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『ボダニアむスクリヌム』1/2※創䜜倧賞2023

【あらすじ】

 恋人の䜐知子ず同棲しおいる僕雄介の元に、「家が燃えた」ず母からの連絡が届く。燃えた家のこずを案じた僕は䜐知子を助手垭に乗せお車を走らせる。飌い犬のコン倪は無事なのか そしお母は 実家は
 日垞ず非日垞の間で、僕は過去の母ず父に間接的に出䌚うこずになる。
 時ず堎合に関係なくやたらアむスクリヌムを食べたがる䜐知子を助手垭に乗せ、僕は䜕を思い、䜕をしお、䜕を蚀うか。



『ボダニアむスクリヌム』

 颚呂から出るず、テレビの䞭で男女が別れ話をしおいた。ほんの十数分前には芋぀め合ったり抱き合ったりしおいた男女が、「あの時の蚀葉はなんだったの」などずダむニングテヌブルを挟んで眵り合っおいる。女性が手近にある小物を掎み男性の足もずに投げ぀けたが、画面䞊を通り過ぎる残圱だけでは䜕が投げ぀けられたのか刀別できなかった。
 僕の十数分間ず、架空の関係性の男女の幟分かの期間。映画でもドラマでもアダルトビデオの前半の小芝居でも、媒䜓が䜕であろうが远䜓隓ずしおリアリティがどんなに高かろうが──䜜り物の他人の時間をそっくりそのたた盞乗りするこずはできない。
「ねえ わたしサヌティワンが食べたい」
「あ 今から もう閉たっおるよ」
「サヌティワンが食べたい食べたい」
「こんな遅くたで空いおないでしょうよ──」
 週末のテレビのロヌドショヌは䞭盀を過ぎおおり、スマヌトフォンで怜玢するず確かに開いおいる店はなかった。
「サヌティワンは諊めた方がいい」
「むう」
 䜐知子の蚀い分は盎ちに通らないこずが確定した。そしお、通らないワガママだず分かっお蚀っおいるであろうこずも知っおいる。そんな䜐知子に察しおか、䜐知子の奔攟な蚀動を「閉店」しおいるずいう事実で即座に吊定した自分に察しおか──どちらのせいか分からないが僕は自身の䜓内でため息を぀く。
 どうせCMが終われば䜐知子はロヌドショヌの画面に向き盎る。付き合っお䞀幎も経おば圌女の行動の想像くらいは぀くもので、実際、䜐知子は僕の想像どおりの行動をずった。
 䜐知子が゜ファヌの䞊で䜓育座りをするず小さくたずたっおいお、゜ファヌの䞀角を定䜍眮ずされたぬいぐるみみたいなる。肩に觊れる皋のりェヌブのかかった髪がよりぬいぐるみ感を醞し出しおいる。可愛いものだずは思うものの、愛でるためのぬいぐるみずただそこに圚る眮物のちょうど狭間のような感じがしお、泚芖するほどではない。たた、わざわざ感想を蚀葉にするこずもない。

 画面内の男女の関係性に興味を倱った僕は、攟っおおいた掗い物に手を付けるこずにした。袖を捲りあげ、䞡手を泡だらけにしたずころで、キッチンカりンタヌの䞊に眮いおいたスマヌトフォンの画面が光る。母から「家が燃えた」ず、たったそれだけのメッセヌゞが届いたこずが通知される。僕は実家が燃えおいる様子ず、飌っおいる柎犬の家が燃えおいる様子をほが同時に想像した。スマヌトフォン䞊の数文字よりもリアリティのある──もちろん空想にすぎないが──火の粉を飛ばしながら燃える炎の映像が脳の芖野を埋める。
「燃えた。家が燃えおるらしい」
「家 雄介くんの実家のこず」
「そう、実家。あ、でもこれ過去圢だから。燃えおるんじゃなくお、もう鎮火したんだろうか」
「なにそれ、䞀倧事じゃない。掗い物しおる堎合じゃないでしょう」
「ああ」ず返事をしながら、すすいだ手を振りタオルで拭く。
 母に電話しお聞くず、燃えたのは犬の家──犬小屋の方だった。僕が高校生だった数幎前、実家の裏山から朚ず竹を切り出しお自䜜したものだ。现い竹の枝を同じ長さに切っお、犬小屋の前面に可動匏の柵を䜜ったこずを芚えおいる。庭の端に造った犬小屋は背埌の䞀軒家に比べるず小さく芋えおしたうが、我ながら力䜜だったず思う。
 電話口の母は「それがね、あんたも知っおるだろうけど、火の気なんおないはずなのよ。なのにね、コン倪がキャンキャンキャンキャン吠えるもんだから䜕ごずかず思っお──あ、ちょうどロヌドショヌ芋おたんだけどね、䞍審者かなずか思ったけど──いや、たあこんな田舎で䞍審者っお蚀っおもねえ、いないだろうけどさ。あんたさ、䜕か心圓たりある」
 ずんだ疑惑のかけ方にうんざりしたので、「コン倪にも実家にも恚みはない。それに僕は䞍審者でもない」ず芁点だけを説明しおから電話を切った。幞い、消火噚で察応できたので消防には連絡しなかったらしいが、近隣の䜏人から通報されおいるかもしれない。ずはいえ、実家のご近所の家々なんお片手䞀぀で数えるこずができるほどしか存圚しない。トラブルずいうトラブルを起こさないように生掻すべき田舎であっお、劙な噂が流れるずしたら先に自ら事情を吹聎しおたわればよいのだ。たあ、既に実家を出た僕の知ったこずではないけれど。

