味と安心 -後編-
ぜひ【前編】からお読みください!
印象深い「味」との出会いは、偶然だった―。
ホテルのチェックインを済ませた僕は、スーツケースを部屋に置き、さっきよりも身軽な格好で薄暮の街へ繰り出した。
時刻は18時半を過ぎたあたり。普段はもっと遅い時間に夕食をとるのだが、歩き回ったせいか、すでにお腹がすいている。いつもより早めのご飯にありつくべく、ここへ来た時の道をなぞるように飲食店探しの旅を始めた。
300mほど進むと、広い交差点に出た。
信号待ちをする僕の目の前を、ヘッドライトを照らした車たちがスイスイと泳いでいく。その群れの切れ間から見える向こう側に、怪しい道を認めた。
交差点から斜めに伸びる道。
横断歩道を渡った僕は、興味本位でその道に入ってみることにした。
なるほど、いわゆる「路地裏」といった感じだろうか。周りと比べて明らかに暗く、ひっそりとした雰囲気を醸し出している。洞窟の中に入っていくかのように、ゆっくりと奥へ奥へと進んでいく。
ケーキ屋。
ラーメン屋。
寿司屋。
バー。
喫茶店。
数メートル置きにいくつかの飲食店があり、静かに営業をしていた。僕はそれ以上は奥にいかず、引き返すことにした。
喫茶店。
バー。
寿司屋。
ラーメン屋。
ケーキ屋。
いつもならここで路地を抜け「知っている店」を探し始めるところだが、今夜ばかりは違っていた。この5つの中から選びたい。選ばなければいけないと思ったんだ。
暗がりの中でしばし逡巡した挙句、最初に通り過ぎたケーキ屋に入ることにした。庶民的な店構えで、かつ店内がこちらからもしっかり見える点において、どの店よりも入りやすい雰囲気があった。
「いらっしゃいませ」
自動ドアが開くやいなや、店主の声がした。店は、駅のプラットフォームにある待合室を縦に繋げたくらいの広さで、4人掛けの席が6つほどしかない。そのうちの一つに、新聞を読んでいる客が座っている。
「空いているお席にお座りください」
店主に促されて、縦長の店内をまっすぐ進んでいく。進行方向突き当りにある、表通りに出る自動ドアの近くに座ることにした。
僕の席は、ケーキのショーケースのそばでもあった。ケースには、店主が作ったであろう美味しそうなケーキの数々がきれいに並んでいる。王道のチョコやショートケーキというより、全体的にオリジナルっぽい名前のケーキが多い。
「注文が決まったら教えてください」
その声で、ようやくテーブルに置かれたメニュー表に目を通し始めた。
コーヒーいろいろ種類があるな。あ、ケーキとコーヒーのセットがある。でも、もっとしっかりめのご飯も食べたいし。それなら、トースト系がいいかも。でも、ケーキも美味しそうだしな。ケーキとトーストを頼むってのもアリだけど、どこまで食べられるか分からないし。
優柔不断な僕は、やっぱり決めるのに時間がかかる。悩んだ挙句、「ピザトースト」と「ブレンドコーヒー」を注文することにした。食べ終えて余裕があれば、ケーキを一つくらい頼んでみようと思った。
注文を待っている間に、2組のお客さんがやってきた。最初にやってきたご夫婦も、次に来店した(おそらく)姉妹も、ケーキを購入して帰っていた。店主とのやり取りを聞くに、常連客らしかった。ケーキの箱を受け取ると、2組ともにこやかな様子で店を後にした。
「お待たせしました。ピザトーストとブレンドコーヒーです」
店主は、僕の目の前に注文の品を置くと、調理場へとそそくさと戻っていった。
「いただきます」
まずは、コーヒーに口をつける。通ぶってシロップを入れないのが、好みの飲み方だ。
うん。熱い。けど、うまい。苦みの中に、深い甘さを感じる。
ブレンドコーヒーという名前だけあって、きっと何種類かのコーヒーが混ざっているのだろう。その正体が気になって仕方がなかったが、恥ずかしがり屋の僕には聞けなかった。
一旦カップを置き、ピザトーストに手を伸ばす。その時、トーストに敷かれた紙の下に、クッキーが2枚置かれていることに気が付いた。レーズン入りと、チョコ。店主のサービスに心が暖かくなる。
2枚を噛み締めるように味わうと、香ばしさと甘さが身体に行き渡って、今日一日の疲れが吹き飛んでしまいそうだ。
メインのピザトーストは、トマトとチーズとピーマンが載っているだけのシンプルなものだった。でも、その飾らない素朴さが、かえっていい。どこか「懐かしさ」を感じさせる味は、旅に入り混じる緊張をほぐしてくれた。
「マスター、ケーキいい?」
料理に舌鼓を打っていると、後ろから声がした。声の主である男性客は、スタスタとこちら側に歩いてきて、ケーキのショーケースの前で足を止めた。
「えーと、これとこれと。あと、これとこれと……」
客が呼ぶユニークなケーキの名前を、さすが店主は確実に聞き取っていく。注文の箱詰めをしながら、店主は言った。
「新しいケーキを作ったから、つけておきますね。ラズベリーのケーキ」
「ほんとですか! いつもありがとうございます」と、客は嬉しさが滲み出た声で返す。
「あの、この間いただいたケーキとは違うんですか?」
「この間のはブルーベリーだから、これは違うんです。今回はラズベリーで作ってみました」
会話から、この客は定期的にこの店でケーキを購入し、店主から「サービス」を受けていることが推測できた。
「あ、すみませんが、プリンにスプーン2つ付けてくれますか? このスプーンが好きなやつが家にいて」
「分かりました」
その客は、それから店主と「剣道」の話でひとしきり盛り上がった後、僕の真正面のドアをくぐって、すっかり暗くなった街に溶けていった。
さっきの会話の途中、店内に一人の客が入って来ていた。
彼は、客が店を出るとすぐに「マスターの近くがいいからね」と言いいながらおもむろに席を立ち、先ほどまで客がいた席に移った。
この様子を見るに、この客も常連なのだろう。スタスタとショーケースまでやってくると、慣れた様子でカタカナを読み上げ始めた。
「あれ? この間まであったアレは?」
数個注文したところで、客は店主に質問した。
「チョコケーキですね」
「そう。やめたの?」
「いえ、今日ちょうど焼いたところでして。ケースにはまだ入れていないんです」
「じゃあ、明日だったらあるね」
「はい。明日だったら出ていると思います」
「じゃあ、また来るよ」
「ありがとうございます」
それから会計を終えた後も、二人で何やら世間話をしていた。
さっきの客といい、この客といい、店主とは「ショッパー」と「カスタマー」を越えた関係性にあることは間違いなかった。その繋がりが垣間見えた気がして、胸が温かくなった。こういう「人と人との関係性」が育まれるところが、個人店のいいところなのかもしれない。
店内に全体に漂う温かさが、目の前の料理を何倍にも美味しくしている気がした。
旅先で食事に困ると、慣れ親しんだ「ファストフード店」に入ることが多い。どの店でも「あの味」が出てきて、ホッとするからだ。でも、慣れていないお店に飛び込んでみるのも、存外悪くないのかもしれない。
人が生み出す「安心感」を抱えながら、僕は店を後にした。
店を出た後の店内では、まだ二人が会話をしている。
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