色づくページが教えてくれたこと『さがしもの』
「もう少し置いておいてよ。将来子どもに読ませるわ」
わたしが子どもの頃に読んだ本が、実家にたくさん置きっぱなしになっている。処分するかどうか、両親に聞かれたとき、深く考えもせずにそう答えた。
それから約十年。
本当に、自分の子どもがそれらの本を読む時がやってきた。
『モモ』、『はてしない物語』、『ナルニア国物語』シリーズ…
立派な装丁の、箱入りの本たちが、久しぶりに本棚に並ぶ。
箱から本を取り出し、そっと開いてみる。
どのページも、紙の隅が茶色く変色していた。
光に当てていなくても、紙は色を変えてしまうものらしい。
ずいぶん時間が経ったのだと、そこでようやく実感する。
どんな物語だったっけ。
あんなに何度も読んだはずなのに、内容は不思議なくらいはっきり思い出せない。
それでも、茶色く変色したページをめくっていると、色褪せた古い写真を見ているときのような、懐かしくて、少し切ない気持ちがこみ上げてくる。
紙の本は、日焼けし、少し反り、紙の匂いまで変わっていく。
そうやって本の中身だけでなく、「その本と過ごした時間」まで残してくれる。
小学生だったわたしは、これを読んで何を感じていたのだろう。
何度も読み返すほど、何にそんなに惹きつけられていたのだろう。
それを知りたくて、かつて夢中になった物語を、もう一度読み進めてみることにした。
いちばん印象が変わったのは、『モモ』だった。
子どもの頃は、モモと一緒に時間を取り戻す物語として読んでいた。
モモの目線に立ち、カシオペイアと共に灰色の男たちに立ち向かい、失われた時間を取り戻す。そういう、少し不思議な冒険として記憶していた。
でも、今読むと、まるで違う本のように感じる。
今のわたしは、いつの間にか灰色の男たちに時間を奪われている側の人間になっていることに気づく。
そして、「将来役に立つこと」ばかりを優先して、わたしが子どもたちから大切な時間を奪っていないだろうか、と読みながら不安になる。
物語は変わっていないのに、自分の立っている場所が変わっている。
角田光代さんは『さがしもの』の中で、こう書いている。
この古びた難解な、だれのものだかわからない本は、年を経るごとに意味が変わる。かなしいことをひとつ経験すれば意味は変わるし、新しい恋をすればまた意味が変わるし、未来への不安を抱けばまた意味は変わっていく。
本は変わらない。
変わるのは、それを読む自分のほうだ。
茶色く変色したページは、本が古くなった証ではなく、この本がわたしと同じ時間を生きてきた証のようにも思えた。
だからわたしは、本を捨てられないのかもしれない。
わたしも色褪せたページをめくりながら、物語の中に、かつての自分を探しにいく。
そして今度は、今の自分が何を失いかけているのかを、思いがけず教えられる。
紙の本は、物語だけを残しているわけではない。
その本を読んでいた頃の自分や、流れていった時間まで、一緒に閉じ込めてくれている。
だから、気に入った本は紙で残しておきたい。
あのとき何気なく「残しておいて」と言った本を、今は子どもが読んでいる。
いつか子どもが大人になり、同じ本を読み返したとき、今のわたしと同じように、自分の変化に気づく日が来るのだろうか。
その頃には、この本も、今よりもう少しだけ色づいているのかもしれない。