 電話䞭、最初に確認したのだが犬のコン倪は無事だった。
 なぜなら犬小屋は倩気がいい日のコン倪の昌寝堎所になっおいるくらいで、普段䜿いや倜の寝床ずしおは党く䜿甚しおいなかったからだ。可動匏の柵はほずんどの時間で開け攟たれおいる。実家の母からすれば、僕がどれだけ苊劎しお犬小屋を䜜ったかは知ったこずではないらしい。
「サヌティワンが食べたい」
 こちらにも僕の事情など知ったこずではない人間が存圚した。“家が燃えた”こずに぀いお、僕がひず通りの説明を終えたず芋るやいなや、すぐに発せられた発蚀がサヌティワンに぀いおの欲求である。
「さっき調べたけど、21時閉店らしいぞ。諊めた方が良い」
「ええヌ、サヌティワン食べたいのにい──」
 僕が䜐知子の芁望をスルヌしたずころで、映画の䞭の男女のように数分埌に別れ話をするこずにはならないだろう。少なくずも、アむスクリヌム店が営業しおいないのは僕のせいではない。それに、僕は䜐知子ずの関係をある皋床は良奜だず思っおいるし、関係を砎壊するような蚀動だっおしおいない぀もりだ。いや、実際のずころ内心は分からないけれど──僕は䜐知子に察する良い行いを䞀぀ず぀思い出し、その数をかぞえながら皿を掗った。皿掗いに倢䞭だったので、映画の䞭の男女の結末は知らない。

 翌日、䌑日だった僕はハンドルを握った。
 実家の小火の原因を突き止めるのは難しいかもしれないが、自身が䜜った犬小屋が燃えたずなれば気になるもので、䞀床珟堎を芋おおきたかったのだ。実家の近くにアむスクリヌム店は無いが、䜐知子は助手垭に座っおいる。
「ねえ、なんで犬なのにコン倪っお名前なの なんだかキツネに付ける名前みたい」
「さあな。芚えおるのは死んだじいちゃんが付けたっおこずだけだな。コン倪っお呌ぶのが圓たり前だから、理由なんお芚えおないよ」
「そう。ゎン倪ならなんだか犬っぜいのにね」
 もし僕ず䜐知子が犬ず䞀緒に暮らすのなら、それらしい名前ずいうのを考えるこずにしよう。少なくずも、ニャン倪ずかポン倪みたいな名前は避けた方が良さそうだ。いや、ポン倪は犬らしいかもしれないが。

 犬小屋には衚札らしいものを付けなかった。高校生の僕にずっお「コン倪」はあくたで呌び名であっお、掲げる気にはならなかったのだろう。あるいは衚札を付けるこずによっお、アニメの背景の犬小屋みたいに䜜りものっぜくなるのを避けたかった気もする。
 いずれにしおも、コン倪の小屋は焌け焊げお真っ黒になっおおり、衚札を぀けおいたずしおも焌け残らなかったず思う。
「やっぱ火事の埌っお焊げ臭いんだな」
「そうね。これじゃコン倪くん昌寝できそうにないね」
「かずいっお、僕はもう䞀床コン倪の小屋を䜜ろうずも思わないけどね。あれはあれで倧倉な䜜業だったんだ。週末をニ週間分朰した蚘憶がある」
 焌け焊げお厩萜した犬小屋を傍から芋おも、出火原因は特定できない。そもそも僕は消防士でも譊察官でもないわけで、原因远求のための知識も技術もない。ただ、いくら小火であれ、出火原因が䞍明な火事は通報しおおくべきなのではないかず、適切な埌凊理に぀いお考えた。母は「コン倪がこうしお寝おるんだからいいのよ」ずのんきなこずを蚀っおいたが、堎合によっおは実家もろずも燃えおいたかもしれないのだ。
 ただ、焌け焊げお炭になった朚材ず竹材を芋おいるだけでは、ちちちぱちぱち、ず鳎っおいた炎の様子は想像できない。たた、消火噚で鎮圧する瞬間の母の心情さえも、先皋の母のコメントからは想像できなかった。鈍いのか無頓着なのか、あるいは、気にしないよう装っおいるだけなのか。

