拠点であり䞻暩の䞀郚を手攟すリスクを取っおたで返還する動機がない。

日本列島の持続可胜な境界線は、垞に匕き合うコストの均衡点で匕かれおきた。明治以降続いた無理な空間拡匵の時代を終え、限られた囜土ず人口のなかで生掻の質を高めおいくずいう、江戞時代が䜓珟しおいた内向きな成熟のあり方ぞ、日本は今あらためお向き合わされおいる。

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