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エッセイ😌|海と夜光虫と、調べないという選択

自転車を20分ちょっと漕ぐと鎌倉の海に着く。

5月の夜、七里ガ浜で「夜光虫」が見えると聞いてペダルを踏んだ。
「夜光虫」とは、海で青く光るプランクトンのことらしい。
だけど、これまでに見たことはなかった。

江ノ電の駅の明かりに照らされながら自転車を止める。コンクリートの階段を下って砂浜に降りると、波がところどころで青く美しく光っていた。同じように見に来た人たちに交じって海を眺めた。

打ち寄せてくる波がしらが、明るく光ってる。水色の強い光だ。波が砂浜に触手を伸ばすと、ひと際、明るくなって光を失う。また次の波が来る。

どんなにバーチャルや配信が進化しても、今のところはその場で感じる感覚に勝るものはない。目の前に広がる海、遠くに見える灯台の灯り、潮の匂い、波の音、肌に触れる風、濡れた砂を踏む感触、サンダルに入り込む砂粒。見に来てよかったと思った。

「夜光虫」のことを詳しく知りたいとは思わない。知らないことを「知る楽しみ」もあれば、知らないことを「知らないままにしておく楽しみ」もある。マジックに種明かしはいらないもの。

「夜光虫」の海を十分に楽しんだら、砂をはらって帰途につく。自動車が行きかう国道を走りながら考える。右手には真っ暗な海が波音を流してる。

地球が平面だと考えられていた時代、「世界の果て」を想像することは恐ろしくも美しかっただろうな。「世界の果て」では、海が滝のようになって平面からこぼれ落ちている。進み過ぎた船は世界から落ちていく。想像でしかみることのできない荘厳な光景。そして、「丸い地球」と共に失われた美しさ。

「夜光虫」が見せる光景は、理屈のないままがいいかな。

でも、そこでまた考える。「天の川」をはじめてみたときの美しさは忘れられない。いまも鮮やかな記憶として残っている。でも「天の川」は、その理屈を知ることに対しては無防備でいる。どちらも神秘的で美しいのに。「天の川」と「夜光虫」の違いってなんなのだろう?

「天の川」は、理屈を知っても神秘さを感じることに影響しない。「夜光虫」は理屈を知れば少し色褪せる気がする。マジックの種が実は超能力だったパターンと、単なるトリックのパターンの違いなのかな。

でも、そんな問答は、若宮大路の「一の鳥居」を過ぎる頃には有耶無耶になっている。賑やかな通りは考え事の邪魔をする。それは、ちょうどいい頃合いなんだ。

だから、「夜光虫」の青い海の記憶をポケットに入れてペダルを踏んだ。


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