 ひずしきり母ず話しお、家を出おすぐのこず。
「サヌティワンはあずでいいから」ず䜐知子は蚀い、僕らは亀番ぞず向かった。事件圓日の様子を盎接芋おいないにも関わらず、口頭で説明した。攟火が重眪らしいこずくらいは知っおいる。だから、攟火された偎だずいう可胜性があるにしおも嘘は぀きたくなかった。そのせいで曖昧な説明が続いおしたい、いやに時間がかかった。譊察が知りたいのは事実であっお、䌝聞や僕らの心情ではないのだ。そのうち母にも連絡が行くだろう。勝手なこずをしたかもしれない、ずは思ったが、僕は自䜜の犬小屋が燃えたのだから圓然のこずをしたたで、ずいえば正盎な察応ず蚀えよう。
「サヌティワンが食べたい」ず䜐知子は閉店時間が過ぎた車内で繰り返した。


 小火からしばらく経った週末の倜、再び僕のスマヌトフォンにメッセヌゞが届いた。
「家が燃えおる」ずの母からの連絡だ。燃えるずすればコン倪の家はもう無いのだから、それこそ実家が燃えたのだ。これはただ事ではない、ず脳内で危険信号を発する物質が隒いだ。燃え盛る炎を絶望の県差しで芋぀める母ずコン倪の姿が脳内に浮かぶ。いや埅お、緊急事態なら電話でもしおくればいいのに、ず発信ボタンをタップした。
「燃えおるの 家が燃えおるの」
「う、うう  あ、あ」
「消防には 蚀った」
「ああ  ああああああ」
 背埌から近づくサむレンの音が聞こえる。颚切音で母の嗚咜が遮られる。䌚話にならない。
「母さん、埅っおお。すぐ行くから──」
 通話を切ったスマヌトフォンを片手に、郚屋着に薄手のパヌカヌを矜織り財垃ず鍵をポケットに差し蟌む。慌ただしく動く僕に䜐知子が聞く。
「どうしたの 䜕 もしかしおだけど、火事ずか」
「うん。燃えおるらしい。ほんずに。家が」
「え ちょっず埅っおよ。それ怖くない やっぱりあのずきの小火っお──」
「分からない。原因はいい。たずは行ったほうが良さそうだ。さっき母さんず電話しおたんだけど䌚話にならないし」
 玄関に向かおうずする僕を䜐知子が止める。
「埅っお 私も行くから。少しだけ埅っお」
「いいよ。うちのこずだから、僕が行けばいい」
 僕の遠慮の返事を意に介さず、䜐知子は小さなバッグだけを提げりォヌクむンクロヌれットから出おきた。カヌディガンを矜織っおいるが、起毛玠材のため火事珟堎には近寄らせないようにした方が良さそうだ。
「すたん、行こう」
「ん」
 郚屋の灯りを消し、最埌にテレビの電源を萜ずす。画面の䞭の映画には芋知らぬ男女が映り、ダむニングテヌブルで食事をしおいた。
「卵焌きはね、私のうちでは甘かったの。こんなにしょっぱい卵焌きなんお私初め──」
 台詞の途䞭で切ったため、女性の発蚀が喜びから来るものか、あるいはその反察か、僕らには区別が぀かなかった。

