選挙なんて要らないよ その56(生活保護法❓)
ノックしてもしもーし!フリーランスが保護対象になってませんが…
GHQ特集ということで本日は『生活保護法』を取り上げる
巷では日本人よりも移民の方が生活保護を受けやすいなどの問題が上がっているが、そもそもこの生活保護法が何であるのか❓すら分かっていない者が多いのが実状だろう
憲法の実態を知らずに、憲法は温存していいだのと刷り込まれているのだから、当然憲法以外の法律なんて興味がないだろう
ましてや教育で教えていないのだから、実態を理解していないのも自然ではある。がしかしそれが制度という檻の中で飼われている家畜の飼育仕様によって出来上がった思考に過ぎない
実情を知ってしまえば関心領域は広がる
さて法律を学ぶにはまずその法の目的や変遷を理解する必要がある
今日はそのお手本もお見せしよう
生活保護の変遷
生活保護法自体はGHQが1946年に初回版を発布し、現行憲法の発布後にこれを改正している
ともあれ、江戸時代の庶民に対する徳川政権の生活保護体制を先ずは見てみよう
江戸時代の生活保護的制度
徳川の世は保護というよりは施しが適切である
庶民に保護を受ける権利などはなく、施しにしても統制と裁量で判断された
この施しも自助・共助・宗教的徳目と領主による政治パフォーマンスに依存するものだった
つまり支配者層側が恒常的に弱者を保護する仕組みそのものがなかった
むしろ監視と管理が本質なので保護という思考そのものが働いていない
以下に代表的な『施し』をまとめた
五人組制度
内容: 隣近所5戸単位で組をつくり、犯罪防止・年貢納入・互助を担った
本質:
「自助+共助」
公儀からの直接的な福祉などはなく、住民同士の監視と助け合いで成り立つ
考察:
互助的に見えて実態は「相互監視システム」
逃散・犯罪・宗教逸脱を防止
行政コスト削減のための「民間治安維持装置」
個人の権利保障などなく、「連帯責任」という重罰性が強かった
寺社救済(施粥・施薬)
内容: 寺院・神社が貧しい人々に食料や薬を施す
本質: 宗教的慈善による扶助
考察:
江戸幕府の「寺檀制度」により、寺院は地域共同体のセーフティネットを担った
仏教的「功徳」思想が背景にあり、施与は布施の一環
制度ではなく任意性が強いため、安定性に欠けた
町役人・名主による「救い米」配布
内容: 飢饉や災害時に、町年寄・庄屋が備蓄米を分け与える
本質:
村・町単位の「臨時救済」
制度化はされていない
考察:
名主の裁量に依存し、救済の有無や規模は地域差が大きい
「徳政」の一環として領主の権威維持にも利用された
実態としては「政治的パフォーマンス」に近い要素もあった
御救米・御救金
内容: 公儀や御領が米や金を一時的に支給
本質: 公的施策だが恒常的制度というものものではく、為政者の裁量で決まる
考察:
公儀財政の安定を優先するため、持続的には行われなかった
配布目的は、「人心収攬」や「暴動防止」の意味が大きい
当時の財政難から実施は限定的
施薬院(京・大坂など)
内容: 公設の医療救済機関で、貧民へ治療や薬を無償提供
本質:
公設+宗教ベース
地域限定
考察:
奈良時代以来の古来の施しの制度を江戸でも継承
実際に利用できたのは都市部の一部住民に限られる
医療インフラというより「慈善的な公営病院」に近い存在
乞食制度・差別的階層(非人・穢多)
内容: 一部の被差別階層に「乞食免許」が与えられ、物乞いを黙認
本質: 生存確認よりも「管理対象」として囲い込みを重視
考察:
社会秩序維持のため、特定集団に乞食の「権利」を限定的に与えた
「権利」というより「統制」
生存の黙認と引き換えに、差別を永続させる仕組み
法的保護の意味はなく、むしろ「社会的監視と排除」の制度
明治〜敗戦までの庶民の生活保護体制
明治から敗戦までの生活保護体制は、國家による制度化が進んだものの、「労働不能者」だけを救済対象にした恩恵的制度だった
“働けるのに困窮している人”は一貫して放置されていた
