恋することも孤独も、落ちてから気が付く僕の、自分一人分の「さみしさ」
誰かを好きだと自覚することは面白い。今、現在進行系でその人が特別になることを自覚する方もいるかもしれないけれど、若い日を思うと、私は鈍いのか、気がつくと好意はもう育っていた。何ともなかった他人が眩しく、特別に感じられること。例えば、一緒に遊びに出かければ別れがたく思うこと。冷静に考えると、別々の家に暮らしているのだから、別々の家に帰ることは道理です。けれど感情は理屈ではありませんね。
寂しさは、麻痺する寸前が一番苦しい気がします。コミュニケーションが上手くいく行かない、願いが叶うか否か、色んな残念があり、無数の孤独があります。私は閉鎖病棟の入院経験は無いから伝聞と想像だけど、例えば医療機関なら精神科の閉鎖病棟で高度な安静が必要な方か、ホスピスでケアを受けておられる方が孤独と向き合うように思います。寂しさに麻痺する薬や技術を私は知らないので、その深い孤独に寂しさも伴うはずで。
我々は、恋することも孤独も、落ちてから気が付くことは無いでしょうか。自覚せず視野が狭くなり周囲が見えにくいことも予想できるし、「ある」から気がつくので、引火する前を観察出来ることは稀かもしれませんね。
愛される・愛されないに関しては、他人から必要とされず興味を持たれず、宗教などの理由以外で他者が振り向かないことは、人生に起きます。誤解しないで欲しいのは、他人の評価だということです。どんなに価値があっても、例えばゴッホみたいに周囲が理解しないことは起きます。
対して、孤独は足元の影みたいに必ずセットで人生に付いてきます。個人的には理性の副産物が孤独や寂しさだと考えています。理性を用いて知りたいからと名前をつけて世界をバラバラにしたり、自分が何を思っているか観察したりすれば、孤独にもなるでしょう。
麻痺するという言い方は露悪的かもしれません。共存。理性の副産物であり、人間やる以上税金みたいなものと理解して、孤独や寂しさや悲しさや残念さの居場所を与えると、「出ていけ」と戦うより平和で心理的リソースを節約できると、私は観察しています。
自分の一人分の「さみしさ」と共存出来ると、重心が安定するので、他人の評価を得るための努力に専念出来るかもしれません。
考えてみるとアンガーマネジメントの応用だと思うのです。感情を一つ扱えるようになったら、他にも応用できる。アンガーマネジメントには、そんな拡張性と可能性を感じます。
「意外と快適だよ」と、若い頃の自分に勧めたい、そんな夜です。湿度は高く、遠くでスイカの香りがする。
Photo by Alex Kinkate: https://www.pexels.com/photo/rock-in-between-grass-and-flower-368260/
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