 燃えたのは颚呂堎ずその隣宀のニ郚屋分だった。
 片道䞀時間ほどの間に火の手は消し止められ、鎮火に至っおいる様子だ。家の呚りを防火服の消防士が芋回っおいる。それずパトカヌも到着し譊察官らしき人もいる。ぱちぱちずいう音は䞀切なく、滎る氎音しか聞こえないが、鎮火埌にも関わらず未だ物々しさが感じられる。おそらく、焊げ぀いた煙の匂いのせいだろう。錻の奥の现い空掞にこびり぀くような嫌な匂いが挂っおいる。僕らが立っおいる庭をコン倪が駆けおいた圓時の蚘憶なんおたるで嘘みたいに。
 改築したずきの新しい朚の匂いも、コン倪の小屋を䜜ったずきの切り出したばかりの竹の匂いも、僕の蚘憶のすべおが消されおしたいそうな危うい雰囲気を含んだ煙の匂いず光景だ。
「ごめんね、ごめんね」ず母は蚀った。
「䜕が ずにかく無事だったんだから、謝るのずかそういうのいらないから」ず僕は答えた。消防や譊察に状況を説明できるほどに母は萜ち着いおいる様子だったが、䜕床も謝るこずをやめなかった。
「いくら遅くなっおもいいから、今日はずにかく僕のずこに泊たったらいい」
「いいの。私はいいから。ごめんね」
「母さんが良くおも、さすがに僕ずしおは心配すぎるっお」
「いいの。私はいいから、あんたず䜐知子ちゃんに迷惑をかける気はないから。ごめんねえ、䜐知子ちゃんも、ごめんねえ。それに、コン倪もいるから。私はここにいなくちゃならないの」
 僕ず䜐知子のふたり暮らしの家に、母が来ないようにず努めおいたのは知っおいる。しかし、今は緊急事態だ。それくらいのこずどうっおこずない、ず䜐知子も思っおいるだろう。
「あの、お矩母さん。私達のずころが気を遣うようなら、どこか近くの宿にでも泊たったらどうでしょうか。コン倪くんがホテルに泊たるのは難しいだろうから、私達が預かりたすので」
「でもねえ、コン倪は長旅したこずないし。たあ、雄介ずは仲良かったのはしっおるわよ。でもねえ──」
 䜐知子の提案は予想しおいなかった。しかし、僕より冷静で正しい提案かもしれない。それに䜐知子ず母が倉に気を遣い合うのもお互いに疲れるだろう。僕は䜐知子の意芋に賛同し、火事の埌始末の様子を芋ながら母を説埗した。ひずたず今日は、火事にあった家で母を寝させるずいう遞択肢をどうしおも避けた方が良いように感じた。

 母は䞀週間ほど町の安宿で過ごした。その間、コン倪は僕らの家で眠った。萜ち着きがない態床が最初の二日間ほど続いたが、犬も疲れずいうものを感じるのだろうか、倜になるずよく眠った。
「コン倪くヌん、朝ごはんだよヌ」
 䜐知子がそう蚀いながらドックフヌドの保管ケヌスに近づくず、コン倪は駆け寄るようになった。コン倪の適応が早いのか䜐知子が犬に奜かれやすいのか、僕には分からない。週末に実家の片付けを手䌝うために僕が家を出る時は「コン倪くんず䞀緒に留守番しおるよ、私は倧䞈倫だから」ず䜐知子は嫌な雰囲気を䞀぀も出さずにコン倪ず過ごした。
 出火原因はしばらく経っおも刀明しなかった。明らかに颚呂堎近くから発火しおいるらしいが、リフォヌムの際に電気枩氎噚を導入した実家の颚呂堎には火の気がない。確かに昔は薪をくべお焚いおいたような叀い颚呂だったから、颚呂焚き甚の窯は圢を残したたただった。しかし、窯の近くには薪もマッチも眮いおいないのだ。

 別の週末、コン倪ず䜐知子を連れお、燃えた実家の様子を芋に行った。すっかり䜐知子に慣れたコン倪のリヌドの端は䜐知子が握っおいる。
「ねえ、コン倪くん。お家燃えちゃったんだっおさ。ほら、こんなに真っ黒。コン倪くん、䜕も知らないよねヌ」
 颚呂堎の倖を回っおいるずコン倪がふいに立ち止たる。リフォヌム前、薪を燃やしおいた窯の付近だ。錻先を真っ黒な窯に近づけお「ぷしゅっしゅっ、ぷしゅっ」ずクシャミのような咳のような、空気ばかりの声をあげる。
「そりゃ焊げ臭いよな。コン倪、無理しなくおいいぞ。僕ら人間がこれだけ焊げ臭いんだから、お前は䜕千倍も䜕䞇倍も臭いんだろう。やめずけっお」
 僕の声を無芖しお、コン倪は窯の前に執拗に錻先を぀けお離れない。よく考えれば、窯はリフォヌム以来䜿われおいないわけで、今回の火事ずは異なった匂いがするのかもしれない。だが、出火原因ずは無関係に思える。最終的にコン倪は窯の前に座り蟌み、「ここを䞀歩も動かんぞ」ず鋌の意志を芋せた。
「そこに䜕があるっおんだよ」
「コン倪くん、䜕しおるの そこ開けおほしいの──ねえ、雄介くん、これ開かないの」
 窯の前面は重い金属の扉がになっおいるが、蝶番が壊れおいるかもしれないし、固たっおしたった炭ず煀で動きそうにない。
「たぶん開かないず思う。圓分䜿っおないはずだからね」ず、脚先で぀぀いおみた。ガタタッ ずいう音がしお金属の扉が少しだけ浮いお䜍眮がズレる。その音に驚きコン倪がひゅっず錻先を匕いた。四぀足を緊匵させお立ったたた窯の様子を䌺っおいる。
「雄介くん、これ、開くんじゃない」
「んヌ、䜕かひっかけお匕っ匵れる道具があれば開けれるかも。぀っおも、開けたずころで䜕があるわけでもないず思うけど」
 諊めの返事をし぀぀、僕は物眮を持りバヌルを持っおきた。コン倪の犬小屋を䜜るずきには必芁なかったバヌルだが、祖父は物眮に倧量の工具を遺しおいたらしい。䜿える道具は探せば出おくるのだ。

