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シチズンシップ教育の重要性について

はじめに:『宇宙の戦士』が投げかけた問い

SF作家ロバート・A・ハインラインの代表作『宇宙の戦士』には、現代人にとって極めて刺激的な社会が描かれている。

この作品の世界では、誰もが自由に生活できる。しかし、政治に参加する権利、すなわち市民権を得るためには「連邦奉仕」を経験しなければならない。軍務が有名だが、実際には軍隊に限らず、国家や社会のために一定期間奉仕することが条件となる。

たぶん、共和制時代の古代ローマの市民皆兵的な制度や、ヨーロッパのノブレス・オブリージュ的な思想に通じるものがある。

現代の民主主義社会から見れば、この制度はかなり極端である。市民権を奉仕と結びつける考え方には当然ながら賛否がある。

しかし、ハインラインが提起した問題意識そのものは、今なお考える価値がある。

それは、「共同体の恩恵だけを受け、自らは何も負担しない人間が増えたら社会は維持できるのか」という問いである。

言い換えれば、フリーライダー問題である。

安全な社会、整備されたインフラ、医療制度、社会保障制度、防衛体制。これらは自然に存在しているわけではない。誰かが税金を負担し、誰かが働き、誰かが危険な任務を引き受けることで維持されている。

ハインラインは、その事実を忘れた社会に警鐘を鳴らしたのである。

もちろん、その解決策として市民権を制限するべきだとは思わない。しかし、「社会は誰かによって支えられている」「自分も共同体の一員として責任を負っている」という意識を育てることは、現代日本においても重要な課題ではないだろうか。

そこで注目したいのが「シチズンシップ教育」である。

権利ばかりが語られる社会

日本の学校教育では、人権や民主主義、憲法について学ぶ。

これは当然必要なことである。しかし一方で、

  • 社会保障は誰が支えているのか

  • 自治体はどのように運営されているのか

  • 災害時には誰が活動しているのか

  • インフラは誰が維持しているのか

といったテーマを学ぶ機会は少ない。

結果として、「行政はサービス提供者」「国民はサービス利用者」という発想になりやすい。

しかし民主主義国家の市民は、本来、単なる利用者ではない。共同体の共同経営者でもある。権利だけでなく責任も存在する。

ハインラインが問題視したのも、まさにこの点だった。

「社会は誰かが支えている」という現実

日本では、

  • 水道の蛇口をひねれば水が出る

  • 電気は24時間供給される

  • 治安は良好である

  • 災害が起きれば救助が来る

ことが当たり前になっている。しかし、それは決して当たり前ではない。

自衛官、消防士、警察官、海上保安官、医療従事者、自治体職員、インフラ技術者など、多くの人々の努力によって維持されている。

平時には見えないが、危機が訪れるとその存在が浮かび上がる。東日本大震災やコロナ禍は、その典型例だった。

特にコロナ禍では「エッセンシャルワーカー」という言葉が広く認識された。社会を支えているのは、一部の有名人や経営者だけではない。物流、介護、医療、清掃、インフラ保守など、多くの人々の働きによって社会は成り立っている。

シチズンシップ教育の出発点は、この事実を理解することにある。

フリーライダー問題と公共意識

成熟した社会では、現在の環境を当然視する傾向が強まる。税金は払いたくない。しかし公共サービスは維持してほしい。防衛費は削減してほしい。しかし安全保障は確保してほしい。自治会活動には参加したくない。しかし地域コミュニティは維持してほしい。

誰もが多少なりともこのような心理を持っている。問題は、それが社会全体に広がることである。

全員が受益者になり、誰も支える側に回りたがらなくなれば、共同体は機能しなくなる。

もっとも、「フリーライダーを排除する」という発想は危険である。病気や障害を抱える人もいる。家族介護や育児という形で貢献している人もいる。

重要なのは他者を裁くことではなく、「自分も共同体の維持に何らかの形で関わるべき存在である」という意識を持つことである。

社会奉仕を通じた市民形成

そのための手段として考えられるのが、若年層に対する社会奉仕活動である。

ここでいう社会奉仕とは、徴兵制ではない。

例えば、

  • 災害支援

  • 地域防災活動

  • 高齢者支援

  • 環境保全活動

  • インフラ維持体験

  • 地域コミュニティ運営

などである。目的は労働力確保ではない。教育である。実際に現場を経験することで、「社会はどのように維持されているのか」「誰が支えているのか」を体感的に理解できる。

これは教室では学べない。

18歳から25歳程度までの期間に一定の社会奉仕経験を積む仕組みは、真剣に検討する価値があるだろう。

減点主義ではなく加点主義

もっとも、この種の制度は強制や罰則と結びつくと反発を招く。重要なのは減点主義ではなく加点主義である。

奉仕しなかった人を罰するのではなく、奉仕した人を評価する。

例えば、

  • 奨学金返済の減免

  • 大学入試での評価

  • 公的表彰

  • 採用時の参考資料

などが考えられる。

また、

  • 防災活動

  • 福祉活動

  • 災害支援

などの実績を記録し、社会貢献履歴として活用することもできる。

ただし、ポイント稼ぎが目的化しては意味がない。重要なのは活動時間ではなく、その経験から何を学んだかである。

社会を支える人を尊敬する文化

シチズンシップ教育の本質は、奉仕活動そのものではない。社会を支える人々への敬意を育むことにある。

自衛官、消防士、警察官、海上保安官などは、職業そのものが社会奉仕である。しかも時には命の危険を伴う。彼らは既に共同体を支える側に立っている。

コロナ禍で現場に残った医療従事者も同様である。

もちろん全員がそうだったわけではない。「逃げた」医療従事者もいた。補助金だけもらって入院患者を拒否した公的病院もあった。

しかし危険や負担を引き受けながら職責を果たした人々がいたことも事実である。

本来、社会が尊敬すべきなのは、富や知名度だけではない。共同体のために負担を引き受ける人々である。

シチズンシップ教育は、その価値観を育てる営みでもある。

民主主義を支える市民を育てる

社会奉仕を経験した人は、政治や税金を見る目も変わる。防災現場を知れば防災予算の意味が分かる。福祉現場を知れば社会保障の課題が見える。インフラ維持を知れば公共事業の必要性も理解できる。

その結果、「予算を減らせ」「予算を増やせ」という単純な議論ではなく、「その予算は本当に必要か」という視点が生まれる。

また、「自分も共同体の一員である」という意識は、政治参加や投票行動にもつながる。民主主義は制度だけでは機能しない。それを支える市民が必要なのである。

おわりに

『宇宙の戦士』が描いた社会は極端である。市民権を奉仕と結びつける発想を、そのまま現代日本に持ち込むことはできない。

しかし、「社会は誰かによって支えられている」「共同体の維持には参加が必要である」という問題提起は、今なお色褪せていない。

少子高齢化が進み、地域コミュニティの担い手不足が深刻化する日本において、必要なのは権利教育だけではない。

市民としての責任と参加意識を育てるシチズンシップ教育である。それはフリーライダーを糾弾するための教育ではない。

共同体の一員として生きることの意味を学び、社会を支える人々への敬意を育み、自らもその担い手になる意識を形成する教育である。

民主主義を支えるのは制度ではない。最終的には、市民なのである。


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