見出し画像

「終わりの始まり」について

「五賢帝」の1人であり、「哲人皇帝」と呼ばれたマルクス・アウレリウスが、息子のコンモドゥスを後継者に定めた時、ローマ帝国の「終わりの始まり」がスタートしたと言われる。

コンモドゥス暗殺(西暦192年)以降、ディオクレティアヌスが帝位に就くまで(同284年)の90年余り、ローマ帝国はまるで戦国時代のような内乱が繰り広げられる。

塩野七生も、<内乱とは、自分で自分の肉体を傷つけ、自らの血を流すことなのだ。出血多量は、死に至らなかったとしても、体力の減退は避けられない。>と書いている。何よりも、内乱によって、ローマ帝国という「共同体」に貢献できたであろう有能な人材が粛清されてしまうことは、中長期的に見れば確実に国力を衰退させる。

政敵さえも赦したユリウス・カエサルの「寛容」も、マルクス・アウレリウスが敢えて「帝位の世襲」(ローマ人にとっては慣れていない制度)を選択せざるを得なかったのも、とにもかくにも、内乱を避けたかったからであると言われると腑に落ちる。それくらいに、内乱というのはサッカーのオウン・ゴールのようなものであり、周辺国家や蛮族とすれば、圧倒的な国力を誇るローマ帝国が勝手に弱体化してくれているようなものだ。最盛期のローマならば、つけ入る隙さえなかったのが、だんだんと綻びも見え始める。ローマにとっては、良いことは何ひとつない。

90年余りの期間に、ざっと20人以上の皇帝が、入れ代わり立ち代わりで乱立するとなると、皇帝の権威なんてあってなきがごときものになる。ローマ皇帝とは、主権者たるローマ市民と元老院から統治権を委任された立場であるが、事実上、前線の兵士がキングメーカーのような役割を果たすようになると、元老院はそれを追認するだけの存在になってしまう。皇帝の権威と同じように、元老院の権威も失墜するとともに、ローマを担う優れた人材をプールする場であった元老院の能力の低下が止まらなくなる。

軍人皇帝たちの中には、兵士に担がれただけで、たいした覚悟も使命感もなく皇帝となっただけの人物も少なくない。兵士とは一般大衆と同じで、とかく飽きっぽいし、ろくな見識もない。気持ちが醒めれば、節操なく他の人物を担ぐことになる。ポピュリズムの恐ろしさである。

ローマ皇帝は終身制なので、終身制の最高権力者に不信任をつきつけるには殺すしかない。この時期以降、部下に謀殺される皇帝がやたら多くなってくる。

それでも、軍人皇帝の中にも優秀な人物、長生きしていれば、名君になったかもしれない人物は存在する。にもかかわらず、短期間で使い捨てのコマのような扱いをされたのでは、皇帝として成果を発揮しようがない。やはり、それなりの「持ち時間」は必要なのだ。

3世紀、多くの皇帝たちが乱立する間に、あれだけ繁栄していたローマ帝国が、どんどんと衰退していく様子は目を覆うばかりである。皇帝が現れては消えることの繰り返しは、内乱と同様に国力を確実に削ぐことになる。政策の継続性が担保されないからである。

塩野によれば、この時期、2つの悪法がローマ人のローマ人らしさを変容させたしまったという。

1つは、カラカラ帝が「アントニヌス勅令」によって、属州民を全員ローマ市民にしたことである。これによって、ローマ市民権は取得権から既得権になる。属州民にとっては、頑張って努力して、獲得を目指すべき存在だったローマ市民権が、最初から与えられるとなれば、「ありがたみ」がなくなってしまう。その結果、一般市民のやる気が失われてしまったのだ。また、属州税を徴収する対象がいなくなったことによる、財政面でのマイナスも無視できない。

2つめは、ガリエヌス帝による元老院と軍人との完全分離である。ローマの指導者層では、若い頃に軍務を経験させることを通じて、広い視野を持ち、バランス感覚のあるゼネラリストを育成してきたのだが、これ以降、軍事もわかる政治家、政治もわかる軍人が出てこなくなる。こちらは、指導者層のやる気が失われて、ローマを担う人材のレベル低下につながることとなる。

いずれも、結果として、ローマ帝国という「共同体」に対する貢献意欲、公共心が、指導者層だけでなく中間層においても徐々に失われていくこととなる。つまり、外敵と戦う以前に、巨大なローマ帝国を担っていた人材がいなくなり、ハリボテのような存在になってしまっていたのである。

ローマ帝国(西ローマ帝国)は、ゲルマン人の民族移動で滅んだと、世界史の教科書には書いてあったと思うが、それはローマ滅亡の原因と言うよりも結果にすぎない。ホントの原因は、まるで病気に罹った大木が朽ち果てるような、内部崩壊だったのではないだろうか。

軍人皇帝時代に幕引きをしたのは、ディオクレティアヌス帝であり、その後を継ぐのが、コンスタンティヌス帝である。彼ら2人がいなければ、ローマ帝国の終末は、早くも3世紀末に訪れていただろう。それを彼らが何とか踏ん張ることで、100年ほど延命させることができたのだ。されど、それもたかだか100年ほどの話である。下り坂を転がり始めた組織は、もはやどうすることもできないのだ。

塩野七生によれば、彼ら2人によって、ローマ帝国は再生したのではなくて、まったく別の帝国に変えることによって、辛うじて起たせておくことに成功したに過ぎないという。たしかに同じ帝政でも、元首制の時代と、ディオクレティアヌス以降の絶対君主制の時代では、本質的にはまるで別物であることは明らかである。

3世紀の混迷期を通じて、どうしようもないくらいに国力を衰退させてしまったローマ帝国を延命させるためには、もはや帝政初期とは似て非なる体制に改めるしか方法がなかったのかもしれない。

それでも、やがて確実に終わりは来るのだ。

どんな国や企業でも、繁栄と衰退とは隣り合わせである。繁栄の陰に、実は衰退の兆しは既に潜んでいる。ローマ帝国とて例外ではない。

今の我々にとって、ローマ帝国について学ぶ意義は、ローマのような史上空前の大帝国であっても、繁栄の頂から転げ落ちるように衰退の道を辿っていくものであることを理解し、そこから教訓とすべきことを学び取ることにあると思う。


いいなと思ったら応援しよう!

龍安寺 道 よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!