 ガゎゎず金属補の蓋がずれ、蝶番からはメリメリず焊げ付いた炭が剥がれ萜ちた。窯の䞭は暗い。光が届かないためか、長幎で焌け焊げた炭や煀のせいなのかは分からない。
 コン倪は曎に錻を突っ蟌みたそうにしおおり、今にもヘッドスラむディングで身䜓たで窯に飛び蟌みそうな勢いだ。
「ちょ、ちょっずコン倪くん」
 䜐知子が匷くリヌドを匕き、なんずか螏みずどたらせおいる。家の呚りじゅうが焊げ臭いので、窯の䞭の匂いずの違いが僕らには分からないが、コン倪には分かっおいるのかもしれない。ただ、焊げ付いた匂いに差があったずころで、いずれも燃えおしたった埌なのだから䜕ら新しい発芋はないだろう。
 僕は念の為くらいの぀もりで、コン倪を制し、スマヌトフォンのラむトを点けお窯の䞭を照らしおみる。
 暗闇の䞭にラむトの光が射しお、ちらちらずホコリが揺れる。炭の欠片は䞍芏則に散乱しおおり、窯の倩面たで真っ黒だ。それず──ノヌトか プリントの束か 幟重にも重なった玙が原圢を半分ずどめお残っおいる。バヌルで突付くずほろほろず端から厩れる。
「キャアン」ずコン倪が鳎く。
「これがどうかしたのか」
「コン倪くん、䜕か気になるの」
 燃えた玙束は党郚合わせるずノヌト数冊分くらいはありそうだ。バヌルの先で匕き出しおみる。ざざざ、ず摺りながら進む元玙束は埐々に厩れ萜ちお小さくなっおいく。
 窯の入口たで匕き寄せるず、ノヌト数冊ず少し皋の倧きさになった。
「ねえ、それ焌けおないずこあるんじゃない」
「そんなわけないだろ」
 バヌルで䜕床かバンバンず叩いおみるず、曎に元玙束は小さくなる。䞭から癜いノヌト地が芗いた。
「ほら、ね」
「キャン キャン」ずコン倪が吠える。犬の目がノヌト地を捉えおいるわけではないだろうが、もしかするず䜕か別の匂いの出珟を感じたのか。
「いや、ココホレワンワンじゃないんだから」
 ず冗談を蚀い぀぀も、僕の頭には疑問が浮かぶだけだった。颚呂を焚いお䜿っおいたのは䜕幎前だ 確かリフォヌム以降の四幎前以来、窯は䜿われおないはずだ。いや、しかし消防や譊察の珟堎怜蚌でスルヌされるずは思えない。ずはいえ、目立たない堎所にあるのは確かだし、リフォヌム埌の窯は倖構の食りのようにも芋えなくもないし、実際僕の前に開けられた圢跡はないず感じた。重倧な芋萜ずしか、偶然か必然か。ただ、出火元であるはずの颚呂の呚蟺に燃え残ったものが存圚しおいるずいう事実は、明らかに火事があったずいう事実ず矛盟しおいる。
「ノヌト、だよね」
「たぶんな。少なくずも僕のじゃない。高校生の頃はルヌズリヌフばっかり䜿っおたし。ノヌトはこんなに持っおない」
「じゃあ、お矩母さんの」
「どうだろうな。じいちゃんが日蚘を぀けおたから、じいちゃんも倧量にノヌトを持っおたはずだし」
 しかし、リフォヌム前に死んだじいちゃんの遺品の敎理は終わっおいる。おそらくじいちゃんの所有物の可胜性は排陀しおいい。父が家を出たのも僕が十歳になる前のこずで、父の所有物の可胜性も排陀される。
 コン倪がノヌトの束を錻先で掘り返しそうなので、䜐知子の持぀リヌドの途䞭を䞀緒になっお掎んで匕き止めた。
「ちょっず母さんに聞いおみるよ」
「ん。コン倪くん、行こ」
 芋぀けた玙束はそのたたにしお、僕らは䞀床窯の前を離れた。䜐知子ず二人でコン倪のリヌドを匕いたが、コン倪ずの散歩でこれほど匷く抵抗されたこずはなかったように思う。

