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苦しかった時に助けてくれたもの

学生時代は、大きな挫折をしたことがなかった。

勉強は得意だったわけではないけど、つまずいて苦労した記憶はない。運動はむしろ得意な方だった。

だから、働き始めて初めて挫折を知った。

そこから何度も苦しくなることがあったけど、そのたびに何かに助けられてきた気がする。今日は、そんな「苦しかった時に助けてくれたもの」を書いてみたい。

1.趣味

18歳から働きはじめ、19歳で会社を逃げだした。

それからの1年ほど、色んなことから逃げ続け、どう生きたらいいのかわからなくなった。

でも逃げて、逃げて、逃げた先に、打ち込める趣味を見つけた。

振り返ると4年ほどは打ち込んでいたと思う。まだまだ気持ちは不安定だったけど、一本の大きな道が見えた気がした。

明日が楽しみだと思えるものがあるだけで嬉しかった。

2.本

趣味に打ち込めている時は良かった。何かを得られている気がしたし、成長も感じられたし、このまま頑張ろうと思えた。

でもそれが、気付かない間に「やりたい」が「やらなきゃ」に変わっていた。

好きでやっていたはずなのに、「何かに繋げないと」という焦りに変わっていた。

そんな時期、私はよく本を読んでいた。

本の中には、自分とはまったく違う考え方や価値観が山ほどあった。そこで色んな考え方や色んな価値観に触れて、自分の視野の狭さに気づいた。

自分が当たり前だと思っていたことは、案外ただの思い込みだったのかもしれないと、凝り固まった考え方を少しずつほぐしてくれた。

即効薬のようにも効いてくれたし、じわじわ自分の価値観として根付いていったものもあった。

3.趣味

そして今、一周まわって、また趣味に助けられている気がする。

以前ほど苦しいわけではない。でもときどき、またいつか崩れてしまうんじゃないかと思うことはある。

20代の頃の趣味は、どちらかといえば、その場を生き延びるために必死にしがみついていたものだった。

でも今は、何かの役に立てようとか、仕事につなげようとか考えなくても、ただ純粋に楽しめる。

まだまだ知らないことがある。まだまだ作ってみたいものがある。それだけで、まだ生きていたいと思える。



最近読んだ本の中で好きな言葉を見つけた📚

数学者のE・C・ティッチマーシュはこう述べた。「πが無理数と知ったところで何の役にも立たないだろうが、知ることができるのに知らないでいるなんて耐えられないではないか」

サイモン・シン『フェルマーの最終定理』新潮社  241頁

数学者に比べれば私の知的好奇心なんて足元にも及ばないだろうけど、「知ることができるのに知らないでいるなんて耐えられない」という感覚はは少しわかる。図書館に入り、読みきれない本を目の前にした時にもよく思う。目の前には自分の知らないことがこんなにたくさん並んでいて、手を伸ばして開けば読むことができる。でもその全てを読むことはできないし、簡単に取り入れられるものではない。「知らないまま死ぬのか」と思うと少しゾッとする。

そう思うと「知りたい」は私の生きる原動力みたいだ。


suzuriとminneやってます


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