#35万葉集の生活史 鰹は歌に残らず、鯛は願われる——万葉の食卓
■鰹は歌に詠まれない
海の魚と言えば鰹や鯛が思い浮かぶだろう。
しかし、この2つの魚は歌にあまり残らない。
…水江の
浦島の子が
鰹釣り
鯛釣り誇り…
先程まで見てきた浦島子は、
鰹も鯛も釣っている。
並べて書かれている以上、
どちらも同じように「獲れる魚」だったはずだ。
けれど、このあと歌の中で生き残るのは、ほとんどが鯛の方だ。
鰹は、万葉集の中にほとんど現れない。
この一首が、ほぼ唯一の痕跡だ。
それでも、鰹は消えていない。
むしろ逆に、歌の外側で強く生きている。
延喜式には、「堅魚煎汁」という名が見える。
鰹を煮詰めて作る、保存と調味を兼ねたものだ。
それは税として運ばれ、数えられ、管理されていた。
歌には出てこないが、
制度の中にははっきり残っている。
そして、形は変わりながらも、
形を変えながら、鰹は今も食卓にいる。
煮干しでもなく、削り節でもなく
——その系譜の起点に、堅魚煎汁がある。
■おいしい鯛の食べ方
一方で、鯛はどうか。
鯛は歌の中にいる。
醤酢に
蒜搗き合てて
鯛願ふ
我にな見えそ
水葱の羹
ここには、はっきりとした欲望がある。
にんにくをすり、酢を合わせ、
その上で「鯛が食べたい」と願う。
目の前にあるのは水葱の羹。
けれど心は、もっと良いものへ向いている。
鯛は、歌に現れる。
食べたいものとして、
誇るものとして、語られる。
だが、制度の側で見えるのは神事が多い。
鰹は、歌に残らない。
だが、制度には残る。
鯛は、制度には残らない。
だが、食べたいものとして、そして神事として残る。
同じ魚でも、
記録される場所が違う。
歌は、人の心に残るものを書く。
制度は、人の暮らしを支えるものを数える。
だから万葉集には、
時代のすべてがそのまま現れるわけではない。
見えているものと、見えていないもの。
その両方を重ねたとき、
はじめて当時の食卓が立ち上がる。
浦島子は、鰹も鯛も釣っていた。
そのうちの一つは、歌の中に残り、
もう一つは、数えられて運ばれていった。
同じ海から上がったはずの魚が、
まったく違う場所で生きている。