 焌けおいない朚の匂いず土の匂い。そしお、怍物から立ち䞊る湿床を包む朚陰の匂い。
 実家ずその呚蟺の裏山は僕の名矩になっおいる。母が盞続すれば単玔な話だったのだが盞続を拒吊した。
「僕もどこたでがうちの土地か正盎なずこよくわかっおないんだよな。ほら、あそこに朚の棒ずタグがあるだろ」
「あの黄色いや぀」
「そう、黄色いテヌプが぀いおる杭がうちの土地の境界にぐるっず打っおある、らしい」
「らしいっお」
 裏山の道なき道を歩くのは䜕幎ぶりかも芚えおいない。じいちゃんが死ぬ前に「土地を把握するためだ」ず案内しおもらったが、䞀床きりだった。それに、山の䞭を歩いたずころで景色はこれずいっお倉わらず、ただただ進んで曲がっお進んで曲がっおを繰り返すだけで、蚘憶に残そうずしおも芚えおおくのは難しいず思う。
「目印がないず山の敷地の様子なんお芚えられるわけないし、その杭も埋たっおるや぀があるし。僕の名矩になっおはいるけど、正盎なずころ実感がないんだよ」
 芋枡しおも朚々ばかり。䞍法投棄するような人も来ないくらいの、至っお自然的な真っさらな山。僕の少し埌ろを付いおくる䜐知子の様子を確認するず、きょろきょろず蟺りを芋回しながら歩を進めおいる。マンション暮らしだった䜐知子にずっお、持ち山は珍しいものなのだろう。
「でもおっきいじゃん。なんでもできそう」
「どこがだよ。山には山しかないから。こうやっお僕らが入っお歩いたずころで䜕もワクワクするこずは起こらない。もちろん、サヌティワンもないよ」
「んたあ、はっ、ワクワクより、息──あがっおきたよ、はあ、ちょっず埅っお──」
 僕らが山を登る目的は燃え残ったノヌトを埋めるこずだった。䜐知子が連れおきたがったのでコン倪もいる。リヌドはたわんでおりコン倪は䜐知子のペヌスに合わせおいるらしい。
「ずにかく、もう少し奥にしよう」
 螏みしめる地面は枯葉で芆われ、䞀歩䞀歩進むたびに足裏が沈み蟌んで疲れが溜たる。枝があったり劙な窪みがあったりで、足裏の接地の仕方が䞀歩䞀歩䞍芏則なのだ。しかし、アスファルトの地面を数千歩あるき続ける方が疲れるに決たっおる、山の方がマシだろうず想像するこずで、僕は足の疲れを芚えるこずなく歩を進めるこずができた。

 急斜面は長くは続かない。数メヌトル登るたびになだらかな斜面がやっおくる。長幎の自然の摂理によっお出来䞊がった斜面に人為的な芁玠は党く感じられないのに、僕らを拒んではいないように思える。裏山に面しおいる道路が芋えなくなりしばらく歩くず、円圢に開けた平坊な朚陰にたどり着いた。
「井戞 あれっお叀井戞じゃない」
「確かに僕んちには井戞氎が匕いおあるけど、山に井戞があるなんお聞いたこずなかったな。じいちゃんも土地を教えおくれるんなら、䜕がどこにあるかくらい教えおくれればいいのに」
 円筒状のコンクリヌトが葉の積もる地面から顔を出しおいる。口は倩を向いおいるが、呚りを埋めおいる地面は斜面になっおおり、ちょうどちくわを斜め切りで半分にしたような姿の井戞だった。
「ねえ、䞭から誰か出おくるずかないよね。あれ、えっず、なに子ちゃんだっけ ショりコちゃん りタコちゃん」
「貞子だな。井戞だから䞭はよく冷えおるだろうけど、別にサヌティワンじゃないから、アむスクリヌムも出おこないからな」
「ノヌト埋めたらサヌティワン行くの サヌティワン」
 䜐知子の目が茝いたのを芋るず、井戞を怖がっお貞子の話を出したのではないず分かる。
「あそこにするか。井戞の䞭に攟り投げおしたえば、濡れたノヌトなんお開けなくなるし。うちの井戞なら誰も調べたりしないだろうしな」
「埋めるんじゃなかったの」ずいう顔で䜐知子が䞀時停止する。
「ちょっず開けおみるか」
 コンクリヌトでできた円盀状の蓋は井戞の䞊面にただ眮いおあるだけで、もちろん井戞の蓋に鍵などない。さしお重くなく、僕䞀人が䞡手で抌せば、ずずずずスラむドした。コンクリヌトが擊れる音は山の朚々や葉っぱたちに吞収され、深倜に冷蔵庫を䞀人で開けるような埌ろめたさはなかった。自然の割合があたりにも倧きいず、人工的な音や物の圱響力はこれほどたでに小さくなるのだ。
 足元には石が転がっおいなかったので、倪めの朚の枝を拟い数本に折った。蓋の隙間に耳を近づけたたた枝を井戞の䞭にバラっず萜ずすず、壁に数回圓たる音が反響した埌「ぎちゃ、ぎ」ず氎音が二回返っおきた。確かめおはみたものの、枯れ井戞であろうが生きおいる井戞であろうが、もうどちらでもよかった。
「ここなら倧䞈倫」ず僕は目的を達成し、井戞の蓋を元に戻した。コン倪はその様子を䜐知子の暪でただただ芋おいた。尟も振らず、錻先を䞊げお空気の匂いの動きを確かめるでもなく、持っおいる芖芚の性胜を粟䞀杯䜿っおいるようだった。
「サヌティワンなんにしよっかなヌ」
「もう考えおるのか ただ山の䞭だぞ」
 名峰でもなんでもない裏山の垰り道は方角さえ間違えずに山を降ればよいだけだ。䜐知子はコン倪ず共にすっすず先を行った。僕は短髪にも関わらず、埌ろ髪を匕かれる思いを感じながらその埌を远った。

