40年間の末路 第27章 突然の暗闇 ドキュメンタリー小説|自叙伝|50代
子どもたち三人が巣立ち、戸建ての借家に二人で住み続ける理由がなくなった。庭の草むしりも仁美の負担になっていたので、家賃が安い近所の2DKのアパートに引っ越した。徒歩圏内にスーパーがあるため、仁美は時々一人で買い物に出るようになった。
そんな頃、茨城の実家から知らせが届いた。母・三千代が病に倒れた。
その後も三千代は入退院を繰り返し、遂には自力で歩行することが困難となり障害認定3級になった。しかし母の介護施設入所を頑なに拒む父・康雄が一人で、母を介護するのは無理だと判断し、実家に戻ることを決めた。
僕の他に妹がいるが、長野に嫁いでるため、近くにいる親族は僕しかいなかった。
そして栃木の会社を辞め、茨城の実家近くへの転職を決めた。
「またお義父さんと同居なんてイヤよ」
仁美は激しく反対した。
「仁美は宇都宮に残ればいい。
マッサージのバイトは辞められないから、毎週末帰るよ」
そう言うと、妻はそれ以上僕の茨城での生活に関心を持とうとはしなかった。
Uターン転職も成功し、本業の仕事は退職できたが、当時週末のみ働いていた宇都宮のバイト先は指名予約でいっぱいだった。人手が足りないことを理由に、渡部店長から強く引き留められていた。
こうして平日は茨城の実家暮らし、週末は宇都宮という二重生活が始まった。
平日は電子部品製造の小さな工場で総務担当として働きながら、帰宅後は康雄と三千代を見守った。週末は一般道で60キロ離れた宇都宮まで走り、仁美の生存確認を兼ねてバイトをこなした。
平日に僕がどんなに慣れない仕事と介護で疲弊していようとも、週末に宇都宮の家に帰れば、ただゲームの音が響くだけの、いつもと変わらない冷え切った空間が待っているだけだった。
祝日も盆暮れ正月も、ほとんど休みはなかった。それでも体はすっかり慣れていた。
むしろ休みの日に仁美と二人で家にいるほうが精神的に苦痛だった。
茨城に転職して翌年の三月、水曜日の夕方のことだった。
右目の視界が、ぼんやりとにじんだ。
緑内障の通院をしばらくサボっていたから悪化したのだろうと思った。翌週の月曜日、近くの眼科に予約を入れた。
翌日は祝日だった。予約していたガソリンスタンドでタイヤ交換をしてもらっている最中、右目の視界の左下あたりから、じわじわと暗闇が広がり始めた。まるで日食のように、じりじりと光が侵食されていく感覚だった。
タイヤ交換を終えて実家に戻り、康雄に話をすると、
「それはなんかおかしい。栗原先生に相談してみる」
と、康雄は同じ眼科の栗原先生に電話した。
康雄自身も、三年前にその眼科で緑内障の手術を受けていた。
すると栗原先生から、
「明日朝イチで来てください」
と言われた。
しかしその夜のうちに、右目の視界はほぼ消えた。金環日食のように、かろうじて輪郭だけ光が残り、中心は完全な暗闇だった。
翌朝、右目に眼帯をつけて眼科に向かった。病院に着くと栗原先生が既に入口で待っていた。
診察待ちの患者たちを追い抜き、受付も検査もせずに、一番最初に診察室に案内された。
椅子に座り、右目を診た瞬間に栗原先生の顔色が変わった。
「あぁ……やっぱり。異変に気付いたのはいつ頃ですか」
「一昨日からです。緑内障が悪化したと思って、来週月曜に予約を入れてました」
「緑内障じゃないですよ。急性の網膜剥離です。今から緊急手術します。
あと半日来るのが遅かったら、完全に失明でしたよ」
「網膜剥離?手術で治るんですか?」
想定外の病名に驚きを隠せなかった。しかも今日は診察だけで、午後から出勤しようと思っていたので、緊急手術という言葉に、さらに驚いた。
「視力の回復は保証できませんが、最低でも明暗くらいはわかるようにできます」
明暗だけでは、ほぼ失明ではないか。
そんな考えが頭をよぎった。診察後に、受付といろいろな検査をバタバタと受け、心の準備もできないまま正午に手術が始まった。
手術の前に、一応宇都宮の仁美と父・康雄にLINEで網膜剥離で緊急手術になるとだけ伝えた。
しかし、父からはすぐに返信が来たが、手術室に入るまでに仁美から返信が来ることはなかった。
僕はただ一人で、右目を襲う暗闇と向き合うしかなかった。
部分麻酔だったため、痛みはないものの右目の中に何かの影が映っているのがわかった。医療器具のカチャカチャという音と、栗原先生と看護師の抑えた会話だけが聞こえた。
歯の治療とは違い痛みも恐怖もなかったが、奇妙な雰囲気のまま時間が過ぎていった。
右目の中で何が起きているのか、想像するしかなかった。
三十分ほどで手術が終わった。
「無事終わりました。本来は2泊入院が必要ですが、満床のため一時帰宅になります。明日、明後日も通院して経過を見ます」
「日曜日も外来をやってるんですか」
「本来はやっていませんが、入院できないので仕方がないです。あと今から48時間、ずっと下を向いて安静にしてください。
前や上を向くと、網膜が再び剥がれて失明します。シャワーは首から下だけで、顔と頭も洗えません」
栗原先生の言葉は、脅しではなく宣告だった。
「寝ている間も下向きですか」
「もちろんです」
康雄が車で迎えに来て、下を向いたまま乗り込んだ。
三日間、下を向いて過ごした。食事も、眠りも、すべて下向きのままだった。左目で見えるのは床と、自分の手と、畳の目だけだった。
幸いにも週末のバイトのおかげで自宅に練習用の有孔マッサージベッドがあったので、それを使って不安な時間が少しだけ和らいだ。
その三日間、ずっと考えごとをしていた。
ベッドの穴から床の節目を眺め、急遽放置してきた仕事のことや、この日が初孫の1歳の誕生日で、本当なら翌日お祝いに駆けつけるはずだったことや、そして「パパと決別する」と言い放って去っていった光太郎の冷たい言葉。行き詰った仁美との結婚生活の行く末に思いを巡らし、天国と地獄を行ったり来たりしていた。
そして三日目の診察で右目の眼帯を外した。
第1章はこちらから
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