「成績インフレ」について
米国の大学で、生成AIの普及によって学生の成績がインフレを起こしている、という日経の記事を読んだ。
生成AIを使えば、従来であれば平均点程度だった学生でも、それなりに整ったレポートや論文を書くことができる。教員側も、それがAIによる補助なのか、本人の実力なのかを完全に見抜くことは難しい。その結果、成績評価そのものが曖昧になりつつあるという内容だった。
この話を聞くと、「AIを使って課題をこなすのはズルだ」という方向へ議論が流れやすい。しかし、本当に問題なのは学生側なのだろうか。
むしろ僕は、大学側が「生成AI時代」にまだ十分アップデートできていないことの証左なのではないかと感じた。
そもそも、生成AIは「知識を整理し、それらしい文章を作る」という作業が非常に得意である。言い換えれば、AIに簡単に代替できるような課題を出している以上、学生がAIを使うのは当然とも言える。
しかも、これは学生だけの問題ではない。社会に出れば、多くのホワイトカラー業務はAI利用が前提になっていくだろう。
議事録作成、情報整理、文章作成、翻訳、データ分析、法令検索、プログラミング補助――。既に多くの職場でAIは実用段階に入っている。
そんな中で、大学だけが「AI禁止」を掲げても、社会との接続はむしろ悪くなる。
かつて電卓が普及した時代、「複雑な計算を速く正確にできること」の価値は相対的に低下した。しかし、その代わりに重要になったのは、「何を計算するべきか」「その前提条件は妥当か」「結果をどう解釈するか」という能力だった。
生成AIも、おそらく同じことを起こしている。つまり、「答えを出す能力」そのものの価値が下がり、人間には別の能力が求められるようになっている。
では、AI時代に人間へ求められる能力とは何か。それは、すなわち、
・正しく問いを立てる力
・AIへ適切な条件を与える力
・出てきた回答を検証する力
・複数の選択肢を比較する力
・最終的に責任を持って決断する力
だと思っている。
実際の仕事でも、本当に重要なのは「模範解答を暗記していること」ではない。むしろ、「そもそも、その問いの立て方で良いのか」を考える能力の方が重要である。
例えば企業経営でも、金融機関の融資判断でも、現実には「唯一絶対な正解のある問題」の方が少ない。そもそも、「どういう問いを設定すれば良いか」がわからないような問題ばかりである。
どのリスクを許容するのか。どこで撤退するのか。誰を信用するのか。どの前提条件を置くのか。こうした問題には、唯一絶対の正解など存在しない。
しかし、従来の大学教育は長らく、「既に存在する正解を、制限時間内に、個人で再現できるか」を測る方向に偏ってきた。
これは高度成長期から続く工業化社会には非常に適した仕組みだったと思う。大量のホワイトカラーを効率的に選抜できたからだ。
だが、生成AIは、この「模範解答再現ゲーム」を急速に破壊し始めている。
だから本来、大学側が問われるべきなのは、「AIを禁止するか」ではなく、「AIを前提として、何を教育し、何を評価するのか」ではないだろうか。
もし大学側が、AIに簡単にできる課題を出し続けるならば、学生もまた、「AIで代替可能な能力」ばかりを鍛えることになる。
その結果として育成されるのは、AIを使いこなせる人材ではなく、「AIに淘汰される人材」かもしれない。
もちろん、だからといって基礎学力が不要になるわけではない。基礎知識がなければ、AIの出力を正しく検証できない。誤った回答を見抜くこともできない。そもそも、良い問いを立てること自体が難しい。
結局、これから必要になるのは、「基礎知識を持ったうえで、AIを使いこなし、問いを設計し、結果を評価できる人材」なのだと思う。
生成AIは、大学教育を壊しているのではない。むしろ、「その試験、その教育、本当に意味がありますか?」という問いを、大学へ突きつけているのではないだろうか。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!