恤救規則(1874年/明治7年)
内容
日本初の近代的救貧制度
対象は「老衰・病弱・障害・孤児」などの労働不能者
「戸主の代行」として国家が扶助
労働可能層は対象外
本質
恩恵的な救済
権利保障などはなく「國家の慈悲」
生存可能性の線引きを國家が明文化
差分
初めて國家が法形式で庶民救済を規定
村・寺社・町年寄依存から、國家主導の救済に転換
「労働不能者」限定を制度に書き込んだ点が画期的
考察
近代國家としての一歩だが、「救済=徳政パフォーマンス」から抜けきれていない
実態は「貧困者の線引きによる管理制度」で、統治が主体
救護法(1929年/昭和4年)
内容
世界恐慌を背景に制定
労働不能者、病者、母子などを対象に公的扶助を法制化
國と地方が費用を分担
失業者や労働可能層は対象外
制定背景
世界恐慌(1929年)で日本国内でも貧困が拡大
同年に「救護法」が制定され、労働不能者・病者・母子を対象に公的扶助を法制化
国際状況
1917年:ロシア革命でソ連誕生
1919年:コミンテルン設立 により各国に共産主義運動が波及
1922年:
日本共産党が結党
地下活動とはいえ「労働者の組織化」が現実の脅威となる
国内状況
労働争議が1920年代に急増
治安維持法(1925年)で「国体変革・私有財産否認」を禁止、共産主義を徹底的に取り締まり
それでも労働運動は拡大し國家は「飴と鞭」の政策を迫られる
国際的視点
当時、日本はまだ 國際連盟(旧國連)常任理事國
國際社会では第一次大戦後に「ILO(國際労働機関)」が設立され、労働者保護や社会保障の基準作りが進んでいた
日本は国際社会の一員として「社会政策を整備する体裁」を求められていた
救護法の役割
表向き:労働不能者や母子を保護する社会政策
実際は:「労働者階級の囲い込み」
過激化を防ぐため最低限の救済を与え、共産主義運動に流れないようにする
國際社会に「日本も社会政策を進めている」と示しつつ、國内の不満をガス抜き
本質
救済を「國と地方の責任」とした常設法制
ただし依然として恩恵的で、権利としての位置づけはなし
國際的体裁(ILO/國際連盟)と國内治安維持(反共対策)の二重構造
労働者の統制
差分
江戸時代は災害や飢饉への臨時救済が中心に対し、ここでは常設制度化
財政責任を幕府裁量から國・自治体の負担に転換
それでも「労働不能者限定」は継続
考察
一見近代的だが、まだ「失業者は自己責任」という前提
資本主義の歯車から落ちた者は切り捨て
制度の線引きは冷酷
実態は「國際社会へのアピール」と「国内の労働者の囲い込み」
國際金融資本による社会統制の制度化
國際連盟脱退後~敗戦
生活困窮者援護法(1944年/昭和19年)
内容
戦時体制下で制定
戦災者・失業者など「広い困窮者」を対象に含む
実効性は乏しく、戦局悪化でほとんど機能しなかった
本質
國家総動員体制の一環
國民全体を「戦争資源」として維持管理するための延長線上の施策
救済とは程遠い兵站と労働力補給のための「戦時統制政策」
差分
救護法(1929)
国際連盟・ILOの目を気にして作った体裁法
本質は「労働不能者限定」+「反共のための労働者囲い込み」
國際金融資本に顔を立てる外圧対応
生活困窮者援護法(1944)
国際連盟脱退後、完全に戦時統制モード
失業者・戦災者まで広げたのは「庶民救済」じゃなく「総動員のため」
名目は包括的救済でも、実態は「戦争資源の維持管理」
考察
名目上は「包括的救済」だが、実態は国家総動員体制の補完
戦争遂行のための制度であり、庶民救済は副次的
福祉というより「労働力の維持管理」に近い
ここで救護法と生活困窮者援護法の発布時期では経済情況が大分違う
救護法の発布の頃は旧國連の後ろ盾があり日露戦争や第一次大戦の戦費も赤字國債で償還を続けることが可能だった
しかし生活困窮者援護法の発布した時期は、國債自体が紙きれ同然の状態であり、赤字國債の買い手も最早敵國という状況であった
