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還暦親父が暮らしたクチン 第1回

1995年春、ラグビースパイクとともにクチンへ ~ボルネオで始まった第二の青春~

1995年4月。

会社からマレーシア・サラワク州クチンへの赴任を命じられた。

当時の私は出張では数回訪問していたが、「生活」については不安しかなかった。

そんな赴任前、会社のラグビー部の先輩から一つだけ教えられたことがある。

「クチンには**KRFC(Kuching Rugby Football Club)**があるぞ。」

その一言で、私は迷わずラグビースパイクをスーツケースへ入れた。

海外赴任の荷物にスパイクを入れる人は、そう多くないだろう。

しかし、今振り返ると、この一足のスパイクが私のクチンでの三年間を大きく変えた。


Evergreen Heightsで始まった生活

住まいは、前任者から引き継いだEvergreen Heightsというコンドミニアムだった。

緑が多く、プールやテニスコートもあり、日本人駐在員や外国人家族も多く暮らしていた。

赴任したばかりの頃は、仕事も生活もすべてが初めての経験だった。

買い物一つ、食事一つ、日本とは勝手が違う。

それでも、不思議と心細さはなかった。

「ラグビーがある。」

その安心感が、私を支えてくれていた。



着任後すぐにKRFCへ

仕事が落ち着くと、私はすぐにKRFCの練習へ参加した。

クラブには様々な職業の人が集まっていた。

外国人は、

ニュージーランド人が一人。

オーストラリア人が一人。

そして日本人の私。

それ以外は、地元サラワクの選手たちだった。

最初は英語も十分ではなかった。

しかし、ラグビーではパスもタックルもスクラムも世界共通だ。

「日本から来たのか。」

「どこのポジションだ?」

そんな会話から始まり、私は自然とチームの輪の中へ入っていった。

ラグビーとは不思議なスポーツである。

年齢も国籍も職業も関係ない。

一緒に泥だらけになれば、それだけで仲間になれる。


試合の後はクラブハウスで

試合が終わると、クラブハウスではみんなで食事を囲み、楽しい時間が始まる。

サラワクは多民族、多宗教の土地だ。

イスラム教徒の仲間はジュースを片手に。

クリスチャンや中国系の仲間はビールを片手に。

宗教や文化の違いはあっても、勝った日も負けた日も、みんなで笑い、語り合った。

「あのトライは惜しかった。」

「次は勝とう。」

そんな他愛のない会話が続き、気がつけば夜遅くまで盛り上がることも珍しくなかった。

ラグビーは試合だけではない。

試合の後に仲間と過ごす時間もまた、ラグビーの大きな魅力だった。

海外赴任で最初にできた友人は、会社の同僚ではなく、KRFCの仲間たちだった。


第二の故郷になったクチン

休日になると、家族で街へ出かけた。

サラワク川沿いを歩き、ホーカーセンターでコロミーやラクサを食べる。

ダマイビーチまで足を延ばし、美しい南シナ海を眺める。

現地の人々は穏やかで、時間はゆっくりと流れていた。

娘もコンドミニアムで友達をつくり、毎日のように元気に遊んでいた。

仕事だけではない。

家族も含めて、この街で生活していた。

いつしかクチンは、赴任先ではなく「第二の故郷」と思える場所になっていった。


まだ知らなかった出会い

当時は気づいていなかった。

同じEvergreen Heightsには、後にサラワクFAをマレーシアリーグ優勝へ導く外国人プロサッカー選手たちも暮らしていたのである。

その頃は、ただ同じコンドミニアムの住人というだけだった。

しかし、1997年になると、私たちはスポーツを通じて思いがけない交流を深めていくことになる。

あの頃のクチンでは、ラグビーもサッカーも、人と人を結びつける力を持っていた。

赴任前、何気なくスーツケースに入れた一足のラグビースパイク。

もし持っていかなかったら、この街で出会った仲間も、家族の思い出も、そして人生を彩る数々の出来事もなかったかもしれない。

1997年、クチンはサラワクFAの快進撃に沸き、私自身もKRFCの一員として忘れられない一年を迎える。

その話は、次回お届けしたい。

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