 集合商業斜蚭の䞀角で事件は起きた。
「えっ」ずいう䜐知子の䞀蚀を把握できるたでの間に、ダブルで頌んだアむスクリヌムは床に萜ちおいた。しかもアむスクリヌムの偎を䞋にしお。
 店員からお釣りを受け取ろうず右手を差し出した僕は、先に受け取っおいたアむスクリヌムを巊手で䜐知子に差し出しお離した。䞀幎も付き合っおいればノヌルックパスくらい通るだろうず鷹を括っおいたが、なんずたあ、この有様だ。
「うわ、床だけじゃない。僕の靎にも半分かかっおる」
「だ、倧䞈倫ですか」ず䞀人の店員が芪切にもカりンタヌから玙ナプキンを䜕枚か持っお出おきおくれた。呚囲からの芖線が痛い。䜐知子はハンカチで僕の衣服をずんずんず叩きながら、アむスクリヌムが付着しおいないか䞀呚り芋おくれた。僕は適圓に靎をナプキンで拭き、床に萜ちたアむスクリヌムの残骞を拭う。
 ほんの数十秒の慌ただしさのあずで冷静になっお気づく。アむスクリヌムを萜ずしたのは僕ず䜐知子の連携䞍足にある。䞀番の戊犯はノヌルックパスを出した僕の方だ。
「すみたせん。同じもの泚文したす。あ、もちろん順番は埌回しでいいので」
「ごめんなさい。私がよそ芋しおたから。ごめんなさい」
「いや、いい。誰も怒っおないから」
 あれほど勇しく「サヌティワンサヌティワン」ず繰り返しおいたのが嘘みたいに䜐知子の衚情の枩床は䞋がっおいた。曇倩にアむスクリヌムは䌌合わない。

 垰りの車内で別れ話になった。アむスクリヌムが䌌合わない倕刻の曇倩の空の䞋だった。
 こういった堎合、アむスクリヌムの受け枡しを誀ったのはただのきっかけに過ぎない。倧抂にしお別れ話ずいうのは積もり積もったものが原因のほずんどを占める。もし、アむスクリヌムを萜ずしたこずが別れるための䞀番の理由だずしたら、そもそも亀際自䜓が正しく成り立っおいたかどうかを疑うべきだ。
「で、䜐知子はどうしたいわけ ずいうか、そもそも同棲し始めおただ半幎も経っおないよね」
 車内のオヌディオの音量を絞り、信号埅ちをしながらシヌトに深く座り盎した。
「どうっお、たあそれは別れたら、どちらかが出おいくしかないんじゃないかな」
「たあ、んん。別れるなら䞀緒に暮らすわけにはいかないだろうね。そりゃあ、家賃や光熱費のこずを考えたらルヌムシェア的な意味では同棲しおる方が埗だろうけどさ。たしかに今䜏んでる堎所は僕も䜐知子も通勀には郜合がいいから、ルヌムシェアを続けるっおいうのなら、しばらくはそのたたでもいいかもしれないけど。いや、たあ、僕が悪かったのかもしれない。分からないけど、僕が悪かったのかもしれない。実家のこずずかさ、䜐知子にはただ関係なかったはずなのに巻き蟌んでしたっお。けど──」
 䞀気にたくし立おながら、支離滅裂なのは自芚しおいた。それに青信号で発進するず同時に喋る気が倱せおきた。䜕が「ねえ、私達もう別れたほうがいいず思う」なんだろうか。䞀方で、原因の話をする前に今埌の話をしおしたった自分に倱望しおしたう。これたでの人生で片手で収たるくらいの女性ずしか亀際したこずはないが、僕は毎床毎床振られおばっかりの振られ男なのだ。こうも振られ話が続くず、”振られ慣れ”みたいな劙な癖が぀いおしたったのかもしれない。
 倕食のメニュヌを考えながらスヌパヌにでも寄ろうず思っおいたが、䜕も思い぀かなくなった。䜐知子もそれ以䞊䜕も蚀わなくなり、ボリュヌムを䞋げたたたの車内では、流しおいる音楜が誰の曲かすら分からなかった。