そして、金属回収令を発布して政府自体が民衆から金属を制度上強奪していた時期でもある
だから、生活困窮者援護法の実態などは、当時の情報を集めなくても地政学で容易く理解が可能なのである
その裏付けとして当時の経済の変遷をまとめてみる
国際連盟脱退から敗戦までの経済状況(1933〜1945)
1. 國際的孤立
1933年:満州事変をめぐり國際連盟を脱退
日本國債や円は 國際市場で信用を失い、海外投資家の買い手が消滅
國際金融網から外れたため、外資導入による財源確保は不可能に
2. 財政の緊迫化
歳出の大半が戦費に吸い込まれる
一般会計に戦費を直撃させ、民生費は圧迫
物資不足・統制経済・軍需優先で、庶民向けの支出はほぼ切り捨て
3. 通貨の死と生活の困窮
紙幣や国債はすでに信用を失い、紙切れ同
庶民の生活を支えたのは現金ではなく、配給券
配給は常に不足し、票があっても現物が届かないことが多発
足りない分は衣服や家財を農村に持ち込み、物々交換で凌ぐしかなかった
つまり戦時末期の経済は「統制+配給券+物々交換」で成り立ち、貨幣経済はすでに崩壊していた
という状況での生活困窮者援護法の実施なのだ
だからこそ、GHQの生活保護法が眩い光を放つことになる
勿論、国際金融資本は日本がこの様な困窮状況に陥ることは計算済みだった
國債ネットワークを握っている彼らに償還残を抱えたままの抵抗は自殺行為なのだ
ましてやMMTなど自ら首輪を相手に明け渡す愚行である
GHQによる旧生活保護法(1946年)の内容と本質
GHQによる旧生活保護法(1946年)は
権利としての最低生活保障の先取り
国家責任による公的扶助の導入
を制度的に実現した
しかし本質は、敗戦国日本を心理的に掌握し、統治を円滑化するための軍略的措置でもあった
1. 制定背景
敗戦直後の飢餓・失業・戦災孤児の大量発生
戦時中の「生活困窮者援護法」が実効性ゼロであったため、
GHQが主導して「近代的公的扶助制度」を導入
2. 制度の内容(条文構造の特徴)
無差別平等の原則
身分・性別・家族関係によらず、すべての圀民を対象にすることを明記
江戸・明治以来の「労働不能者のみ」や「戸主中心」の考えを排除
国家責任による最低生活保障
生活保護を「國家の責任」と位置づけ、地方任せや共同体任せを否定
近代福祉国家の原則を占領期に先取り
現物給付中心(実効性)
食糧・衣類などの実物支給を重視
戦後の物資不足下でも「配給と連動」する形で実効性を確保
自立助長の理念
単なる救済ではなく「将来的な自立」を掲げた
ただし当時は飢餓救済が主眼であり、理念は形式的
3. 本質(GHQのねらい)
民衆救済の「演出」
日本政府の代わりにGHQが救済者として登場することで、占領統治の正当性を可視化
近代福祉国家の雛形導入
米國型の社会保障思想を日本に輸入
「自由主義社会の福祉モデル」として、敗戦後秩序を再設計
戦犯裁判への布石
「旧政府は民を救わなかった、我々は救った」というコントラストを構築
國民感情を裁判・占領政策に誘導する心理戦的要素
4. 歴史的評価
条文としては「戦後福祉國家の出発点」
政治的には「占領統治のための人道的パフォーマンス」
民衆にとっては“救済の光”に見えたが、その光は軍略的照明でもあった
これは心理学的な心情からも効果が高い
救護法でぐっとあげておいて、生活困窮者援護法でがくんと駄々下がりしたところを救護法よりやや高い位置に持っていく
民衆は一瞬でGHQを受け入れるだろう
旧生活保護法におけるコントラスト効果
──民衆心理の振幅モデル──
① 救護法(1929)
世界恐慌期、國家が初めて「常設の救済制度」を導入
民衆心理:
「え?國が庶民を救ってくれるの?」という疑いつつ期待
② 生活困窮者援護法(1944)
条文上は対象拡大だが、実態は空文化(物資も財源もなし)
民衆心理:
「ちょっと期待したけど、やっぱりね」という疑念に対する確信に変わる
③ 旧生活保護法(1946, GHQ)
