選挙なんて要らないよ その28(日の丸❓)
それって商船の記号旗だから笑
日本の文化を護れ!とか
日の丸を汚すな!とか
お馬鹿な右派が多いけれど
彼ら本当に歴史を学ばないね
政府を批判する割に
メディアを批判する割に
メディアの偏向報道を鵜呑みにしている
法的リテラシーがないというのは
歴史そのものを学ばないって事だよ
学ばないのに文化だけ知った気になる
さあ右派の皆さん
その誤った知識
とことん落として差し上げます
今日から題して
「右派の知らない日本史」
お題目は
日の丸
君が代
尊皇思想
天皇
君等の誤った歴史観をシャッフルしちゃうよ
何で商船の記号旗なのか❓
ねえねえ
みんなが知ってる「日の丸」って
むかしから日本の國旗だったと思ってるでしょ❓
ちがうんだよ
それ
ほんとうはね……
📜 1. 黒船来航で始まる日米和親条約
國際金融資本の先兵としてまずアメリカの商船が日本に交易交渉を求めるところから物語は始まるんだ
1853年──
ペリー率いる黒船艦隊が浦賀沖に出現
さてこのペリーさんは何者か❓
海軍提督なんて肩書はあるが
もうアメリカはこの頃から國としての体はなしていないんだよ
その詳しい話はまたの機会にするとして
アメリカ自体が國際金融資本の傀儡として機能しているのさ
ではペリーの背後で彼を操っていた親玉を紹介しよう
ペリーを操る黒幕の正体
◆ ジョン・ピアポント・モルガン(J.P. Morgan)
銀行業と鉄道・造船業で急成長していた米国金融資本の象徴
欧州ロスチャイルド家と連携しながら
大西洋をまたぐ通商支配ネットワークを構築していた目的はただひとつ──「アジア航路の獲得」
◆ アメリカ東インド航運業界(Boston–Pacific Line等)
オピウム貿易なども含む半民間・半国家の海上ネットワーク
日本を中継地および炭補給港として使うことが目的
◆ 自由貿易の仕掛け人たち(米商社・投資家)
日米和親条約の背景には非公的な圧力団体と財閥が多数
ペリーは外交官というより“契約代行人”
当時徳川政権は清朝で起きたアヘン戦争とその事態を把握していたんだよ
だから井伊直弼などの老中はこの黒船の到来を前々から予期はしていた
だけど彼らの行動が余りにも早すぎて対応が遅れたんだ
結局アメリカとの武力交渉を避けてアメリカとの外交が始まることになる
でもペリーの背後に嘗て徳川家康により出禁としたイギリスが控えている事も分かっていたんだよ
もうこの時点で徳川は彼らの侵攻を止める手立てがなかった
つまりお手上げだったのさ
徳川の知略とその限界
1. 徳川政権は“アヘン戦争”の顛末を理解していた
1840年代、中国・清朝で起きたアヘン戦争
英国の東インド会社がオピウムを売りつけ清を半植民地化
南京条約(1842年)により香港割譲、関税自主権喪失、最恵国待遇
徳川政権はこの事情を長崎の出島経由の情報網で把握していた
勿論その情報元はオランダの商人達
でもその商人の背後にもVOCやEICを吸収した國際金融資本がいたんだよ
なので井伊直弼などは黒船来航を予め知っていたんだ
2. 早すぎる展開に後手に回る徳川政権
警戒はしていたが制度・軍備・外交チャンネルの構築が間に合わなかった
ペリー来航(1853年)は幕府の内部体制が整うよりも早かった
政権内では親蘭派・親清派・親米派・攘夷派が割れていた
攘夷派というと誤解があるけれどこれは徳川家康が残した徳川の國防政策
特に対イギリスに対してのものだったんだよ
しかしこの政権内の派閥論争が徳川の判断を更に鈍らせる組織分断の第一歩でもあったわけだ
つまり分断している國は危ういってことだよ
3.アメリカの裏にいる大英帝國の影
徳川とアメリカの通商交渉だったけど
ペリーの背後にはイギリスを中枢とする國際金融資本がいることを井伊直弼達は理解していたんだよ
イギリスと言えば徳川家康が1623年のアンボイナ事件を契機に交易を打ち切り出禁にした忌まわしき者達だね
そのイギリスが先兵に寄こしたのがこのペリーだということも井伊直弼達は見抜いていたんだよ
しかもこの再来は帝國の逆襲ともいうべき
日本侵略の始まりだということも理解していたんだよ
何故なら清朝をアヘン戦争で骨抜きにした実績があるからね
4. 従属を選ぶか❓崩壊を選ぶか❓
圧倒的な軍事力の前に武力衝突は避けたい徳川政権だったけど
従属を選ぶことも難しかったよね
清朝の様な二の舞にはなりたくないし
結局ペリーの外交交渉に応じる他なかったんだよ
ここで実質徳川政権は詰んだと言ってもいいだろうね
敗北と従順の象徴「日の丸」
ペリーとの交渉の末1854年に日米和親条約が結ばれたよね
この条約にしたがって今までの監視交易を見直すことになる
そしてその見直しの中に國際金融資本が仕組んだ國際基準が盛り込まれていたんだよ
この監視交易体制で新たに追加されたのが
下田(伊豆)
函館(蝦夷地)
条約の内容は
この2港を「外國商船の立ち寄り地」として開放
取引内容は
石炭と水の補給
雑貨や食料の購入(現地で)
船員の休養
つまりこの時点ではまだ補給港という立ち位置で交易がはじまったわけではないんだよ
通商条約は先送りにしたんだよ
井伊直弼達はこの苦肉の策で対策時間を稼ごうとしたんだね
ところが相手が一枚上手だったんだね
日米和親条約の条項にしっかり明記されたこの一文
これが日本の敗北を決定づけたと言っていいだろう
📜 出典:1854年 日米和親条約 附属文書「附則」第六項
原文(英語):
“Japanese ships engaged in foreign trade shall carry marks or flags by which they may be recognized.”
訳文:
「外國貿易に従事する日本の船舶は、識別可能な標識または旗を掲げなければならない。」
ほらね
まだ日本の商船が存在もしていないし通商条約はまだなのに
もう船舶用の識別可能な旗を掲げろって来たんだよ
そして徳川が用意したのが「日の丸」だったんだよ
さあ右派の皆さん
この日の丸の何処に日本の文化が込められているのか❓
教えてくださいな笑
そしてこの日の丸の採用理由がこれ
視認性が高く
識別が容易で
他國の旗と被らず
描くのが簡単で
どの印刷・縫製技術でも再現可能
そして國際金融資本にとっては敗北を意味する白旗
更に彼らが分かりやすい様に赤い点
日の丸の示す圀策を考えるのなら
「敗北」と「従順」なんだよ
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