 燃えかけた母の日蚘垳の文章は断片的に読み取るこずができた。䞀日あたりの日蚘は数行ほどが平均で、長くおも䞀頁を越えおいる日はない。䞀点、母のクセなのか別の理由があるのか、日によっお文字のスタむルが違うこずが気になった。焌けお抜け萜ちた文章の䞊で、字䜓の違いだけは明らかだった。
“【X月Y日火】燃えるゎミの日。二袋分を捚おた。衣替えをしたから䞀袋分は叀着でいっ──”
“【X月Z日土】──倪は雚が奜きらしい。颚のせいで雚が暪殎りに降っおいたけど、散歩の催促がい぀もより──”
 こういった日垞の蚘録ずいえる出来事は、よく芋たこずのある母の字で曞かれおいた。小孊校の持ち物に名前曞きをするような殊曎に䞁寧な字ではなかったが、読み手が誰であろうが可読性が保蚌されおいる。䞀方、
“【M月N日朚麓には尖ったささくれがあっお──安党に山に火──】”
“【M月O日日机の䞭で薪を燃やせば未来に──肌は焌けおいお──】”
“【M月P日火──ルカは䜓枩が焌けるように──火傷は怖い】”
 可読性はある。が、字が右䞊から匕っ匵られたみたいに぀り䞊がっおいる。筆跡にはスピヌド感があり、䞀画䞀画を打぀テンポが明らかに速いず思われる。母がそのような字を曞いおいた蚘憶が僕にはなかった。
 たた、可読ではあっおも、焌けお抜け萜ちた郚分を補完する蚀葉に぀いお想像が぀かなかった。䞋手くそな日本語の教科曞の䟋文の䞀぀みたいにデタラメが曞かれおいるように感じる。僕の劄想に過ぎないこずは分かっおいるが、぀り䞊がった文字で曞かれた日蚘の䞀節は、母の怚みの塊が衚出した䜕かなのではないかず想像しおしたった。

 父ず暮らした蚘憶は倚くない。が、父ず母の関係性に぀いおの蚘憶はある。父が母に怒鳎っおいる姿は蚘憶に党くなく、「すたん。わしが党郚悪い」ず癜髪の混ざり始めた頭を軜く䞋げお謝っおいる姿が印象に匷い。前埌の䌚話の文脈なんおそれこそ蚘憶に無いのだけれど。
 父は巊偎の眉毛がなぜか真ん䞭で二぀に割れおいお、普段は䞉぀の眉が䞊んでいるように芋える。困惑や畏れから眉の端が斜めに䞋がっおも、八の字にはならない。しかしそれでも申し蚳無さそうな衚情を䜜れるのだ。䞍揃いの䞉぀の眉を䜿っお「わしが党郚悪い。わしが党郚悪い」ず繰り返しおいた映像は、茪郭がふやけ぀぀も僕の蚘憶に残っおいる。そんな時、母はため息を぀いおいただろうか、諊めた衚情をしおいただろうか、あるいは䜕事もなかったように衚情䞀぀厩さなかっただろうか。これもたた芚えおいないのにも関わらず、叱責、悲鳎、暎力ずは無瞁だったこずは断蚀できる。僕の蚘憶の䞭に惚劇の色は党くの䞀぀も混ざっおいないのだ。
 燃え残った日蚘のこずを問いただした僕に、母は「捚おなさい」ずだけ蚀った。溜たった掗濯物を干しおいる最䞭に声をかけたので、「捚おなさい」ず発した瞬間の母の衚情は読み取れなかった。しかし、僕は母の声に制限の色を感じた。い぀もなら「捚おおしたいなさい」ず蚀うはずだろう。埮劙な違いずはいえ、「捚おおしたいなさい」には僕の行為に少しだけ自由床がある気がする。だが、今回の母の「捚おなさい」は匷制の色が匷い。僕は戞惑うこずには戞惑ったものの、埓うしかないず感じたのだ。息子だからそう感じたのだろうか。
 ずにかく、僕ず䜐知子ず──それずコン倪が燃え残った日蚘を芋぀けたこずは、母からすれば眪が深いこずだったのだず自戒させられるような「捚おなさい」の䞀蚀だった。


぀づく

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