敗戦直後、実効性ある物資と現金を伴って施行
民衆心理:
「今度は信じていいんだよね?GHQが我々を救済してくれた」
と気持ちの高揚と合わせて旧政府に対する敵対心が増強
これにより極東國際軍事裁判への社会からの批判が緩和する
つまり結果としてA級戦犯が悪というプロパガンダが出来上がっていく
憲法刷新後の生活保護法(1950年)
1. 制定背景
1946年 旧生活保護法は緊急的・暫定的な救済措置
1947年憲法25条(生存権)は圀民に「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障
この憲法を受けて、1946年法を改正・整備 し1950年 現行生活保護法が成立
2. 法の三本柱
無差別平等の原則
すべての圀民に最低生活保障を認める
身分や職業による差別禁止
圀家責任の原則
保護は圀の義務(憲法25条を直接反映)
生活保護は「権利」として明記
最低生活の保障と自立助長の原則
単なる施しではなく、生活再建を目指す
文化的な生活水準を基準とする
食糧
住宅
医療
教育
3. 本質的な変化
旧法(1946年):実効的救済というGHQの軍略的演出
新法(1950年):憲法の生存権を背負い、國内制度としての自立を宣言
ここで初めて「生活保護が圀民の権利」となった
4. 「落差」も存在
現場運用の制限
申請主義・水際作戦など、実際には容易に受けられない
依然として「制度はあるが、心理的・社会的バリアが大きい」
スティグマ(偏見)
旧法時代の「GHQに救われた」という“光”に比べ
新法は「恥ずかしい制度」「最後の手段」とみなされやすくなった
「権利」と「恩恵」の落差
条文上は完全に「権利」
運用実態は「申請者に負担・偏見・家族扶養優先」で、依然「恩恵的」
生活保護法の課題
1. 制度の利用しにくさ
申請主義:自ら困窮を告白しなければならず、その行為自体が「恥」と刷り込まれている
水際作戦:窓口で形式的に追い返され、利用を断念させられる事例がある
扶養義務調査:家族にまで照会され、関係性やプライバシーを侵害される心理的負担が大きい
2. 社会的スティグマ
「生活保護をうける者は怠け者」 というレッテルが社会に染みついている
制度を利用した瞬間に、権利の行使が “怠惰の証明” として受け止められ、利用者自身に罪悪感が刷り込まれる
3. 就労環境との不整合
法律上は「働けるのに働かない人は対象外」
しかし現実は「働く意思や能力があっても、場がない」人が多数
特に フリーランスや不安定就労者が制度外に置かれているのは設計上の瑕疵
4. 最低生活保障の乖離
憲法25条は「健康で文化的な最低限度の生活」を保障。
だが実際の基準は「生存ぎりぎり」に近く、文化的水準に達していない。
5. 社会全体への影響
生活保護利用の増加は、増税スパイラル──特に消費税の逆進性──による制度劣化の帰結
企業は安価な労働力を求めて移民や出稼ぎに依存し、國内労働市場はさらに不安定化
それでもなお「困窮は本人の責任」とする偏見が根強く、制度そのものが劣化している事実に社会が無自覚であることこそ、最大の問題
6. 「圀民の定義」の曖昧さ
生活保護法第1条は「すべての国民」と規定。外国人は想定外
最高裁判例(2014年7月18日)では「外国人は対象外。ただし永住者は行政裁量で保護可」と整理
実務では外国人にも支給されることがあり、「日本人より優遇されている」との世論が発生
法の規定と行政裁量の乖離が、国民感情との摩擦を生み、制度全体への信頼を低下させている
今日はGHQの制定した法律を今日まで是正できない政治設計瑕疵が現状の問題の根底にあることを書いておわりにする
この対策法案は既にこの者は用意している
しかし何はともあれ先に立つのはこれである
財政を立て直さない限りすべての政策は絵に描いた餅なのだ
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